ファースト・コンタクト










世の中に居る大半の男共は軟弱で利己的で男の風上にも置けない奴ばかり。

愛子さんが愛したあの男でさえ、最悪の形で愛子さんを裏切った。


だから自分は男に恋なんざしやしないと、何年も前にそう誓ったのに。




















磊を育て始めてから五年が経つ。
愛子さんや磊を捨てたあの男を探す為に各地を点々とし続けて五年。
幼い磊にとっては、引越しの度に幼稚園を変える事になってしまって可哀想な事をしていると知っているけれど。
それでもこればかりは、自分の為にも磊の為にも、きっちりケジメをつけなきゃならない問題。
それに今回の引越しは、あの男へと繋がる計画に参加する為のものだから、今までで一番長く住んでいける筈だ。
だからという訳でもないけれど、磊が喜んでくれたら良いと思う。


「……遅いねぇ」


見上げた壁時計の示す数字に眉を寄せる。
夜の出稼ぎに行く前には必ず二人で食事をとるというのに、五時になっても帰ってこないとは一体どこをほっつき歩いているのか。
幼稚園から帰ってきてすぐ、夕食の支度をする間にちょっと遊んでくると言って出て行った我が家のやんちゃ坊主は、迷子にでもなっていそうで心配になってくる。
あの子の性格からして、迷ってもその事実を素直に認めはしないだろう。
それどころか根拠のない自信の元、見当違いの方向へ突き進んでいくに違いない。
そう考えると不安も一潮と言うもので、間もなく冷めてしまうであろう料理にしっかりとラップを施し家を出る。
すれ違いというのも馬鹿馬鹿しいので書き置きも済ませ、アパートの管理人にも一言頼んでおいた。
迷子と決めつけるのも早計と思い、まずは近場の公園に向かう事にする。
時期が時期だからか、日が落ちるまでにはもう少し時間があった。とはいえ幼稚園の友達と一緒というのならまだ良いが、磊が一人で居るのならば危ない時間である。
公園に居なかったら周辺も歩いて、それでも見つからない時は申し訳ないが後輩達に頭を下げて来よう。
しかしながらその決意は、すぐさま不要のものとなる。


夕日色に染められた公園はどこか物悲しくなる。
奇妙な静寂に気をとられている場合でもないと、ブランコ、シーソー、目につく所から順に見ていくと、奥の方にある砂場の前で人影が動いた。


「…磊、かい?」

「母ちゃん…?」


まさかと思い声を溢すと、人影のひとつがポツリと呟く。
次いで同じ言葉が、今度は歓喜の色を帯び紡がれた。
小さな人影、つまりは磊が、隣に居たもうひとつの小さな人影に何事かを伝え、その後ろに居る大きな人影にも笑いかける。
磊より少し大きいその子供は磊の新しい友達と言われれば納得できるが、大きな人影…青年は、一体何者か。


「母ちゃん!」


磊が声をあげて駆けてくる。
それに合わせて、青年が会釈すると子供の手を引いて磊とは逆の方へ歩いて行った。
黒い髪は今時の若者にしては珍しく染められておらず夕焼けに映えている。
僅かに見えた横顔は涼しげでいて、子供を見下ろす眼差しは優しく穏やかで…


「……」

「…母ちゃん?」

「いや…磊、心配したじゃないか」

「ご、ごめん母ちゃんっ!」


軽く頭を小突いてやれば、潔く謝る素直な磊にそっと笑いかける。
さっきの男が何処の誰かは気に掛かるが、それはおそらく帰路の中で磊が語るだろうからと。
結局、想像通り迷子になっていた磊を子供が見つけて、磊の説明から青年がこの公園まで連れてきてくれてでも家までの道が解らず家族が来るまで一緒に居てくれたのだと。
そんな事の顛末を後に夕食の場で聞いてしまい、どうしてあの場で聞かなかったのかと後悔するとは知らず、磊の小さな手のひらを握るのだった。




















どうにかあの青年と子供にもう一度会って御礼を言えないものか。
数日もの間、悩みに悩んでいた事柄は、呆気なく解消される事となった。


ある日の正午過ぎの事。
生前、愛子さんに学校にはなるべく行くよう言われていた為、これまでは割と真面目に行ってはいたが、子供を一人育てるという事を大事に置くとどうにも難しい。
今日もそんな日で、切れかけた米を注文したのが切っ掛けだった。
アパートに備え付けられた古びた階段は上り降りをする音がよく響く。
カン、カン、カンッ、と軽快に響いてきた音に次いで、足音が自身の部屋の前で止まったので朝酒屋に注文した米が届いたのだろう。

