きれいな青空の下で










その手が欲しかった訳じゃない。
その手が与えられるとは思ってもいなかったから。
ただ、甘んじていた。
与えられたものを手に入れたと錯覚し続けたくて。


その心が欲しかった訳じゃない。
その心を手に入れられるなんて思っていないから。
ただ、享受していた。
優しくて甘ったるい夢の中に身を浸していたくて。


いつかは笑い話にもなるのだろうか。

おじいちゃんになっても、君と顔を合わせられたのならば。

























青でも赤でも黒でもなく、灰色になった空から銀色の線がいくつも落ちてくる。
洗濯物を取り込んだベランダはがらんとしていて、ポツ、ポツ、と点をタイルに染み込ませて、繋がって、広がっていった。
屋内に居るのだから濡れる心配はないが、休日に雨とはなかなかツイていない。
しかし窓の外をボンヤリと見ていれば時間は何の情けもなく過ぎ去っていくとも知っていた。
思考する事は嫌いではない。
今や近くはない場所に居る愛しい家族達にも、この雨は降り注いでいるのだろうかと考えて、否定する。
都内に居るならばともかく、東京から出ている家族にはそう都合のいい事はなかろうと。
梅雨明けを撤回するというニュースが流れてから幾日も経たずに、空模様は芳しくなく、晴れていたかと思った空には雲が身を寄せ合い太陽を覆い隠してしまった。
止んだかと思えば降って、降ったかと思えば止んで。
東京はまだ良いが、地域によっては大雨洪水警報が発令され、土砂災害に見舞われているというニュースを目にするのも少なくなかった。
しかし所詮は他人事だ。どんなに心配した所で、その地域に居る家族が災害に見舞われた所で、己はそこに飛んで行ける訳ではない。
青いネコ型の機械人形のように、便利な道具でも持っていれば話は別だが、残念ながら自分は万能ではなかった。万能で在りたいとは思っていたのだけれど。
結局自分はただの一人の人間であり、そして当時は幼かった。
家族の中では一番の古株ではあったけれど、それでも世間で真面目に働き綺麗なお金を手にしている大人たちから見れば充分に小狡く、矮小な高校生だった。
しかし、大人になった今でもそれは変わらない。
結局自分は一人だ。一人では守れるものなどタカが知れていた。
そしてそれを口惜しいと、今は思わない。何故なら、家族は皆立派に自分の道というものを選んで行けるようになったし、兄ちゃん兄ちゃんと助けを求められる機会はもう殆ど無いに等しかったからだ。
取り残されたのは、自分だけ。


「…………」


何か暖かいものでも飲もうと、腰を落ち着けていたソファーから離れてキッチンでヤカンを火にかける。
珈琲か、紅茶か、考えながら戸棚を覗き込めば選ぶ余地もなくインスタント用の日本茶だけがあった。
昔は此処にココアの粉もあったのだが、弟妹達が居なくなってからは置いていない。
取り残された、と、こんな所でも思って、次に否定する。
自分はあの子たちよりも大人だった。例え世間では子供であっても、弟妹達にとっては間違いなく大人だった。
だからあの子たちが己の道を選ぶ時、相談してくればそっと背中を押してやった。
此処に留まりたいと言って聞かなかった子供も居たが、やりたい事をやってくれる事が一番自分も嬉しい事だと説き伏せて追い出した。
そうだ、取り残されたのではない。自身があの子たちを追い出した。自分の意思で此処に留まった。
あの子たちの帰る場所になりたかった。いつまでもあの子たちにとっての大人で在りたかった。
それを誤った選択だとは思っていない。あの子たちの為と言いながらもそれは己の願いそのものでもあったからだ。
ならば何故、自分は今更になって取り残されたと思ったのだろう。
ティーパックを手に、何を妙な思考に浸っているのか。しかし今自分には考える位しかやる事が無い。
窓の方を見ると、やはり雨は降っていた。
嫌だな、買物に行くのが億劫になる。
手持無沙汰を紛らわすようにポケットから携帯電話を取り出してメールや着信がないかの確認をした。便りが無いのは元気な証と言うが、実際に何某か怪我や病気をしている状況では普通なら音信不通にもなるだろう。正直どちらを信じるべきかも解らないが、訃報の一つもないというのに不安に陥るのも馬鹿馬鹿しいのでパチンと音をたてて携帯電話を閉じる。
と、閉じた事によってとは違った光がサブディスプレイに映り込み、メール受信中と小さな文字が浮かんだ。
なんというタイミングの良さだろうかと思いながら携帯を開き直す。ヤカンの口から僅かに蒸気が零れ始めた。


『送信者 金剛』


弟妹の誰かだと思っていたメールは、どうやら誰でもなく金剛だったらしい。
メールというもの自体を知らなかった男が今ではすっかりそれを扱えるようになったのは時の流れというものなのだろうか。昔は陽奈子と一緒に携帯電話の操作法を教えては携帯を壊す金剛に呆れていたものだ。


あぁ、いけない。


過去を思い出すのはあまりよろしくなかった。
思い出に浸るのは危険だ。
特に対象があの男なのだから、余計にいけない。
苦笑で誤魔化して、誤魔化す相手も居ないが、この場合はおそらく自分に対しての誤魔化しなのだろう。
受信した途端ブルブルと震え出した携帯電話のボタンを押し、メールを開く。


