幸せだよ


愛情には色んな形があって。
でもどれも全部愛情なんだって。

だから全部大事なんだって。

兄ちゃんの言う事は、時々ちょっと解らないけど。


でも、今のこの瞬間はすごく












生温い湯に浸かっているような、酷く安堵する感覚がふと喧騒に浸食され半強制的に目を開く。
ピピピピッ、と鳴り響く電子音に、優はむっと顔を歪ませ、横になったまま腕だけを伸ばすと枕元の時計をポンッと叩いた。
ふぅ…一つ息をつき、重い瞼をパチパチと上下させながらなにげなく視線を動かすと、白いシーツがまるで波のように細かく乱れた先に、何かの塊。


(……何だ、金剛か)


何度か目を瞬いてから、漸く不鮮明なそれの輪郭を得て、呆気ない答に納得。


(………そういえば、昨日も泊まったんだっけ)


大きな身体を窮屈そうに横たわらせる男を認識し、現状を理解すれば、活動を開始しようとしていた身体からふっと力が抜けていくのが解った。
起こそうとしていた上体を、ゆっくりとシーツの波に戻しその柔らかな感触に深く息を吸う。
弛緩した身体を僅かに動かし顔を横にすれば、優の視界には再び金剛の姿が現れた。


(…よく寝てるなァ)


元々この時間に起きる習慣がついているからか、優の場合は現時刻となれば目覚ましが鳴らずともゆっくりではあるが必ず起床する。
それに引き換え、今現在隣でのほほんと眠っている男は、全く起きる気配がない。
普段、鋭いばかりの相貌は、瞼を閉じただけでも随分安らかだ。僅かに開いた口がどことなく幼くて、優は自然と微笑んだ。


「……ふぁ…」


ついつい零れた欠伸に、再び睡魔が襲いかかる。
金剛があんまりにもすやすやと眠るものだから、こちらまで眠くなるじゃないか、と優は見当違いな八つ当たりを内心で呟いた。


(…いやいや、起きなきゃ)


襲い来る睡魔をどうにかして遠退けようと、手の甲を瞼に当ててゴシゴシと擦り付ける。これが意外となかなかの効果で、もう少し強めに擦ろうとした時、手首をガシリと掴まれた。


「そんなに擦ると赤くなっちまうぜ」


寝起き独特の、掠れた、だが重みのある声が間近で鼓膜を震わせる。


「…何だ、起きてたの」

「まぁな……擦りすぎだぞ。赤くなってる」


掴んだ手首を離して、金剛の大きな両の掌が優の目尻を何度か撫でる。ゴツゴツとした掌は、その外見に反しまるで壊れ物を扱うかのように優しく、優はそんな触れ方にまだ慣れないのかどことなく居心地悪そうに眉をひそめる。


「…女の子じゃないんだから良いってば」

「まぁ、そう言うな」


口では文句を言いつつ、決して振り払ったりはしない優に金剛は内心でのみ気を良くする。
世の中の汚い事は何でも知っているとばかりに、世の中を見下したような態度をとる普段の姿よりも、自分の前でだけ見せる『秋山優』という人間はそこ等に居る普通の男子高校生と変わらない。
掌は、目尻から頬、頬から髪を撫で、最後の仕上げとばかりに唇が触れ合った。
ちゅっ、とわざとらしく音をたてて離れた金剛は、堪えきれない笑みをその顔に浮かばせる。
その腕の中には、真っ赤な顔ですっかりショートしてしまった優を抱き締めて。













「あれ、晄兄ちゃんどうしたの?」


寝ぼけ目を擦りながら広いリビングに入って来たのは、優の次にこの『はろばろの家』の年長者である幸太だった。
不思議そうにパチパチと瞬く丸い眼は、金剛の左頬にくっきりと残った紅葉へと向けられている。


「幸太、良いからご飯食べな」


キッチンから顔を出して笑う優の背後には黒い靄のようなものが見え隠れしていた。幸太は半笑いの顔で頷くと、それ以上は何も問わずに自分の席につく。
幸太よりも幼い弟妹達は、既に全員揃っており、自由気ままに朝食をとっていた。


