日常の始まり











外の天気が良いからと出て来た筈なのに、いざ外に出てみたら日差しの強さに閉口してしまって、結局建物の蔭に腰を落ち着ける事となる。
暗黒生徒会の本部は、生徒会のメンバー、つまりは各県最強と謳われるべき選ばれた者達しか存在しない場所。
静かな場所は探さずとも、他の番長の姿が無ければ其処は無人も同じ事である。
それ故に、と言うべきか。人の話し声というものは存外よく響くものであり。
あまつさえ足音すら聞こえてくるのではと思える程の静寂は、すぐに打ち破られるのだと気づかされた。
足音は二人分。話しているのは男と女の声だ。


「思っていたより粛清対象が弱くてねぇ…つまらないのだよ、文学番長」


男の方が言葉の通り心底つまらなさそうに女へ声をかけている。


「私に言われても知りません」


女の方はそれを面倒そうに相手しているように見えたが、事実そうなのだろう。
眉間が僅かに寄ったその表情は、明らかに男を辟易しているようだった。
女の方は、会長への報告の際、もしくは業務連絡の時に顔を合わせる文学番長。
男の方は。


(憲兵番長…本部に帰ってきてるのか…)


顔を見た事は何度かある。とは言っても、あっちは自分を知らないだろう。
一方的に見かけた事が何度かあるだけだ。
しかし彼の風体は、自分が言うのも何だが一般人に比べて特殊である。
自分が彼を覚えているのは、勿論そんな理由だけでもないのだが。


(会長の側近で粛清を任せられている実力者…)


身長は自分の方が大きい。小柄とは言い難いが、見下ろせる位に身長差はあるだろう。
そう考えると、一体どのような身体能力をしているのか。
小柄と言えどその身に秘められた力をこの目で見た事は未だ無い。


(まぁ…触らぬ神に祟りなしだ…な…)


接触する機会なぞ、来ない方が良いに決まっているのだ。
仲間内でも死神のような男だ、狂人だと評される男に、自ら接触したいとも思わない。
見つからない内に移動するかと息を吐きながら腰をあげる。


「もういっその事白ランの誰かが粛清対象になれば面白いのだけれどね」


その場から踵を返そうとした時、憲兵番長が歌うようにそう言った。
何というふてぶてしさだろう。呆れて思わず二人の方を見てしまう。


「不謹慎な事を言わないでください」


そう咎めながら、文学番長の表情が不快の色を濃くする。
当然だ。ふてぶてしいにも程がある。
仮初とは言えこれからの日本を変えていく同士であると言うのに。
そして恐ろしいのは、憲兵番長が本気で言っているのだろうと思える事だ。
あの男の事は表面上のものと報告書の中でしか知らない。
だが、充分に狂っているという事はよくよく理解している。
だからこそ、憲兵番長が本気で退屈に辟易していて、もしもこうなればいいのにと希望を口にしたのだと解ってしまった。
人としてあるべきものが足りないのだ、あの男は。


「あぁ、つまらない……」


虚空を見つめるその黒い眼は、おもわず目を瞠る程に奥底まで深く暗く見えた。
何にせよ、あまり関わりを持ちたくはないなと、その時改めて思った。




















それから数日の事だろうか。
今日も本部の窓から覗く空はよく晴れていて、天気がいいならこの前のように外へ出るのも悪くはないかと出ようとした時だった。
角を曲がった途端視界に入ったのは、先日「あまり関わらないようにしよう」と決めた男…憲兵番長で。
しかし前回と違うのは、相手も自分を認識しているという事だった。


(出くわした……)


運というもの、そして神仏というものは人間の考えた偶像、つまりは偽装であるので信仰した事などはないが、この時ばかりはそういった諸々のものを恨めしく思う。


「……」

「やぁ、見ない顔だねぇ」

「ん………………」


言葉に詰まっていると、憲兵番長は人当たりの良さそうな笑みを浮かべてそう言った。
当然ではあるが、側近として会長の傍らに控えてもいなければ粛清活動の実働部隊にも属していない自身を彼が認識しているとは考えにくく、故にこの発言は適切であると考えられる。少なくともこの男がとぼけている、つまりは偽装しているとは考えにくい。