…コン、コンコンッ

ドアベルなどという上等なものが備わっていないので、薄いドア向こうから控え目なノックがされる。
財布を手にドアを押し開いたその瞬間、一体何の冗談かと思った。


「ご利用ありがとうございます。コシヒカリ5kgお持ちしました」


酒屋のエプロンをつけて微笑むその男は、数日前の公園で見た青年と同じ顔である。
いくら肝が座っていると自負している自分でも、これに驚かない訳がなかった。


「1680円です」

「……」

「あの…?」


代金を述べる男の笑みが、暫しの間を経て困り顔になる。


「………」

「…あの、何か…?」

「っ、いや、アンタ、この前のっ、公園っ!」


放心していた自身に思い至ると何故だかひどく恥ずかしく頭の中で纏める前に我先にと言葉が溢れ出してくる。
つまりは何を言いたいのか全く解らない状態な訳だが、青年は嫌な顔もせずに言葉の断片のみで理解してくれたらしい。


「―――あぁ!磊君のお母さん!」


米を抱えていなければ手を打ったのではと思える明朗な笑みで頷く青年の言葉にホッと息を吐く。
何を変に慌てているのか、こんなの自分らしくない。


「そ…その時は助かったよ。れ、礼も言わないですまなかったね…!」

「いぇいぇ、あれ位の年の子は好奇心旺盛ですから。でも何事も無いに越した事はありませんし、お役に立てたみたいで良かった」

「そ、そうかいっ、アンタ今時珍しくっ…」


いい子じゃないか。
言いかけて、はた、と気づいた。
見た所同年代らしき青年が、何故平日の真っ昼間から配達などしているのか。
人の事を言えたギリではないが、学校は行かなくて良いのだろうかと。
けれども互いにそう親しい訳でもなく、まして言葉を交わしたのは実質今が初めてであり、殆んど初対面に等しい人間がそのような事を易々と聞き出すのもおかしいだろう。
そこでまた、青年が自身に対し普通に接している事に気づいた。
自分でも自覚はあるが、カタギには見えにくい。
しかも十代で子持ちとなれば世間からの風当たりがどんなものかは想像に難くなかった。
しかし青年は自身を怖れた風でもなければ軽蔑した風でもなく、また、好奇心に満ちた目を向けてなど来ない。


(…だから、あたい…)


あれだけ落ち着かなかったのは、青年が何の憂いもなく微笑み、自分を真っ直ぐ見てくれていたからだという事に思い至った。
居心地が悪かったのは悪い意味ではなく、気恥ずかしかったから。
こんな風に優しい顔をしてくれたのは愛子さん位で、だから妙に慣れないのだと。
理由が解ればマシになるかと思いきや、理由が解った所為で余計に青年へ気を配ってしまう。


「?…大丈夫ですか?何だか顔が赤いですけど」

「だっ、大丈夫だよ気にしないどくれ!えぇっと、お代!お代だったよね!」

「はぁ……?」


財布を大袈裟なまでに全開にして手を突っ込む。
震えるな、震えるんじゃないよあたいの手…!
小銭を取り零さないようにして突き出すと、青年がにっこりと笑った。


「はい、丁度ですね。ありがとうございます」

「よ、よかっ、良かったらお茶でもどうだい?あまり大したもてなしはできないけどさ…!」


何をどもってるんだい。
いつも通りに話せば良いんだよ。
誘いは押し付けがましくないだろうか。
窺い見ると、青年の眉が申し訳なさそうにハの字になる。


「すみません、仕事中なので戻らないと」

「そ……そうだよねっ!ごめんよ」

「いぇ、それじゃこれで」


小さく会釈して踵を返した背中はあの日公園で見た時と同じもので。
あの時も結局は何も聞けなくて。
今も、同じ事を繰り返すのかと。
思ったら、身体は勝手に動いて。


「あの、あのさっ!酒屋の兄ちゃん!!」


自分でも驚く程大きな声が出た。
相手は自分よりもずっと驚いたのだろう。
階段を降りる途中で、肩越しに此方を振り返った顔はポカンとしていた。
馬鹿だなあたいは。
普通に呼び止めれば良いんだよ!


「あたいは磊の母親だけど、児玉遥っていう名前があるんだからねっ!」

「………」

「…っだ、だからつまり…」


大事な所で詰まるなんて馬鹿らしい。
けれどもこれ以上はどう伝えたら良いのか解らなくて、口ごもっていると青年が肩を震わせ笑い出した。
そんなにおかしな事を…いや言ったけれど、まさか笑われるとは思わず。しかしショックを受ける暇も与えずに青年はにこりと微笑んだ。


「秋山です」

「ぇ…」

「僕は、秋山優です」


酒屋の兄ちゃんでもありますけどね、なんていう言葉に笑う余裕はない。
自分でも意味不明な言葉が正しく伝わっていた事もそうだが、お互いに名前を知ったのだ。
何も聞けなかった前回とはえらい違いではないか。


「それじゃあ、今後ともご贔屓に。児玉さん」

「あ、あぁ、うん、秋山さんもね!」


何の事だか、自分でもおかしな事を言ったと思ったその時、秋山さんはまた肩を震わせて笑ったのだ。

その笑った顔が、何だか少し幼くて。




何故かその瞬間、胸がキュンッとか、鳴ったような気がした。






























ファースト・コンタクト

(面白い人だなぁ)
(何かの病気かねぇ…?)





























某方様へのお見舞い品です。
えぇっと………すいません…こんなんで…(汗)
まだ矢印すら出てないかなぁこれじゃ(汗)




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