君に願いを










もう何度目になるか。

何が欲しいのかと問うと、一度目を丸くして、それから困ったように笑ってみせる。

あまり我儘を言わない事に気づいたのは一体いつだったか。

環境的な状況から培われたものもあるだろうが、年が年なのだからもう少し物欲があるだろうに。



何か欲しいものはないのか、と。

そんな話になったのは、七夕を控えていたからだった。

織姫と彦星の話から始まって、晴れたら良いなと弟妹達に笑いかけていた秋山は。

お星様にお願い事をしたら願い事が叶うかと、どこか七夕とは違った質問をする妹に、叶うよ、と短冊を差し出しながら返した。




















「お前は何を願うんだ?」


星が見えたら、と。
寝る前の最後の水仕事をしている背中に訊ねたら、秋山は笑って、お金かな、と言った。
そういうものではないのだ。自身が訊いているのは、そんな意味でのものではない。
秋山の家庭は、身寄りのない子供達を中心に構成されている。
その中で現在年長になる秋山は、そう我儘を言える機会が少なかったのだろう。
そういった諸事情を考えるのなら、秋山の答は当然かもしれない。
当然かもしれないが、秋山が時折見せる脆さを知っているから、己の欲求を堪える事に馴れた姿を見るのは、なんとなく寂しかった。
自分も、幼い頃は仕事で忙しい父親と、家に居ない母親にはなかなか我儘が言えなかったからその気持ちは解る。妹が居たから、下の弟妹達の前では自己を堪えるという事も解る。
だが自分と秋山が違うのは、自分には兄という甘えられる対象が居た事だった。
兄も兄なりに子供だったから、秋山のように時に厳しく、時に優しくと、そつのない甘え方はさせてはくれなかったが、それでも自分は兄を尊敬していたし、頼ってもいたのだ。
そういった相手が居るか居ないかでは、心の余裕というものにも随分な違いがあるだろう。
寂しい、という感情は悲哀や歓喜とはまた違った部類のものだ。
そしてその感情を抑え込むには、己を出来得る限り律する事、時には己を殺す事に徹さなければならないと、知っていたから。
欲しいものを、望むものを、訊ねれば秋山は笑ってひらりひらりとかわしてしまう。


「たまには、我儘言っても良いんだぞ」

「……なーに、いきなり」


気持ち悪いなぁ。
何か壊したの。
何か欲しいものでもあるの。
駄目だよ高いものなんか買えないからね。
弟妹達を相手にしているような、そんな口振りに誤魔化された気がして、溜息を吐く。
別に揶揄されたい訳じゃないが、よく考えれば常から人を食った風体の秋山に素直になれと言った所で早々変わりはしまい。


「家事休んで遊びに行きてぇとか、あいつらとどこかに出かけたいとか」

「まぁ、何処かに遊びに連れていってやりたいとは思うけどねぇ」


洗い終えた食器の水気を布巾でとりながら、所帯染みた事を言う。
あくまでも前提は『弟妹達の為』であり、そこに秋山の自己を本位としたものはない。
それが寂しい事だと思うのに、これ以上なんと言ったらいいのかが解らないのだ。
傍から聞いたら無茶なものでも、求めてくれれば最大限の努力をして手に入れようとするのに、秋山は不要だと笑う。
カチャカチャと食器を扱う音が響いた。
キッチンに立つ姿はリビングからでも見える。
じっと、しつこく眺めていたら視線に観念したのかそれとも微笑ましいとでも思ったのか、なぁにと言いながら手を拭いて歩み寄って来た。
ソファーに掛けているから、目線はいつもと違って秋山の方が高い。
なぁにと言ったクセに、此方の言いたい事はもう解っているのか、君も大概諦めが悪いよね、と笑いながら隣に座った。


「……」

「……」

「……何か言ってよ、気が利かないなー」


前触れのない責めに、反射的に謝罪する。
何謝ってんのと笑みを含んだ声と共に肩側へ負荷が掛かって、見れば秋山が頭を預けていた。
いや、体勢と負荷の感触からすると全体重を預けられているようである。
パサついた髪が肩を撫でる擽ったい感触に目を細める。
例えば、触れ合う体温だとか、安心できる空間だとか、秋山がそういったものを求めるのなら少しは応えようもあるのに、お金が欲しいと言われてしまうとどう対応するのが正解か解らない。
実際に金銭的な問題はあるのだろうが、秋山自身が本当に欲しているものなのかは自信がないし、金銭の援助をする事は何か違う気がする。
つまる所、自分は秋山の拠り所になりたいのだ。
警戒は、ないのだろう。
けれど確実に引かれた線は互いの間に存在している。
それは、恐らく気のせいだなんて軽いものではないのだ。
遠慮するなだとか、頼ってくれだとか、言った所で秋山が真面目にとり合うとは思えない。
また次の機会を待つかと、秋山には知られぬよう小さく息を吐き出した時、秋山が身動ぎをした為に黒髪がさらりと肩を撫でた。