「……まぁ…そっちがあまり本部にいないからな?ん?」


とりあえず質問に答えると、憲兵番長がほんの少し目を揺らめかした。


「うん?まぁね…………君の方は小生の事を知っているようだけれど?」


まずいな、興味を持たれてしまったのだろうか。
会話が続くのはあまり望ましくない。
視線が固定できずにうろつかせていると、男の手に握られたものへと流れつく。
鋭利な刃物だ。粛清対象は皆これに倒れ伏したのだろうか。
つまらないと嘆いていた横顔を思い浮かべるに、この男はそれこそつまらなさそうに、酷く冷たい表情でそれらを斬り捨てたのだろう。
想像するだけで恐ろしく、首の表皮がぞくりと泡立った感覚が心臓を締め付けるようだ。


「会長の側近ともなれば知らない方が珍しいだろう……ん?」


どうにかそれだけを言いながら、妙な事は口走ってはいない事に安堵もしながら、なし崩しにこの場を去ってしまおうと目を合わせないように踏み出す。


(さっさと離れよう……)


外に出るのはまた今度だ。部屋にでも戻って、それから……
今後の予定を頭の中で組み立てる事により恐怖を拭い去ろうとしたが、それは身体が後ろに引かれた事で難なく中断される事となった。


「君、孔雀番長か何かかい?」


腕も足も肩も掴まれている訳ではない。それなのに身体が前ではなく後ろに引かれたのは、憲兵番長が己の飾りをその手で弄んでいたからだという事に気づく。
孔雀の羽根に見立てたそれをそのままに受け止めた質問には、少々頭にくるものがある。
そこまで単純では偽装とは到底言えない。馬鹿にしているのかこの男は。


「偽装番長、だ…………!」


そのまま孔雀番長と覚えられては堪ったものではないので、これが最後だと身体を前に向けたまま自身の正式なそれを伝えれば、ますます男は興味ありげな眼で見返してくる。


「!へぇ…偽装番長?」


さり、と。
その手が飾りを弄び続ける。
いつそこから自身が仕込んだものが出てくるやも知れず、今度は違った意味で鼓動が速く動き出した。


「変わった番長名だねぇ…おや?」


羽根の断面を指先で撫でていた憲兵番長の表情が変わる。


「この臭いは、火薬かな……?」


くん、と鼻先を動かして飾りに興味を深める。
何なんだ。
何なんだ、この男は。
自分でも知らない間に、この男の逆鱗に触れるような事をしたとでも言うのだろうか。
いいや、だとしたら既にこの首を狙いに来ているだろう。
それこそ、以前口にしていた『白ランの者が粛清の対象ならば』という言葉通りになったようなものなのだから。


「その…何か………………用でもあるのか?ん?」

「ん?」


偶然出会ったとしか思えない顔の合わせ方からして一番ありえない事ではあるが、もしや文学番長から自身に何か言伝でもあるのかもしれない。
何にしても何の用事も無しにここまで無駄な会話を続けるなどという事は…


「いや?特には……」

だったら放してくれ!!!


あったらしい。
何なんだこいつは。一体どういうつもりで自分を引き留めているのか。
思わず声を張り上げてしまったが、相手は自分以上に驚いたのだろう。
きょとんとした顔で此方を見上げ、憲兵番長は心底不可解だと言わんばかりに首を傾げてみせた。


「そう怒らなくても良いのではないかね?」


返された言葉に怒りの沸点を超越する。
顔を合わせた事がないからとは言え、初対面の相手に対し何とも失礼が過ぎやしないだろうか。それよりも何よりも、孔雀に模した羽根を弄られている事が気に食わない。
この男にとて、そういった侵されたくはない部分があるだろうに。
そう、それは例えば。


「じっ、自分だって刀に触られたら嫌だろう?!!ん゛ん?!!」


男にとってはおそらく最も大切である物を例に出せば、男の顔は不思議がるものから至極当然だと言わんばかりのものへと素早く変化した。
その変化は恐ろしく如実であり、表情の変化と共に空気も張り詰めたような錯覚に陥る。


