隔絶された世界、それは










君は問うた。
如何したら強くなれるのかと。

君は問うた。
何故強くなろうと思ったのかと。


答はきっとひとつではない。

肉刺の潰れた、カサついた小さな手のひらの感触も。
浅い呼吸を繰り返し、地面に染み込んでいった涙も。

答はきっとすべてであった。


























夏の、暑かった日だったろうか。
それとも初夏の、まだ僅かに涼しい日だったろうか。

初めてあの子に会った時の事は、実を言うとあまり覚えてはいない。

何故なら当時の自分が、己を含めて世界を理解していなかった為に、周囲の景色というか輪郭というか色彩というか、そういった全ての物がひどく曖昧で、そしてそれらの曖昧な物に対し、自分は無感動だったからだ。
世界は箱庭のようで、隔絶したその箱の中で自らの身体を、心を、精神を、朽ちさせてゆく為だけに生きている人間、動物、とかく生き物というものに、何の感慨も、興味も、まるで無かった。
ただ、強くなりたいと。
何故だか自分でもよく解らない内に強さを求め、そして剣を取った。
以前まで剣を手にしていたという祖父から基礎を教わり、そして覚え、実践していく内に、祖父の友人が営むという道場を勧められ、そこであの子に出会ったのだと記憶こそしているが、思い出という部類ではない。
ただ、祖父の友人という男の顔と、彼の顔がソックリだと、その時自分が抱いた感想はその程度のものであり、教えを乞うようにと言われた対象が男の方なのだからその横に並ぶ少年に興味を抱く必要性もあるまいと断絶した。
一切の興味を抱かなかった自分とは違い、あの子はじっと自分を見ていた。
その事に気づき、そして納得したのは、道場に通うようになって暫くしてからの事である。
道場に通う者の中には、自分と彼以外に子供といえる年代の者が居なかった。それは道場の方針と、それを取り仕切る師の厳しさにあり、子供が冷やかしのようにやって来てもすぐに辞めてしまうのである。
中には文句を言いにくる父兄も居たが、元より甘い世界ではないと言ってあるのだからと師は取り合う事をしなかった。
幸か不幸か、それ故に、あの子には友人というものが居なかったらしい。そしてそれは、これからも変わらないのだろうと思えた。
とはいえ、彼よりも幾分年を重ねた自分にあの子が自ら話しかけてくる事はなかった。
ただじっと見つめてくる。
物言いたげに。
かと思えば、清んだ眼で。
かと思えば激情を堪えた眼で。


――――――何か言いたい事があるのなら、言えば良いものを。


そう思いながらも、それでも此方から声をかける事もしなかった。
思えば奇妙な膠着状態であったのやもしれない。
あの子がじっと此方を見る。
己が彼を見る。
あの子は慌てて明後日の方を向く。
此方が目を逸らす。
あの子の視線が戻ってくる。
あの子は年にしてはやけに落ち着いていた筈だが、悪戯の如くそれを繰り返す姿は年相応とも言えたかもしれない。
何にしても、あの子は根が真面目だからか、盗み見るという類の行為がそれはもうヘタクソだった。
夕餉の折、それを祖父に零した事がある。
何を求めてでもなく、ただ最近道場はどうだと聞かれたから答えただけの事なのだが、祖父はそれを聞くと生きてきた年月を表す皺だらけの顔をくしゃりとさせ、そうかと一言述べただけで、それ以上は何も言わなかった。
朧げにも、祖父が何かを喜んでいる事は解ったが何を喜んでいるのかまでは解らなかったので、自分は内心首を傾げていたのだが。
それから暫くしてもあの子は変わらなかった。
逆に、日に日に距離が近づいていくようにも感じられて、不意に野良の獣のようだと思った。獣というには随分と小柄で可愛らしいものであるが。
あれでは狩りなどできはしまい。
彼の剣は、まだまだ未熟で、しかし真っ直ぐだったから。