「幸太、テレビばかり見ないでちゃんと食べて」

「箸が止まっているぞ」


朝食に手をつけ始めてすぐにキッチンと斜め向かいの席から同時に注意の声がとぶ。
思わずビクリと肩を震わせると、エプロンを壁にかけて優が席に着いた。


「持ち方も、この間注意したばかりだぞ?」

「こうだ」


何だかんだと息がピッタリな優と金剛のダブルタッグに、幸太は頷くのがやっとだ。
金剛の大きな掌には、細長い箸がまるでおままごとのようにちまりと存在している。わざわざ持ち方を幸太に見せてみせるあたりが、優の教え方よりも優しく(優の場合はできない事は自分でできるようになる方が身に付くという意味で見本を見せないのだが)幸太は一生懸命小さな指を動かして持ち方を変えた。
この場合、優が金剛に文句を言う事は無い。
優には優なりの教育方針というものがあるけれど、教え方が人其々なのは当然の事と認識していたし、何より金剛の行為は善意からのそれだと理解しているからである。
まぁ流石に、なわとびが出来ずに悩んでいる少年に、二重跳びならぬ七重跳びを教えようとした時には止めたが(あれは普通の人間には出来ないワザだと思う)


「金剛、しょうゆ」

「悪いな」

「いーえ。あ、そっちのふりかけ取ってくれる」

「あァ」


自分の手の届く範囲にあるものならばお互いに渡し合う。この光景が当然のようになったのはいつからだろうと幸太は思った。
初めて朝食の席に金剛が座っていた時、幸太を含む優の弟妹達はそれはもう驚いたものだった。幸太にしてみれば、初めて会った時に怖い思いをした事もあってなかなかすぐに打ち解ける事ができなかったのも致し方無い事である。
しかし、弟妹達はすぐに気づいたのだ。


金剛と居る時の優は自分達が知らない笑い方をする事に。


優が弟妹達に向ける笑顔は、彼らを庇護する者としてのものである。決して作っている訳ではないが、金剛と居る時の優はなんというかとても。








「幸太?」



「っ、ぇ?」








ぼんやりしていた時間が長かったのだろうか。優だけでなく金剛までもが不思議そうな眼差しを向けて来る。






(晄兄ちゃんと居る時の優兄ちゃんは、すごく)






そこで、幸太は考える事を止めた。
以前、知らない顔をする優が何処かに行ってしまうんじゃないかと金剛に泣きついた事がある。
その時はどうして金剛に話したのか幸太自身よく解っていなかったけれど、その時既に幸太は金剛を家族として受け入れていたのだろう。苦しい事を、苦しいと伝えられるような相手だと認識していたのだろう。
金剛は、そんな幸太の思いを知ってか、幸太が泣き止むまで根気良く待ち続けた。
そして、諭すように、ゆっくりとこう言った。



『幸太、愛ってのは一つじゃねぇんだ。家族でも、友達でも、大事な奴に向ける愛は其々違うんだぜ。だから余計な心配なんかするんじゃねぇ。お前の兄ちゃんはな、お前達の事を愛してるんだからな』



兄ちゃんを疑うのか?という金剛の問いに、幸太は勢い良く首を振った。左右に揺れる小さな頭をクシャクシャと撫で、金剛は月美にするように幸太を肩に乗せ、いい子だ、と笑ったのだ。






(優兄ちゃんのこと、疑ったことなんかないよ)




例え優が、金剛と居る時にとても幸せそうだとしても。
幸太は、優が自分達の事をとても愛してくれていると、信じて疑わないから。








「ううん。何でもないよ、優兄ちゃん、晄兄ちゃん」







そして、そう思えたのは、きっと金剛のおかげなのだと。
幸太はニカッと笑って、小さな指を動かし再び箸を持ち直した。











愛情には色んな形があって。
でもどれも全部愛情なんだって。

だから全部大事なんだって。

兄ちゃんの言う事は、時々ちょっと解らないけど。


でも、今のこの瞬間はすごく












幸せだよ

(金剛、テレビばかり見ないの)
(あっ!箸が止まってるよ!晄兄ちゃん)
(む…悪い)












555番を踏まれましたタカノ様に捧げます!

リク内容
「子供たちを交えて幸せな家庭を営む二人」




あきゅろす。
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