「あぁ……確かに殺すね」


言葉と共に手放された飾りが、ハラ、と空を舞い落ちた。
それを目で追う事もできず、男から離す事も出来ずに停止してしまう。
当然のように、それが日常的な事であるかのように『死』を平然と口にする男の精神構造は一体どのようなものなのだろう。


「いや、悪いことをしたよ。そこまで大事な物だとは思わなかったものだから」

「あ…いや……」


此方が恐縮する程にあっさりとした謝罪にはどう返したものかと逆に困ってしまうのだが。
しかしこれは好機ではないだろうか。
相手が畏まっている今ならばこの場を立ち去っても訝しまれる心配はない。
何より、不快にさせたという自覚を更に強くさせれば今後この男から話しかけられる事も無くなるだろう。


「じゃあ俺はコレで……」

「時に君は、どの様にして戦うのだい?」


しかしながらそのような考えはこの男に通用しなかったらしい。
畏まるどころか、悠々とした顔で次の話題を提示してくる。


「偽装というからには策を弄するのだろうね?」

「あぁ…まぁ……そんなところだ…」

「ふぅん…」


どうあってもこの場から逃がさない気なのだろうか。
そろそろ自分が諦める側になるべきなのかと呆れ半分疲労半分に息を吐いた。
その瞬間。


「!!!」


スッ、と憲兵番長の愛刀が動いたかと思えば、煌く刃の断面が目の前を過る。
思考するよりも早く、人間に元来備えられた生存本能というものに突き動かされ、後方に大きく後退すれば、憲兵番長の黒い眼が此方を見つめていた。
その表情から真意は読めない。
じりっ…距離を測る。刀の長さ、そして察せる限りの男の間合いを読む事に集中する。
まさか本当に自身を粛清の対象にする気ではあるまいな。
いや身に覚えが無さ過ぎる、皆無に等しい。
此方がこれ程に内心泡を食っているというのに、憲兵番長と言えば


「どうしたのだい?いきなり」


と、むしろお前がどうしたのかと訊きたくなるような台詞をこれもまたきょとんとした顔で投げかけて来た。


「どっ……なっ…な……こっちのセリフだ!!!ん?!!」


本当に頭のどこかが悪いんじゃないだろうなこの男は。
それとも斬りたいものはその場で斬る、斬られる側には予告すらしないのがこの男なりのやり方だとでも言うのだろうか。
そんな殺人狂が日本を再生できるのだろうか。
いや破壊はできるのだろうが。


「いいきなり刀をつきつけてきて……一体何のつもりで…」

「うん?いや…別にそれは…」


別にそれは、の続きは一体何なのか。
考えるだけでも恐ろしい。なんとなく斬ってみようと思って、とかだったらどうしよう。


「ちょっとタトゥーをよく見てみようと思っただけで…」

うそか?!!それは偽装か?!!ん゛――――――っ?!!


間違えた。こいつは日本以前に頭の中が既に破壊されている。どこの世界に、顔に刃物を押し当てて襟下に隠されたタトゥーを見るなんて馬鹿が居るのだろうか。
あぁ、此処に居たな。馬鹿だ、こいつ馬鹿だ。


「じゃあ刀はおいておくからちょっと見せてくれるかい?」

「!」


見せてくれるかという言葉が何に掛かっているのかなど考えるまでもない。
タトゥーの事を言っているのだとすぐに理解し、次いで「そこまで見たいものだろうか」と疑問が浮かび上がる。
番長は全員その身に彫り込んでいるもので、憲兵番長自身に持ある筈だ。
つまりそう珍しいものではない。
しかしこれを断る大義名分がある訳でなし。見せる事に何か問題がある訳でもなく。
これを理由にどうにかこの場を立ち去れやしないかと、漸く光明を見つけたような心地になったが首元を晒すのだからさぁどうぞと歓迎した態度もとれない。


