大人と子供の境界線










好きな人にはできれば笑っていて欲しいし。
その人を笑わせるのが自分なら嬉しいし。
その人が自分の隣に居てくれるならそれだけで。


なんて、綺麗事でしかないけど。





















伏せられた瞼。
綺麗な睫毛。
白い肌。
額に触れた柔らかい唇。
いつもよりずっと間近に在る整った顔。
手のひらで頬を覆う。
撫でて、抱き寄せて、シャツの釦に手をかける。
覗く鎖骨を指でなぞれば、薄く開いた唇から悩ましげな息が漏れて。
名前を呼ばれて、キスで応える。それから…


「…………」


ピピピピッ、ピピピピッ、と控え目ではあれど確かに自己を主張する機械音がぼんやりとした意識に響く。
目を瞬かせて視界に収まる見慣れた天井をぼうっと見ていると、漸く事態を把握した。
それから、これでもう何度目だろうかと考えて身体を起こす。
下着の湿った感触が生々しくて嫌気が差す。
沸き上がるのは罪悪感と溜息ばかりで、朝っぱらから元気な自身を呪うしかない。
寝呆け目を握っていた手で額に触れる。
柔らかい感触はとうに消えていたが、記憶には鮮烈に焼き付いて離れなかった。
優兄ちゃんが、触れた所。


(……夢じゃない…よな)


フラれそうになったのも。
押して押して押しまくって、食い下がったら笑ってくれたのも。
額にキスしてくれたのも。
幸せにするとか何の根拠もなく言ったのに怒らないで笑ってくれたのも。
都合の良い夢みたいで、夢じゃないと自己完結すればだらしなく顔が緩む、熱くなる。
だってこんな、夢みたいな事が。


(声震えてたし、泣いたし…うわ、俺カッコ悪…)


起こした身体をまた倒す。
あれは現実だと浸っていたかった。
優兄ちゃんはいつも通りだったのに、俺はこんなにテンパってて、本当に関係が変わったのかも解らない。
だから、だろうか。
だから俺はあんな夢を見続けるんだろうか。


(幸せ過ぎて、堪んない位なのに)


中学の時から変わらず、夢の中で何度も優兄ちゃんに酷い事をしてる。
額にキス、なんて事があったからか今日に至ってはそれのオプション付きだった。
駄目だ、駄目だな。一度許されるとどこまで許されるのか解らなくて。
俺はすぐ調子に乗ってしまうから、何かやらかしてあの人の笑顔が固まってしまったらと思うと。


少し、怖い。















母ちゃんや父ちゃんに見られる前に下着を洗って(ついでに罪悪感も流れて行けば良いのに)学校へ向かう間も、授業を受けてる間も、ずっと考えてたのにやっぱり解らなかった。
俺と優兄ちゃんって付き合う事になったんだろうかとか、今までと何が違うのかとか、俺がしたい事しても優兄ちゃんは嫌じゃないのかとか、でも俺が好きって言ったら笑ってくれたしじゃあやっぱり両想いって事で良いのかなとか。
グルグルグルグル考えてたら普段使わない脳味噌が音をあげたのか物凄い疲労感に苛まれて、放課後に至ると机に突っ伏していた。


「児玉君、掃除当番」

「………俺って馬鹿だなぁ」

「まぁ天才ではないよね」


何の脈絡もない台詞にも、ズバッと容赦のない言葉が返ってきてへこむ。
流石クラス委員、判断力というか反射反応が半端なかった。
感心する以前の問題として、傷口に塩を塗り込まれた自分としてはこのまま放っておいて欲しい所である。
が、クラスの治安の為に尽力するクラス委員の鏡な彼女がそう易々と見逃してくれる筈もなく、箒の柄でペシペシと頭を叩いてきた。イジメか。


「腐ってるより動いてた方が気も紛れるって」


一理ある。あるのだが。
珍しく、って自分でいうのもどうかと思うが、悩んでるのだからもう少しデリケートに扱って欲しい。
女であるクラス委員に、悲しき男の性を訴えられる筈もなく、渋々箒を受け取った。
席を立った所で、これ位なら良いだろうかと声をかける。


