ボーダーなんて










ある日の事、梅雨は明けたものの暑さから止まる事なく浮かんでくる汗の所為で肌に髪がくっついて鬱陶しいのだと秋山がぼやいた。
伸びたんじゃないか、と至極当たり前の返事をしながら食事に手をつけていた金剛に、そろそろ切るかなぁと呟いた秋山だが、その表情はどこか気乗りしていない様子である。
おそらくは、散髪にかかる費用を思ってでもいるのだろうとあたりをつけ、金剛は味噌汁を啜っていた。


「……自分でやっちゃおうかな」

「…何だって?」

「お金浮くし。あいつ等のだって僕がやってる訳だし」

「人のと自分のじゃ勝手が違うだろう」


弟妹達の場合、客観的に全体を見渡せるし大人よりもずっと髪の量が少ないからやりやすいかもしれないがと金剛は説得の姿勢を見せる。
が、秋山自身はすっかり己の手でやる気になっているらしく、そうと決まればと弟妹達の散髪に使用している鋏を引き出しから取り出し、リビングの隅、大窓の前で新聞紙を広げ始めた。
言い出したら聞かない性格だと知っていたので、金剛は密かに溜息を吐くと、すっかり綺麗に平らげた膳を水につけてから、自分がやってやろうかと提案する。


「……君が?できるの?」

「お前が自分でやるよりはマシなんじゃねぇか」

「丸坊主とかヤだよ僕。間違って切っちゃってもすぐ生えてきて元通りとかできないからね…君はできそうだけど」

「俺は念仏番長じゃねぇぞ」


明らかに不信の目を向ける秋山の、かなり直接的な言葉に真顔でつっこむが、そういう事じゃないよバカと一蹴されて終わった。
秋山、暫くの思案。壁に石像を彫った事があるのは知ってるけど、と秋山はこっそり金剛を盗み見た。
力加減に関してはあまり心配していない。
日頃の生活態度を見ていれば加減ができている事は解るものだ。
ただ、と。秋山の視線は流れ流れて金剛の髪へと向けられる。


(……センスがあるかどうかっていうと…)


不安だ。物凄く不安だ、
髪の性質上、いつも外跳ねしている髪なので、大した拘りはない。かといって三本角とか二本角とか一本角とか、とにかく角はちょっとというか激しく辞退させて頂きたい。
それなら少々勿体無いが、駅前の千円カットの方がずっと安心である。
だがしかし、金剛に頼めばタダ、無料、出費なし。
秋山の中で天秤が揺れる。
金剛の言い方から察するに、自分でやろうとすれば気分を害すだろう、それをフォローするのは正直面倒くさかった。


「…ちょっと切ってくれるだけで良いからね?」

「あぁ、安心しろ。初心者だからな。下手な色気は出さねぇ」


初めて会った時位で良いか?と問われてホッとする。
暗に、変な髪型にしてくれるなよと伝えたかったのだが、言うまでもなかったようだ。
そうとなればと、秋山は準備を再開する。
切った髪が散らかっても良いように敷いた新聞紙の上に簡易椅子を置き、背中からタオルを巻いて座った。


「じゃ、頼むね。金剛」

「あぁ」


任せろとまでは言わないが、そこまで不安そうでもないようなので気にしないでおく事にした。

























シャキ…シャキ、…シャキ…
軽快とはいえないが、断続的に響く音は今の所大きなミスもなく、襟足を整えている為に、首筋を時折細やかな感触が擽る。
髪を掬い上げる度、表皮を掠める指の熱が心地よかった。
当初の心配は杞憂に終わったようで、秋山は安堵しながらも、チマチマと細やかな作業をする金剛というものを想像して密かに笑みを零す。
大きな身体を丸める金剛…申し訳ないが、何だか可愛いようなおかしいような。
慣れない作業に没頭している金剛には運よく見咎められなかったらしかった。
カーテンを開けた窓から差し込む陽射しが暖かい。
室内は弟妹達の体調を念頭に冷房調整をしてあるから、外気の異常な暑さは感じられず居心地が良かった。
今にも欠伸が出てきそうだと目をシパシパ瞬かせながら、太陽の光を一身に浴びる外を眺める。
どこまでも続く青空は、梅雨で滅入っていた気分を拭い去ってくれそうな程に清々しく、部屋干しでは追い付かずに溜まっていた洗濯物の中でも一番幅をとる白いシーツが風に靡いてはその青を際立たせた。
いい天気だ、と秋山は折角開きかけた目をのんびりと細める…が。


「…ぅひゃっ!」


目に見えて肩が大きく揺れ、奇妙な声があがった瞬間、空気にピシリとヒビが入った。
タオルの隙間から咄嗟に手を出して口を押さえた秋山だが声を抑えるには随分と遅い。
突如あがった声に暫し硬直した金剛だが、なんとなく理由に察しがついたのだろうか。秋山からは見えないその表情は、至極楽しそうな笑みであった。
赤面しながらも何でもないからと明らかな嘘で続きを促す秋山に言及せず、気づいていないフリをする。何の気なしにとばかりに、右側の髪を掬い上げるその瞬間、外耳を掠めるように撫でた。