「……う゛…み…見たら…もう構わないか?もう他に用事は無いな?!!」

「?あぁうん」


よって微妙な態度となってしまったのだが、ほんの少し疑問に思った程度だったらしく、憲兵番長は刀を置いて此方に歩み寄って来た。
憲兵番長の指が襟元を寛げる。
手袋の布独特な感触に、このまま首を締められるんじゃないかと冷や汗が沸き上がった。
が、それもどうやら杞憂であったらしく、しかしまたも男の奇妙な行動が繰り広げられる。
ゴシ、ゴシゴシ


「…………?」


布で拭かれているような、擦られているような。
むず痒い感触に目を瞠る。
憲兵番長は、何故か無心に自身のタトゥーを擦っているようだ。
しかしそれが何故行われているのかは全く解らない。


「な…何のつもりだ?ん?」

「いや…ちょっとねぇ……」


試しに訊いてみたが、曖昧な相槌しか返ってこない。
明確な答えが得られない状態というものは居心地も悪ければ不安も煽られるばかりである。
だからと言って見せると言った以上今更相手を振り払うのも如何なものだろうか。もっと言うならばこの男が素直に振り払われてくれるだろうか。考えてみても微妙な所だったので大人しくされるがまま黙っている事にした。


「………………」


男の沈黙が恐ろしい。
内心でも、いやおそらく表面上にでも冷や汗をかいているだろう己の事はどうでもいいのか、憲兵番長はおもむろに距離を縮めてきた。
それはほんの一瞬の出来事だったと言ってもいいだろう。
人間味の無い能面のような、見る者からすれば人形のようにも見えるその顔が近付いてきたと思ったら、薄い唇から肌の白さとは異質な赤い舌が覗き、そして―――

れ、る


「――――――」


何だ。何だ今のは。
薄い唇から、白い肌とは違う、恐ろしい程の赤が。
そして、首の表面を撫でた、ぬめった、何か。
何か?いや、何か、ではなくて、あれは。
あれ、は。


げああああ゛あ゛ぁあぁあぁ?!!


この世に生を受けて十数年。
これまで生きてきて、ここまで大きな声をあげた事があっただろうか。
いや無い。断じて無い。あって堪るか。
本部の建物中に響き渡るのではないかという程の大声に、憲兵番長はやはりキョトン顔で。
慌てている此方が馬鹿馬鹿しくなってくる。いいや馬鹿は目の前の男だ。


「なっ、なっ…………何っ…なんっ……何なんだ貴様はぁ?!!ん゛ん゛?!!」


男の首を舐めて何が楽しい。女なら良いのかと問われるとまたそれも微妙だがだからと言って少なくとも先程出会ったばかりの、しかも男の、いやだから女なら良い訳ではないのだが。
れる、って。れる、って…そもそも他人の首を舐めるという行いが既に一般常識としてありえないだろう普通に考えて。
馬鹿か。いや、馬鹿だな。当たり前の事を言ってどうするんだ俺は。あぁ畜生心拍数が異常だ。


「いや…タトゥーも偽装…とかだったら面白いなと思ったのだが、ね…?」


偽装番長だからか、だからそういった発想に行ったのか。
顎先に手を当て思案に暮れるような憲兵番長が、尚も何か言いたそうなので突っ込まずに待っていると、フ――ン…?とガッカリしたと言わんばかりにあてつけがましく鼻先を鳴らされた。


「どうも何のひねりもなく本物のようだねぇ……」

あ・た・り・ま・え・だ――――――――――――――っ!!!!


何だ何のひねりもなくって。ひねりを利かせてタトゥーが偽装だったら、己が暗黒生徒会を裏切っているようなものではないか。それでは粛清の対象にされてしま……もしかしてそれが狙いかこの野郎。


「何だ何だ何だ一体何なんださっきから?!!」


舐められた箇所を荒々しく擦る。
れる、って。れる、って…舐められた感触は思い出したくなくとも身体に染みついたかのようで嫌になる。
何の嫌がらせだこれは。


「いきなり人の服を掴むわ刀をつきつけるわ舌をはわすわ…」


変わらずキョトンとしている男なんