見えぬ明日へ、ただ一歩










時間はあるかと、突然家にやってきた男は何の感情も読めない顔でそう言った。

それは、昔の自分には解らなかったけれど、今は緊張しているのだと解るもので。



別に構わないよ、と。



何も気に負う事のないよう、笑ってそう返した。




最後に、改めたように二人きりになったのは、彼がその身を賭して地球全土を救いに行くよりもずっと以前の事だった。













おかしな話ではあるけれど、僕は、きっと彼も、思っていたよりは落ち着いて隣に並んでいる現状。
目の前には金剛家の墓標、兄は見知っているけれど母親の話を彼から直接聞いた事はなかったと思い当たり、そうしてその事を大して気にしていない自分にも気づいた。
一昔前ならば、彼が自分に秘密を持つだなんてと動揺していただろう。
大した進歩である。
進歩、そう、進歩だ。
彼へ抱いていた好意が消え去った訳ではない、けれども好意の熱情は燃え盛る炎のようなものではなかった。
それはまるで、さざめくだけの波間のように穏やかで、そんな風に思える自分はやはり歳を食ったのだなぁだなんて早くも考える。


「…お墓参りなのに僕が一緒でいいのかな?」


持参した花束を置いたっきりむっすり黙り込んでしまった男を横目で窺えば、あぁ、と端的な一言が返って来た。
相変わらず必要最低限の事しか話さないらしい、何年経とうがこの男はこうなのだろうかとすら思わさせられる。
しかしこんな風に、二人きりでのやりとりは本当に久方ぶりの事で、つまり僕は自分でも思う以上に落ち着いていた。
もう少し位は緊張すると思っていたのに、どうしてか何も気負わずに彼の隣に居られる。
罪悪感はそもそもなかった、彼に一人で死にに行けと言った時の事も、彼を待たずに愛した女性と婚姻を結んだ事にも、後悔や罪悪の念なんて、なかった。
だって前者はどうにもならない事だったし、後者は後悔や罪悪に苛まれるのが自分の勝手だとしてもそれは愛した女性を愚弄する行為でしかないのだから。
僕は彼女を、遥さんを愛している。
その気持ちに偽りはないし、況してや男がそれを責めるような人間ではない事も知っていた。


「…文学番長がたまに来てるみたいだよ」

「そうみてぇだな」


会話の糸口を探して切り出している訳ではなく、思いついた事をそのまま口に出しているからか、前後の話は繋がらないまま、それを男は咎めるでもなく普通の事のように返して来る。
パズルのピースが当てはまるような、痒い所に手が届くとでもいうのか、そういった安堵は昔から男の好きな部分だった。
何だやっぱり知ってたのか、と如何にも残念そうな響きを帯びた己の声にも、返ってくるのは端的な一言のみ。
変わらないなぁ、とぼんやり思いながら、真っ白な墓標を見やる。


「……秋山」

「うん?」


白い其処には名前が刻まれていて、小まめに手を入れられているのだろう、汚れた部分など何処にもない。
嘗て世界中を恐慌状態に陥れた男の墓にしては、誰の迫害に晒される事もなく、ただそこにひっそりと存在していた。
その墓標は、けれども文学番長や隣の彼にとっては大きな存在に違いない。
呼びかけに応えながらも目は墓標に固定したままでいると、男は珍しくも暫しの躊躇いを見せる。
ふっと湧いた沈黙は別段意外でも何でもなかったので、何だい、と弟妹達へ問い掛けるかの如く優しい声で促してやった。
しっかりしているけれど意外とお兄ちゃん子だったと知ったのは、彼が居なくなってからの事だ。
ザァァァァッ、とそれまで静かに行き交っていた風が木々を揺らし音を立てた。
揺られるままパラパラと降り落ちて行く緑葉が視界を掠めたかと思えば、男が漸く口を開く。


「俺は―――」

「彼は、正しかったよ」


最後までなんて聞かずとも解っていたから、敢えて遮って答えた。
遮る必要があったのかと問われると、なかったようにも思えたが最後まで言わせる必要があるとも思えない。
初めて男が此方をあからさまに見るのが解った。
肩を竦め、それでも男の方は見ないまま、墓標を眺める。


「力のない者は淘汰される、それは真理だった。やり方はまずかったけどね」

「…なら、俺は」

「でも君が止めなきゃ、僕はきっと此処に居ないんだよ」


力のない者、当時の自分にとっては弟妹達がそうだった。
それを奪い去られてしまったら、例え勝ち目がなかろうと自分は刃向かっただろう。
罪悪を感じているのは、男の方だった。とはいえそれは自分に対してのものではなく、今目の前の墓標に刻まれた名を持つ兄へのものだと知っている。
人間とは愚かしいもので、それは金剛類に分類されている男でも変わりはないらしかった。
何かもっと他の道があったのではないだろうか、兄も生きていられたような、そんな選択肢があったのではないか、そんな風に考えてしまうのだろう。
俺がやった事は、兄貴がやろうとした事は、正しかったのかと。
善悪の判断なんてものはその人間の立ち位置によって違うのに。