ある日の事だ。

道場に一歩踏み込めばすぐに感じられるあの子の視線は元より、隠れているつもりでも見えている姿形がなく、師の様子もおかしかった。
何かあったのだろう、しかし何があったのか。興味というものを持ったのは、剣を置くとこれが初めての事だった。だがそれ故に自身は事を探る術を持たなかったので遠回しな事は言えず、どうかしたのですかと、あんまりな問いを投げかけたのだから目も当てられない。
それでも師は、あの子の血縁故にというべきか、真っ直ぐな人格をしていたので、子供の無邪気な、それでいて攻撃力の高い問いに難しい顔をしながらも庭へ行けば解ると呟いた。
母屋と道場の狭間にはささやかながらも庭がある。
其処に彼が居るのだろうか。
師の言葉を反復し噛み砕き理解してみると、それは己に庭を見に行けと言っているようなものだが、今は稽古の途中だった筈だ。師の言葉に何の言葉も返さずぼんやりと道場の出入り口を眺める。
蜃気楼に歪む空間を何とはなしに見ていると、師が己を呼び、休憩を告げた。
行け、と。そういう意味なのだろう。
一礼をし、稽古用の木刀を棚に掛けて踵を返す。師はやはり難しい顔で頭を掻き、如何にも思い悩んでいるという風体で佇んでいた。
母屋の方にある庭と比べて随分簡素な庭は、目で愛でるというよりはあるがまま育てているというようなもので、立派な樹木が立ち並び、其処此処に木陰を作っている。
その中の一つに、その身を屈めている姿があった。膝を抱いているのか変に背中が丸まっている。


「…………」


名を呼ぼうとして、一瞬の躊躇い。
笑ってしまう話ではあるがあの子の名をすっかり記憶の彼方へ追いやっていたのだ。
そもそも、人間に限らず己と他の物を区分する基準は有害か無害か、有益か無益か、それでしかない。
興味が無かったのだから致し方がないとはいえこの場合に限ってはそれを後悔してしまう。
別に声をかける必要性など自身にはないのだが、稽古を中断してまで師が促したのだから、己にこの状態を解消させようとしているに違いないのだ。
記憶をひっくり返し、どうにかこうにか名前を手繰り寄せようと試みるも、ジリジリと照りつける太陽に思考がうまい事回らない。
立ち尽くす己、しゃがみ込む彼、傍から見れば奇妙な光景だった事だろう。


「……刀也、君?」


だから彼の名と思われるものを紡いだ時には、彼以上に驚いたと言い切れたと思う。
それもまた疑問形というどうにも情けないものだったが、彼にはかろうじて呼びかけに聞こえたのだろう、背中がピクリと震えた。
恐る恐ると振り向いた彼の目には大きな大きな、透明な雫が浮かんでいて。
その目が此方を捉えた瞬間、見開き、ぐっときつく細められた。
明らかな敵意にどう返したら良いものだろうかと考えたのは一瞬で、そう近くはないけれど遠くもない位置にしゃがみ込んだ。
事態の収拾に努める気はもはやないが、何の心当たりもない敵意の理由は聞いてみたい気もする。
その場に留まる意思を表示した自分に、彼はきつく細めた目をほんの僅かに丸くした。
それから悔しさを堪えるように唇を噛み締めて腕で涙を拭う。
浅い呼吸の音に、彼が常の状態ではない事を知ったが、だからといって此方が対応を変える道理はない。
手慰みの如く、砂地に指先を滑らせ意味のない絵を描いていく。
まる、さんかく、しかく、まる、まる、ばつ。
傍観の姿勢を貫く己に彼は呼吸を整える為の深い息を吐いてから、鼻を啜った。
その仕草は年相応に幼く、まだ子供なのだと、解りきった事実をぼんやりと認める。


「……なぜですか」


小さな口から紡がれた声に顔を向けると、彼は真っ赤な目を此方に向けていた。
言葉の真意を知るには判断材料が足らず、黙したまま此方も同じように彼を見やっていれば、彼は唇を噛んだ。