「…………こんごー」

「ん」

「………………ごめんね」


解ってるんだ、と。
小さな小さなその声は、酷く悲しそうに零れ落ちて。
窺い見ると、秋山は肩に身体を預けたまま、目が合うと誤魔化すようなわざとらしい位満面の笑みを浮かべる。
自分がどんな顔をしているのか解っているのだろうか。
笑う度、痛々しく見えるその表情を、何度突き壊そうかと思っただろう。
けれど壊した所で、秋山自身は何も変わらないのだろうとも解っているから。
泣き叫ぶように促した所で、泣き叫びながらも秋山は笑うのだろうから。だから、結局は黙って肯定し続ける。
お前は一人じゃないと。それが何にしても、お前の選んだ事なら胸を張れば良いと。
肩に寄り掛かる頭をくしゃりと撫でると、秋山はまた不格好な笑みを浮かべた。


「僕の欲しいものって、重いんだよね」

「…………札束とか言わねぇよな」

「まぁそれでも良いんだけど。って、冗談だよ冗談、そんな目で見ないでってば」


わざと茶化すと、秋山もおちゃらけて見せる。
じとりと横目で見据えると苦笑いを浮かべて肩を竦めた。


「……前に、さ。随分よくしてくれた職員の人が居てね。僕はその人をお母さんって呼びたくて、お母さんになってってお願いしたんだ」


幼い頃を思い出しているのか、昔を懐かしむ口調でぼんやりと呟く。
哀愁はない。が、良い思い出でもなかったのだろう。秋山は自嘲の笑みを漏らした。
自分の前でそのような顔をあからさまにするのは珍しい。
職員がギャンブルで借金を作り、施設が抵当に入るまではそれなりに幸せだったのだと、以前に寝物語で話してくれたのを思い出す。その時はあまり深く追及しなかったが、職員が全員逃げ出してしまった後の話はしなかった。


「その人は笑っていいよって言ってくれて……でも、あの日、恋人と結婚するからって、居なくなっちゃった」

「……母親になるって言ったのにか?」

「多分、あの人にとっては子供の冗談だったんだよ。お母さん、って呼んだらね、違うよって言われた。笑ってたよ。お腹を撫でてさ、私の子は此処に居るのよって。優くんのお母さんにはなれないのって。笑ってたんだ、幸せそうに」


黒髪が肩を撫でる。
秋山は顔を隠すように肩へ擦りつけて、小さく小さく「僕達を置いていくのに」と呟いた。
聞こえなかったフリをして、何か言ったか?と問う。
何でもない、と返って来た声は、震えてはいなかった。
秋山も、解っているのだろう。
誰しも皆が幸福な世界などありえない、誰かが笑っているその時に、世界のどこかで誰かが泣いていると。
幸福があるから不幸があって、不幸があるからこそ幸福を感じられるのだと。
けれど、当時の幼い秋山にはどこまで理解できていたのだろうか。
どういった経緯で施設にやってきたのかまでは、未だ耳にした事がないので憶測でしかないが、漸くできたのだろう家族がそれを否定し、離れていったその時、幼い秋山の心はどれ程傷ついたのだろうか。
だからこそ余計に、残った家族を護ろうと躍起になっているのかもしれなかった。
だがそれは執着だ。見ようによっては醜悪な依存だ。
己がそれを咎めないのは、秋山自身がそれを理解していると解っているからだが。
別離とは違う、互いを信じて手を離し、それでも互いが変わらず大切であるという事。
それもまた家族なのだと、自分も秋山も解っているから。
いつかは弟妹達との別れも覚悟しなければならないと、解っているだろうから。
だから今はせめて、庇護という名目がある今だけは、せめてと。


「……だから、って訳じゃないけどさ。あってもなくても変わらないなら、なくても良いと思うんだ」


過剰な期待をして、傷つく位なら。最初から期待をしなければ良いのだと。
合理的ともいえるその判断は、しかし悲しい、寂しい、せつない。
僅かに触れた指先を絡めると、水仕事をしていたからかほんのりと冷えていた。
自身の体温が移れば良いと、力を込めて握る。
秋山は一度目を丸くして、困ったように笑った。


「でも……そうだな、どうしてもっていうなら一個だけ」


改めて甘え直すように座り直し、頭を預けられる。
何だ?と首を傾げて顔を覗き込むと、秋山は笑った。
それは、見ている此方が痛々しくなるようなものではなく。
まるで春先の、花の蕾が開くような、ささやかで、しかし確かに暖かい笑みで。


「君が、嫌になるまでで良いから、傍に居て」


不覚にも見惚れている間に、唇を掠め取られた。
それではどちらが我儘を聞いて貰っているのか解らないと思いながら。


嫌になる訳がないと伝える代わりに、その口を塞いだ。

























君に願いを

(そういえば君、短冊書いたの?)
(あぁ)
(どれどれ……『特大プリン大強襲』…?)
(…空から沢山降ってくる夢を見たんだ)
(そ、そうなんだ……)
































オリジナル要素満載ですみません。
職員さんにも善意の塊みたいな人は居たんじゃないかなって思いつつ。でも悪意のある嘘より、悪意のない嘘の方が痛いんだよって話…いや、職員さんは嘘だと思ってないんだろうけどね、子供からしたら嘘だったから。
細かくいうとうちの優はお母さんが欲しかったんじゃなくて、こういうのがお母さんってものなのかなって思ってる程度のもんです(いいよそんなマイ設定)
「織姫と彦星みたいに、一年も放っておいたら浮気しちゃうからね」という台詞を入れたかったのにどこに入れようか悩んでたら入れられなくなった罠(馬鹿めが)




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