無意識のゼロセンチ











駅のロータリーの前で、居合番長こと桐雨刀也はむっすりとした顔で腕を組んで佇んでいた。
明らかに何事かに対して不愉快だと述べている態度には、普段彼の美貌に近寄って来る人間も近付いては来ない。
むすっとした顔で周囲をちらりと見ると、桐雨は何度目になるのか数えるのも面倒な位に吐いた溜息を零した。
時刻を確認しようと改札口下に下がった時計を見ると約束の時間から長針が二つ分程ずれている。


「呼びつけておいて遅刻とは…」


なんというだらしなさかと、思いながら連絡をとる事にする。
常は滅多に使う事のない携帯電話を懐から取り出し着信履歴の番号をリダイヤルしようとした所で覚えのある気配が近づいてくるのが解った。
開いた携帯電話を閉じ、懐に入れ直した所でその気配の主を振り返る。
勿論、桐雨に取り繕うというような事ができる訳もなくむすっとした顔はそのままだ。


「遅刻だぞ、道化番長」

「こっちじゃなくてそっちがよ!」

「なっ…」


振り返った先には私服姿の道化番長姉妹が小走りでやってくる所だった。
開口一番にそう言った所で姉である朝子が腰に手をあて仁王立ちしたかと思えば指先をビシィッ!と桐雨へ突き付ける。
これには桐雨も目を瞠る。
まさか遅刻した側に謝られるのならばともかくとしてよもや大儀な仕草で指を突き付けられ叱責されるとは思ってもみなかったのだから当然だろう。


「待ち合わせの場所、何口か覚えてるわよね?」

「戯けた事を…南口だ」


道化番長姉妹とメールアドレスの交換をしたのはつい先日の事だが、昨夜突然送られてきたメールには場所と時間だけが書いてあった。
何の用かも言わずに、という失礼極まりないメールに行かない旨を伝えたがずっと待ってるからね、などという返信に放っておく事もできずやってきたのがつい先程の事である。
内容をそのままに覚えていた為、告げれば、朝子はその通りだと肯定の意味で頷いて見せた。一体どこに問題があるというのか。


「そうね、南口。でも居合番長が居たのは北口よ?」

「なっ…」


どこか呆れた口調で苦笑する朝子に、まさかそのような事がある訳が…と見回せば確かに先程確認したばかりの時計の横には北口と書かれた看板が下げられていた。
これには桐雨も瞠目するしかない。
それに加え、相手が遅れているのだと決めつけたまま遅刻だなどと断じるなどそれこそ自身の方が失礼な事をしているではないか。


「…す、すまない」

「全く、夜子がもしかしたらこっちに居るかもって言うから来てみたけどまさか当たってるとは思わなかったわよ」


意外と居合番長って抜けてるのね、という言葉を耳にしながらここまで一言も発していない妹の夜子を見ると目が合った所で遠慮がちに微笑みかけられた。
控え目な仕草には何故だか申し訳なさよりもずっと胸が騒々しく感じられてどうにもよろしくない。


「…居合番長は…遅刻とか、しない人だと思ったから…」

「そ、そうか…待たせて、すまなかったな」

「ううん……いいの」


桐雨と夜子の顔色は何故だか仄かに赤く染まっており、色々な事情を察している朝子だけが常の面でいる。というのは語弊であって朝子は心底楽しそうに笑っていた。
それは状況を面白がるというよりは二人のやりとりに対してという意味合いが大きいかもしれない。
何はともあれ漸く顔を合わせた所で桐雨は一体どういった事情で今呼び出されているのかを問う。
答は勿体ぶられる事もなくあっさりと、簡潔に返ってきた。


「バーゲンセールに付き合って欲しいの」


私じゃなくて夜子のね、というのは朝子の言葉である。
一体全体どういう訳でそういった話になったのか、そもそも何故自分を誘うのか、といった疑問は浮かぶものの、待たされた側ならともかくとして待たせてしまったのだからここは一つ快諾すべきなのだろう。


「……まぁ、構わないが…」


とはいえ返した言葉は快諾とはやや言い難いものだったのだが。



















大体にして大きな駅がある街というものは栄えていて、駅の近くにデパートの一つや二つでもあればそれはもう殺人的な位に人が湧くというものであるらしい。
大抵の生活用品は家の者が用意するし、個人的な買い物は老舗の使いが来た時に言つけて頼んでいる為、滅多な事では外に買い物に出る事もない桐雨は目の前でわらわらと溢れては行き来する人の波を些か呆然と見送った。
隣でそんな桐雨を一体どうしたのかと伺う夜子にはこれが普通なのだろうと察する事ができる。
学校という場では確かに人は多いものの一定の年齢制限がある為に顔を合わせるのは当然同年代の者ばかりだが目の前を行き来していく人間には年齢どころか人種もいくらか日本人ではない人間が混ざっていた(周囲から見れば異常に美麗な顔と桃色の髪をしている桐雨の方が日本人には見えないと思われているのだが本人はそれに気づいていない)


「それで、服を買うのか?」

「うん…あと…鞄とか、靴も」

「随分と物入りなのだな」

「バーゲンだから…」


そもそも、その「ばあげん」とやらは一体何なのだろう。
一々横文字を使われるのは好まない桐雨であるが、朝子も言っていた事だし常用される言葉なのだろうか。となれば怒るのも夜子にとっては理不尽に感じられるのではと思い桐雨にしては珍しくも口を噤む。
けれどもそういった桐雨の葛藤は見抜いているらしい夜子がどこか微笑ましそうに笑ってみせた。