「…………わたしは、つよくなりたい、です」

「…なれば良いではないの」


何を馬鹿な事を言うのかと。
土の上に描いたまるの中に小さなばつを描く。
聞く気のなさそうな態度は彼の幼稚な自尊心を刺激したのだろうか、ざり、と砂利の音が響いたかと思えば描いたらくがきの上に草履を履いた白い足が乗り上がった。
砂埃を僅かに巻き上げ、ざりざりと踏み躙る足の持ち主は見上げるまでもない。
解りやすい子供の疳癪だと思いながら、踏み躙られた砂地を眺めていたら、手の甲にぽつりと水が落ちた。
そこで漸く顔をあげれば、髪に隠れた顔からポロポロと涙が零れていて。
見上げた己の頬に、それが落ちた。


「っ……なたの、ように……たい、のにっ…」


言葉は途切れがちに。彼はしゃがみ込んで顔を覆い隠して。
先程よりはずっと近い位置に屈んだ彼は、殺しきれない嗚咽を零して。
嗚呼、この子にとっての箱庭は此処なのかと。
唐突に気づき、そうして、伸ばした手は彼の髪を撫でていた。
振り払われないのをいい事にそのまま撫で続ける。
視線の意味は、羨望や畏怖や敬意だったのやもしれない。
あなたのようになりたいのにと、この子は泣いているけれど。
自分以外の何かになる事を望むなど愚かな事でしかないと己は思う。
それでも求めてしまうのは自分自身に満足できないからで、そうしてこの幼い少年が現状に不満を抱き嘆いているのは、環境故なのだろうかとも思う。
しかしそれを自分自身の所為にしている。環境や他者の所為にはしない。
それはきっと、この子にとって桐雨という家が箱庭であり。世界であり。そして、全てだからなのだろう。
ならばこの子は人形かと、改めて見た彼には色があった。
無感動の世界に欠けていた色彩が、彼には見えた。

白い、肌。
桃色の、髪。
小さく細い、身体。

涙を拭う合間に見える手のひらには幾つもの血肉刺が残っている。


「…………」


――――――小さな、手だ。

我らが師の血縁なのだから、この子は未だ発展途上でありそしてこれから成長していくのだろう。
けれどそこに至るまでには、きっと多くの困難があるのだろう。
それは環境であったり、他人であったり、彼自身であるのやもしれないが。
あなたのようになりたいと、この子は泣いているけれど。
自分のようにはなって欲しくないと、そう思ったのは何故だろうか。
小さな手をそっと取る。
目も鼻も赤くした幼い頬を空いた手の指先でやんわりと抓れば、目をパチパチと瞬かせる少年の顔に土の跡が残った。


「……なれば良いではないの」


同じ言葉を、この子はどう受け取るのだろうか。
強く、なればいい。
己も求めたのは強さだった。
そしてその果てに何を求めているのか、それはきっと、目の前の少年よりもずっと輪郭も曖昧で仄暗く目には見えないものなのだろう。
それこそ決して満たされぬ枯渇感を常に抱え込んでいるような、そんな己とは違う。
先を求めるという意味合いでは同じだろうに、けれども求めた行き先はきっとどう抗おうとも交わりはしないのだろう。
小さな手のひらが求める強さは何の為にか。
己の手が求める強さは何の為にか。

繋いだ手のひらは暖かく、肌から伝わるカサついたそれに頬を緩める。

小さな手は、確かに己の手を握り返した。





























隔絶された世界、それは

((あの子にとっての箱庭で))
((良くも悪くも、それを壊すのはいつだって自分だった))

































出会い大捏造…(汗)
最初から懐きはしないかと思うのですよ。だってけんじ君は幼い頃からきっとHENTAIだもの…(貴様)
けんじ君は割と最初から腕が立ちそうです。
とうや君にはそんなけんじ君に憧れとかそれと同じ位の妬みとか、子供らしくジェラシーを持って貰いたい…師匠だと信じて疑わない某回想の男性ですが、父か兄かも解らない現状ではあまり喋らせられなかった…です(力尽きた)
キツネリスの某飼い主様に居合成分補充して頂ければ幸いです…(逃亡準備)




あきゅろす。
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