犬も食わぬは
少しは素直になれば良い。
そうしたら喧嘩も減るだろうに。
その日は朝から教室の空気が重かった。
土日の休みを終え、あぁまた一週間学校に通うのかといったダルさではない。
むしろオドロオドロしく絡み付いて引き摺りこむような、重苦しい圧力と言うべきか。
そしてその源と言うか元凶と言うか、その存在は、教室の最後尾に居た。
居た、と表現したのはそれが物ではなく人間であるからである。
それも、二人。
「えーっと…こ、金剛?」
「…何だ、陽奈子」
一人は、鋭い相貌を鬼の如く歪める金剛番長こと金剛晄。
「あの…卑怯番長さん?」
「…何かな?白雪宮さん」
一人は、黒いオーラを背負いながらも至極上機嫌のように微笑む卑怯番長こと秋山優。
「あ、あの…その…」
「……用はねぇのか」
何かあったのは一目瞭然なのだが、声をかけたものの訊く勇気もない陽奈子は何でもない!と慌てて話を中断した。
「何か良い事でもありましたの?」
が、天然な所のある白雪宮は微笑む秋山の背後に存在する禍々しいオーラが見えていないのか、もしくは彼女の底抜けな明るさで二人の間でのみそのオーラが中和されているのだろうか、サクッとサラッと空気の読めない質問を投げ掛ける。
教室内の温度が一気に下がったのは気のせいではないのだろう。
「あら、何だか急に涼しくなりましたわっ!」
誰かあの天然娘の口を塞いで来いっ!と願ったのは誰だろうか。
秋山はやはりニコニコと笑ったまま、白雪宮の頭を優しく撫でた。
「うん、良い事あったよ」
「まぁ、それは良かった!」
「実はね、手のかかる面倒な恋人とやっと別れられそうでさ」
「まぁ、それは……それは、その……」
やっと事態を飲み込むも、時既に遅し。
白雪宮が、笑顔のまま言葉に詰まっていると、ドゴッ!と地響きのような轟音が教室を揺るがした。
「こ、こ、こここ金剛っ?!つ、机…!!」
恐怖に顔を引き吊らせながらもしっかり携帯で撮影をする陽奈子の前には、下の階まで貫通した机。
まるで、杭を打ち込むように思い切り打ち付けたのだろう拳は、ギリギリと音がするのではないかと思う程握り込まれている。
「黙って聞いてれば…何勝手な事言ってやがる」
「勝手?昨日話したばかりでしょ」
「俺は了承した覚えはねぇ」
「別に離婚届を提出しなきゃいけない訳じゃなし。別れるのに双方の合意は必要ないよ…って、昨日言ったよね」
ボケるのはまだ早いんじゃない?と皮肉を言いながらやる気も無さそうに携帯を弄る秋山は、まだ辛うじて笑顔を保っている。
しかし口の端は僅かながらピクピクと引き吊っており、限界は近い事を思い知らせた。
会話を聞けば解るように、金剛と秋山は付き合っている。
最初の内は隠していた二人だが、ひょんな事から白雪宮に知られ、そして白雪宮の天然発言がクラスメイト達にその事実を知らせてしまって今では公認の関係だ。
しかしながらクラスメイト達から嫌悪されないのは、一重に金剛の人徳のおかげと言えるかもしれない。未だ得体の知れない秋山も、金剛と話している時は大分柔らかい印象を与える為、二人の関係を糾弾する者は今の所一人として居ないのだ。
普段、この二人は時に新婚のようにイチャイチャし、時に熟年夫婦のようにほのぼのと和やかに過ごしている。
が、時には喧嘩をする事もあるのだ。
そしてそれが今である。
片や睨み付け、片や笑顔で威嚇している…ピリピリと肌を刺す張り詰めた空気は、意外にも呆気なく崩れた。
「昨日の事をまだ根に持ってるのか」
「………何、今『まだ』って言った?」
ブチッと確かに聞こえた嫌な音と共に立ち上がった秋山のオーラは、黒いを越えてドス黒い。
念仏番長が情けない悲鳴をあげ居合番長の背に隠れる。しかし、色恋にはとんと疎い居合番長はこういう時どうすれば良いのかを考える事に精一杯のようで事態の収拾に動こうとはしなかった。
頼みの綱の番長がこれでは一般人であるクラスメイト達にはどうする事もできない。
絶望に、声なき悲鳴が空気を震わせた。
「アンタは、自分が何したか解ってない訳か」
秋山が二人称で『アンタ』と言う事は滅多に無い。大抵は飄々とした体で『君』と口にするのだ。
つまり『アンタ』と言う時は相当余裕が無いか相当怒っている時。
「あんな事で怒るお前の器が小さいんじゃねぇのか」
それを解っているだろうに、火に油を注ぐ金剛も冷静な判断ができないようだ。
やるならやるでせめて外で…というクラスメイト達の悲痛な願いは届かない。
「…へぇ、この前同じ事で一日中拗ねてたのは誰だったかなァ?」
誰なんですか、という突っ込みをする勇者は勿論居る筈もなく。
だがしかし、状況的に考えるまでもなく拗ねたのは金剛なのだろうが、拗ねる金剛など想像もつかない。
「あれはお前が鼻の下伸ばしてたからだろうが」
「鼻の下伸ばしてたのはアンタだろ。デレデレしちゃってさ、馬鹿みたい」
「俺はお前と違って女に興味はない」
それはそれである意味問題発言である。
密かに金剛に好意を抱いていた女子の悲鳴があがった。
しかしそんなものは二人にとって雑音でしかないらしく…
「口だけなら何とでも言えるよね。クラスの女子とか月美ちゃんとか陽奈子ちゃんとかもしかしたら大穴でサソリ番長とかだって何だかんだ言いながらしっかりタラシこんでおいてよく言うよ!」
「お前だって剛力番長に美味しそうだとか言っていただろうっ!」
「何深読みしてるか知らないけどあれはちゃんこ鍋の事だし!大体アンタ月美ちゃんにプリンあーんってして貰った事あるじゃないか!!」
「ちょっと待てあれはお前と知り合う前の話だぞ?!」
「へぇ知り合う前の話は無効なんだ!あぁそう!なら僕が白薔薇番長に色目使ったとか言われる理由も無いね!」
「それは違うだろう!」
「何が違うんだよ!アンタと出会ってすらいないのに!」
「だがお前は俺を知っていた訳だし…!」
「そんな屁理屈が通じるとでも…!」
…どんどんヒートアップしていくのだが、内容が凄く馬鹿馬鹿しい気がするのは気のせいだろうか。
話を要約するならば、つまりただの痴話喧嘩という事で。
「…何よ、馬鹿馬鹿しい」
「…全くですわ」
陽奈子と白雪宮は、呆れたように顔を見合わせ笑った。
「…授業、始めたいんだが」
後に響くは、一時間目の担当教諭が嘆く声だったとか。
少しは素直になれば良い。
素直になって、自分だけ見てくれと言えば良い。
そうしたら喧嘩も減るだろうに。
犬も食わぬは
(もう待ち合わせ外でするの止める!)
(そうだな!最初からそうすりゃ良かったんだ)
(結局別れないんですわね)
(心配するだけ損って事ね)
500番を踏まれたタカノ様に捧げます
リクエスト内容
『公衆の面前で痴話喧嘩というか優の方が嫉妬と独占欲でヒートアップ』
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