「少なくとも僕にとって、君は正しかった。君が思うよりもずっと、僕は感謝してる」

「…そういうつもりで聞きたかったんじゃねぇ」

「うん、それも知ってるけどね。でも君だって、僕が捻くれてるのは知ってるじゃないか」


価値観なんてものは人それぞれで、だから世の中はねじ曲がってばかりだ。
だから戦争は終わらないし、彼の兄の言う通り力のない者は排除される側に回るしかない。
それでも誰かしら、頂点に立つことのできるカリスマ性を持ちえた存在が居るから、辛うじて均衡というものは保たれている。
君はさ、と口を開いたはいいものの、続けていい言葉かどうかの判断はつかなかった。
それでも彼が求めているのは誰でもない僕の言葉であるのだと、ただ現状の要素から冷静にそう判断して、言ってしまえとそのまま咽喉を震わせる。


「許されたいんだろ。誰でもいいから、お前は正しいってさ。自己肯定して欲しいんだ」

「…………そうなのかもな」

「…今のは怒ってもいい所なんだけど…ほんっと、君って懐広いのか単に馬鹿なのか解らないよなぁ」

「どういう意味だ」

「そのまんまだよ。全く、これじゃ陽奈子ちゃんも苦労するよねぇ」


流石に怒るかと思っていたが、男はいつも此方の予想を逸脱してくれる。
がっくりと脱力し、笑いながらそう言えばほんの少しの沈黙。
あぁこれこそ地雷だったかと、思い当たればそれこそ本当に笑うしかなかった。
自分に対しては持っていないと思っていた罪悪が、どうやら本当は持っていたものだと解ってしまえば、それこそ。


「…僕は、謝らないよ。意味も必要もないし、何より君にも遥さんにも最悪な選択になる」

「…………謝るなら俺の方だ」

「僕は今幸せなんだから、君が詫びる事なんてどこにもない」


君も今、幸せなんだろう?
そう訊けば、暫くの間を置いてから頷いた。
それを否定してしまう事は、彼を待ち続けた陽奈子の存在を否定するのと同義なのだから。
不思議なもんだよね、と声を零す。
一昔前までは、僕達は恋人同士だった。
同性だというのに、障害なんて物ともせず、それこそこの生涯できっと一人だけとすら思える程に、愛し合っていた。
それならば今、こんなにも落ち着いて話しているのは本当に妙な話だろう。
彼は僕を一人にした事を、僕は彼を待てなかった事を、多分当時は、もっと苦しかったかもしれない。
それでも今は、落ち着いている。


「僕は君以外、愛せないと思っていたんだ」


本当におかしな位、彼しか愛せないと思っていた。
もっと正直に言ってしまえば、今も彼の事は愛しいと思っている。
けれどもそれは、昔持ちえたそれと別のものだ。
不安になって無様に縋りついて、抱いて貰う度に安堵したような、あんな激しい熱情とは違う。
もっと穏やかで、優しくて、形には見えないけれど、それでもずっと温かいものだ。


「大変不本意な事にね、君は君で、特別な枠に居るんだよ」

「…………俺にとっても、そうだ」


俺には不本意じゃねぇが、だなんて応える声は気のせいではないだろう、柔らかさを持っている。
仕返しだなんてタチの悪い事を覚えたのか、と悪戯に微笑んだ。
思い付きで握り拳を突き出す。
意図を察した男の、同じそれが、コツンとぶつかった。
あぁ何だろうねこれは、どうしてか目頭が熱くなって行く気がして、らしくないと笑って誤魔化す。
風が木々を揺らし、葉が舞い落ちて、気づけば墓標の前に佇んで随分な時間が経過していた。


「さて、と。行こうか、そろそろ帰らないと陽奈子ちゃんも待ち草臥れてるよ」

「あぁ……秋山」

「ん?」


白い墓標に背を向けて歩き出す。その背中に男の声がかかった。
振り向けば、彼は常の厳しい表情を緩め、笑っている。
あぁ、この顔は僕が好きだった顔だな、なんて思って微笑み返した。


「結婚、おめでとう」

「―――ありがとう、金剛」


ねぇきっと、きっとさ。
僕達は、新しい関係を築いて行けるよ。

だって、恋だけが愛じゃない。


それを教えてくれたのは、誰でもない君なんだから。















見えぬ明日へ、ただ一歩
(君達の結婚式にも呼んでね。何があっても、行くからさ)





























当時の感想でも書いた気がするんですが猛に対して扱いが可哀相過ぎる気がする…それを書きおろしで凄い救われたので、金剛には秋山と一緒に墓参りして貰いました。
一番中立的な話をしてくれそうなのは秋山なんだろうなとか、結婚に関して罪悪感っていうかお門違いな意識を持つのは金剛の方なんだとうなとか、そういうのが上手くまとまらなかっ…orz
親友的ポジになればいいと思うんだ…恋人でなくても特別なんだよ、みたいな…!




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