『これから行く。土産はプリンだ』


簡潔な用件のみを連ねたメールと、その内容に息を吐きたくなって、どうにか呑み込んだ。
むぐ、と妙な呻きが漏れたが気にしないでおく。
以前に一度、ついつい酒が進んでしまった己が金剛に八つ当たりしてから、彼はこうして確認のようにメールを送ってくるようになった。
別に彼が悪い訳ではないのに。
悪いのは、肝心な事は何も言わないクセに我儘を言って、断られたからって八つ当たりをした自分だ。
けれどあの夜から、金剛は変わった。
優しいのは前からだけれど、こうしてメールで此方の意向を確認するようになった。それは決定権を此方に与えるという事だ。己が拒否しなければ金剛は此処へ来るという事だ。
それを喜ぶ浅ましい自分が居る。自分が求めた訳でもないのに彼は自ら進んで此処に来てくれるのだと浅はかにも喜ぶ自分が居る。
醜い。
醜い。
醜い。


「っ」


ピィィィィッ、とヤカンが悲鳴をあげた。
それはまるで金切り声のようで、それはまるで己の悲鳴にも似ていた。
ぼんやりと、カタカタと震えるヤカンの蓋を見ながら、唐突に笑ってしまいたくなる。
放っておいてくれと言った所で彼は此処へ来るのだろう。
決定権は与えられた訳ではない。
彼がただ、善意の押し売りに気づいただけで、内実に変わりなど、ないのだ。
与えられたのは目に見える罰だけ。
不条理に彼を傷つけた罪を、ただただ思い知らされるだけ。

自分が求めた訳ではないと言うけれど、己は彼の前でどんな顔をした?どんな事を言った?

弱い所を見せれば彼が此処へ来てくれる事を知っていたではないか、自分は、そうだ、知っていたのだ。
喜びを感じたのは、彼の誠意にではない。己の策が実った事に、喜びを得たのだ。
なんという矮小な人間なのかと、己を嘲笑ってやりたい。嘲笑った所で、己のやり方を変える事はないだろうに。
こんなものは恋ではない、愛ではない。
醜い独占欲だ。占有欲、所有欲、独裁者の思考。
手に入らないものを欲しがっているだけだ。
そうだ、これは、恋でも愛でもない、彼の事など好いてはいない。

そうでも、思わなければ、


(この涙に、何の言い訳もできない)


溢れる、火が消える、音が消える。
蒸気に熱さは容易に想像がついた。
触れたら白い肌は赤に染まるのだろうか。
いいや灼熱に身を焼くだけでは足らない、足りよう筈がない。
いっそ切り裂いてしまえばいい。
手を、首を、喉を、目を。
己がそうなったその時、彼は此処を訪れるのだろう。そうすれば彼は、一生己の顔を見に来てくれる。
また馬鹿な事をしないようにと、見張りも兼ねて、友人面して、己に会いに来てくれる。

いいや違う。
己が求めているものはそんなものではない。
そんなものではないのだ。


『なぁ、卑怯番長』


その声が。
その声が、自分を呼んでくれれば、それだけで良かった。


『おい、卑怯』


その目が。
その目が、自分を見てくれただけで、嬉しかった。


『秋山』


君が。
き、み、が。

―――傍に居てくれるだけで、良かった。


「…っ……ぅ、…………」


あぁ、これは恋だ。
あぁ、これは愛だ。
欲情が絡まる前の、綺麗な気持ちのままだったなら、彼にそれを伝えられたのだろうか。
独占欲でも占有欲でも所有欲でもなくただただ綺麗な想いをそのままに持ち続けていられたのなら。

握り締めた携帯電話が震える。
着信は金剛からのものだった。
出れる訳もなくて、それでも出ないといけなくて、鼻を啜りながら、目を擦りながら、通話のボタンを押す。


『秋山か?なぁ、土産なんだがミルクとかマンゴーとか色々あるんだがお前は何がいい?俺はオレンジプリンってのに挑戦してみようと思ってるんだが』

「……」

『あぁ、バナナはこの前食ってみたがあまり美味くなかったから勧められねぇ。カスタードは気に入ってるがお前甘いの平気だったか』

「……ふ、ふふっ……」

『……秋山?』

「はははっ、あははは、ふふっ、は、」


おい、大丈夫か?だなんて声を聞きながらも湧き上がる笑い声は止まらない。
何がおかしいんだか自分でも解らないけれど、笑った。
笑うしかなかった。


「……ねぇ、金剛?」

『何だ?』


彼は昔から全く変わらない。
だから、きっと。
彼の中では、己の位置も変わらないのだろう。

仲間で、友人で、――――――大事、だと、思ってくれているのだろう。

それならそれで良いと、今はまだ言えないけれど。
いつかはきっと、笑い話にでもできるようにと願いながら。


「プリンよりケーキがいいな、僕」


ほんの少しだけ、それでも君が笑ってくれるであろう範囲内で小さな小さな我儘を零す。

雨はもうあがり、空からは光が差していた。






























きれいな青空の下で

((それでもまだ少しだけ想っていても許してくれるよね))







































宇多田ヒカル/Passionより。
せつないけど前向きに。
待宵、夏草と続いたこのノンケ金剛シリーズ(?)ですが、これにて終幕です…一応(ぇ)
これから金剛は普通に婚約した女性と結婚するし、秋山は相変わらず金剛を好きなままでいるけどいつかは違う人を好きになると思います(それがまたノンケだったら大変だね(そもそも同性が前提か))
ちょっと兄貴を出そうか迷ったんですが、兄貴は実際卑怯とはそんなに接点ないと思うので原作重視で、うん(卑怯がホモな時点で原作重視じゃないじゃんとかツッコミはなしで!(汗))
くっつきはしませんでしたが、いい友人関係でいるのもこの世の中だと大変な事でそんでもって大切な事だと思います。
そんな感じに、恋人とはまた違った幸せの形を二人が得ていればいいなと思いました。




あきゅろす。
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