「なぁ、ずっと考えてるのに答が見つからない時ってどうしたら良いと思う?」

「答を知ってそうな人に聞くかな。先生とか」

「……」


先生、と言われて担任の顔が出てくるがどうもしっくりこない。
そもそも男同士というケース自体が世間では稀なのだから相談相手に相応しい人間など見当もつかなかった。
かといって優兄ちゃんに訊く訳にも……いや、本人に訊くのが一番早い、かも。
いくら周りから助言を受けても、自分の性格だとグルグル考え続けそうだし、なんといっても優兄ちゃんの気持ちを知りたいのだから、単純ではあれ、本人の口から出た言葉が一番信じられる。
そうと決まれば善は急げ。優兄ちゃんにメールを送って忙しなく箒を動かす。


「……児玉君って大型犬みたいだよね」


程なくして優兄ちゃんから了承のメールがきて、だらしなく顔を崩した俺を、クラス委員がそう評した。















メールで事前に知らせたとはいえそれも時間単位の過去でしかなく。
行き当たりばったりな突然の訪問だというのに優兄ちゃんは嫌な顔もしないで招き入れてくれた。
仕事も一段落ついた所だから気にしないで良いと、俺が落ち込まないようにか謝る前に言われる。
黒い髪も優しげな目元も白い手も、ゆったりと脚を組ませてソファーに落ち着く優兄ちゃんはやっぱり大人の男って感じで、なんとなく自分も居住まいを正した。
優兄ちゃんは挙動不審な俺の行動を見留めて、どうかしたの?と微笑む。


「…俺ガキだなぁと思って」

「まぁ大人ではないよね」


ズバッと返ってきた言葉には嫌なデジャブ。
俺の周りの人って皆こうなんだろうか。
下手な慰めが欲しい訳じゃないけど、ちょっとへこむ。
優兄ちゃんは少し目を瞬かせて、それからそっと笑った。


「別に大人じゃなくても良いと思うけど」

「何で?」


子供みたいな質問の仕方。
だからこういう所がガキなんだってば俺。
でも優兄ちゃんは呆れも怒りもしないで、笑ったままだから、多分聞き返すのが正解。
これでもし「何でだろうね」とか言われたら本気で焦るし解らないけど。


「なりたくなくても、いつかはなっちゃうから」

「…………でも、俺は今なりたい、よ…?」

「何で?」


なりたくないなんて、思ってないし思わない。
暗にそう訴えると、今度は優兄ちゃんが子供みたいな質問をしてきた。
俺と違って本気で解らない訳じゃないんだろう、顔が笑ってる。
これってまさか試されてたりするんだろうか。もしくはからかってるのか。
楽しそうに笑ってる優兄ちゃんの表情から何かを読み取れれば良いけど、生憎そこまで人生経験は豊富じゃない。


「優兄ちゃんが好きだから」

「…………」

「あ、だからつまり」


頭を捻りに捻って、うんうん唸って、漸く出てきた答はまたも幼稚。
優兄ちゃんを守りたいし、助けたいし、頼って欲しいし、もっと触れたいし、でもそういう事って大人じゃないとできない気がして、そういう事を願うのは俺が優兄ちゃんを好きだからだって。
慌てて捲し立てたものの、優兄ちゃんはきょとんとしたまま。
勢いあまって言わなくても良い事まで言ってしまった気がするけど気づいた時には後の祭。
咄嗟に口を押さえて、あ、とか、う、とか、妙な声を出しながらも熱くなる顔まではどうにもならない。


「素?素だよね、うわー天然って凄いなぁ」


(…酢?)


優兄ちゃんがまじまじと俺を見上げて、いきなりお酢がどうのと言い出す。
俺としてはそんな調味料の話よりも失言に関して注目して欲しいようなして欲しくないような、複雑な心境だった。
ポリポリと頬を掻く俺に、優兄ちゃんは意地の悪そうな笑みを向ける。


「いくつか置いとくとして、一つだけなら磊君のしたい事させてあげられるよ?」

「へ?」


守られるのも助けられるのも頼るのもあと少し先だとは思うけど。
大人でなくたって恋人になったんだから。


「触りたいんでしょう?」


そう言って笑った優兄ちゃんはやっぱりいつも通りに見えて、いつも俺の欲しい言葉を言ってくれるんだから。
俺も優兄ちゃんみたいな大人になりたいな、って懲りずに思いながら、優兄ちゃんの言葉に甘えて手を伸ばした。




























大人と子供の境界線

(……ちょっと、磊君?)
(ありがとう優兄ちゃん!俺すっげぇ幸せ!!)
(…………………あぁそう、それは良かった(あそこまで言って抱擁止まりって))










口ちゅーまでさせる予定だったのになぁ…(汗)
何だろう、磊君的には、大人にならなきゃやらしい事できないと…思ってるんです、よ(天然記念物…!)




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