「バーゲンはね、いつもよりちょっとだけ物を安くしてくれるの」

「ふむ…そのばあげんとやらは親切な御人なのだな」

「……うーん…」


説明の仕方が悪かったのかと夜子は困ったように僅か首を傾げて言葉を濁した。
物を安く「してくれる」というのは人がそのように行動しているのだと聞こえてしまったのだろう。
訂正するのも桐雨の顔に泥を塗るようなものかと、夜子はとりあえず物価が安くなるという事だけ理解してくれればいいとばかりに説明を放棄した。
元よりそう口が立つ方ではないというのも説明放棄の一因である。
何だかんだ言いながらもデパートに入った二人だが、迷いなく歩いて行く夜子に続く桐雨は周囲を物珍しそうに見ていた。
そもそも先程も述べたようにあまり外へ買い物に出ない桐雨はデパート自体が初めての事らしく、桐雨らしからぬ落ち着きのなさに夜子は桐雨からは見えない所でそっと笑みを浮かべる。
突然のメールに突然の呼び出し、しかも行かないと言っていたのだからどうしたって不愉快だろうに、と実は様々な心配をしていた夜子である。
途中で帰られても文句は言えないと思っていただけに、人ごみを不快がるより先に興味が頭を擡げてくれた事に感謝した。


「ねぇ、居合番長。まず6階………に…?」


そっと微笑んでから後ろを振り向いた所でつい先程まであった筈の姿を探すもそこには見も知らない人間が時折肩をぶつけ合いながらも行き来しているだけだ。
まさかと慌てて周囲を見回しながら足を動かす。
慣れない人ごみで流されてしまったのかとあたりを探してみるけれど日本人特有の黒髪、若しくは若者に多い茶髪ばかりが視界に入り桃色の髪が映る事は無かった。
こういった時の待ち合わせ場所は決めていなかったし、それなら携帯電話に連絡を入れてみようかと鞄に手を差し込もうと…した所で、突然後ろから手を引かれる。


「きゃっ…!」

「何処へ行こうとしているんだ、道化番長」

「え…い、あい番長…?」

「全く、少し目を離したと思えば居なくなっているから驚いたぞ」

「ご、ごめんなさい…」


夜子からすれば突然居なくなったのは桐雨の方である筈なのだが。
しかし夜子がそこに突っ込む程無神経でもなければそこまで頭が回らなかった事もあってか、その口から零れたのは謝罪だった。
元より責める気も無かった桐雨は、いや無事で良かったと微笑む。
番長としての制服を着てはいないが何時如何なる時に誰が襲ってくるとも知れない。
そんな中、たまの休日に一緒に居るのならば安否も気になるというものだ。


「……あの、居合番長」

「何だ?」

「良かったら…その…またはぐれちゃうと困るし…繋いだままでも、良い…?」

「……か……構わない、が…」


繋いだ手のひらが徐々に熱を帯びてくる。
佇んだままでいる二人を邪魔くさそうにする人の視線を避けてエレベーターフロアへ向かった。
最初は6階へという事で目的のフロアに出ると若い女性が行き来していた。
中には過剰に肌を露出した者も居て、桐雨が危うく鼻血を噴きかけた所を夜子がそっと支える。


「そっちじゃなくて、こっち」

「……」

「居合番長は此処で待ってて…私、あっち見てくる」

「……あれに、行くのか」

「うん」


桐雨の頬は些か引き攣っている。
問いこそ確認の意味を含んではいたがその声色は嘘だと言ってくれと言わんばかりだった。
二人の目の前は正に戦場と言っても過言ではない女同士の争奪戦が繰り広げられている。
一つの服…と思わしきくしゃくしゃになった服を方々から手が取り合うのが人の隙間から僅かに見えた。
人だかりの更に人だかり、その中に行くと言うのだからこれは止めるべきではないかと思案した程である。
けれど夜子はそれに何の躊躇いもなく頷いたかと思うとそのままスタスタと歩いて行ってしまう。


「ど、どうけばん…」


呼び止める暇もなく夜子の姿は人だかりに消えた。
それから数分もしただろうか、何の気なしに、といった体で帰ってきた夜子は紙袋を二つ手にしている。
一体いつの間にレジまで済ませたのか、無事かと、まるで戦場から帰ってきた戦士を迎えるような事を考える桐雨を余所に、夜子は桐雨の前に屈んだ。


「良かったら、これ見ていて」

「……」

「……居合番長?」

「…い、いや…」


紙袋がカサリと音をたてる。
それじゃあお願いします、そう言って離れた夜子に、桐雨は人知れず張り詰めさせたていた息を吐き出した。





























無意識のゼロセンチ

(今日はありがとう、居合番長)
(いや……ところで、道化番長)
(はい)
(ばあげんという御人は一体何処に居たのだ?)
(…………うーん……)






























■リクエスト内容
居合*夜子
夜子のデパートバーゲン巡りに付き合わされる居合。
人があまりに多くて、夜子が居合とはぐれたと思ったら、居合がすぐに見つけてくれた。

と、言う訳で。企画第九弾です!
居合と夜子は帰りの駅まで手を繋いでいればいいです。
そして駅での待ち合わせですが改札口を間違えるのはあるあるネタですよね!(よく友人がやらかす)
居合が手を取ったのも道化がかなりの近距離に近づいたのもほんと無意識、二人して天然だったら良いです。
リクエストありがとうございました!

title/確かに恋だった




あきゅろす。
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