「っ、…」


声こそあげなかったものの、震えは指先から充分伝わってくる。
やはりと思いながら、笑わないようにと唇を引き結んだのはもはや今更だった。
顔だけでなく耳朶まで赤いのだから、気づかない方がおかしいだろうに、秋山は未だ金剛が気づいていないと思っているのかプルプルと震えて閉口に努めている。
いじらしいとは思うが、無駄な努力だと揶揄したくもなったのは金剛だけの秘密だ(言ってどんな反応をするか見たい気もするが後が大変になるのは解っている)
左側も右側と同じようにする為に髪を掬い上げる。勿論それとは解らぬように僅かな悪戯も忘れない。


「次は前髪だな」

「っ……」


首まで真っ赤になるのでは、と流石に心配になってきた頃秋山の前に回るとひどく恨めし気に睨まれたが、潤んだ目では大した効果はなかった。違った意味では、充分にあったが。
切り落とした髪の残り髪を落とすフリをして頭を撫でると、ほんの少しだが荒波のような感情の起伏も緩和されたらしく、髪が目に入るから閉じていろと言うまでもなく瞼を閉ざし、顔を僅かに動かすという従順ぶりを見せる。


「…………」

「…………」

「…………」

「…………金剛?」


パチリ。秋山が閉じた目を開ける。
前髪を切ると言ったのに、待っていてもその気配がないのだ。
当の金剛は鋏を構えた姿勢で秋山を見下ろしている。
凝視している、ともいえるだろうか…目力が半端じゃなかった。
一体何だと問う前に、金剛が鋏を持つ手を動かしたので、予告もなしに鋏を突き付けられたものだから慌てて目を閉じ直した。
もう一度、一体何だと頭の中で疑問符をとばす。
シャキ、シャキ…シャキ…
慣れてきたのか最初に比べてスムーズに鋏は動いているようだ。これなら今度からは金剛に頼んでも良いかもしれないお金も浮くし、などと本人の意向を完全に無視した思考に浸っていると、金剛が終わったぞと声をかけた。
反射的に開きかけた目は、何かに覆われて開けられない。暖かさと、感触からして金剛の手のひらだろうか。


「金剛?」

「…髪払ってやるから、もう少し閉じてろ」

「…うん?」


終わったって言ったクセに、変なの。
違和感はあっても金剛の言った通り、秋山は視界を覆われたまま頷いた。
パラパラと落とされる残り髪の感触が擽ったい。鼻の頭に残っているのか、そちらは擽ったいというよりはむず痒かった。
取ってくれないだろうか、口で伝えるべきか、と迷っている間に金剛の手がそれを取り払う。


「…開けて良いぞ」

「………顔、近いんだけど」


言われるまま、今度こそ視界に光を取り戻した。かと思えばやたら近い位置に金剛の顔があっておもわず瞠目する。
いつのまにやらしっかりと両頬をホールドされれば、嫌でもその先が理解できるものだから、顔に熱が集まったのは不可抗力というやつだ。


「…お前があんな顔するからだ」

「どんな、……んっ…」


羞恥から憎まれ口を叩こうとした唇は、呆気なく塞がれてしまった。
僅かに柔らかい、そして暖かい感触に、自然と身体の力が抜けていったのは殆んど条件反射に等しく、つい気を許してしまう。
いつもならそのまま舌先を絡め取られる所だが、気づいたのはどちらが先か、口内に異変を感じて唇を離した。


「…………」

「…………」


お互いに、暫しの間口をモゴモゴと動かす。


「…ん………ふぁみのへ」


んべ、と舌を出した秋山がその状態のまま何かを呟いた。指で舌の表面に触れ、眉を寄せながら異変の原因を摘まみ上げる。
残り髪だ。
払い落としている時に口に入ったのだろうが絶妙なタイミングで邪魔をしてくれたものである。


「「……っ、ふ」」


見合わせた顔が不意に緩んだかと思えば、互いにかっこのつかないキスだったと唇を緩ませ笑い声をあげた。


「髪洗ったら、ね?」

「あぁ」


勿論君が洗ってくれるんだよね?と笑う秋山に、答える金剛の表情も柔らかく。
バスルームへと向かう足取りは、どちらも軽やかなものであった。






























ボーダーなんて

(あー、そこきもちいー)
(泡流すから目ぇ瞑ってろ)





























タイトルは「境界線が曖昧っていうかほぼ皆無」的な意味でひとつ(ひとつ?)
切ってる人と喋ってるといつの間にか髪が口に紛れ込んだりしませんか(たまにある)
目を瞑ったらキス待ち顔にしか見えなくてうっかり生唾呑んじゃった晄君…想像力豊かなんだね☆(貴様)
風呂場に椅子持ち込んで、後ろに傾く感じで髪を泡だらけにしてシャンプーされる優君…どっちかっていうと晄君にシャンプーしてやりたいわ(あの髪型は崩れないんだろうけどな)




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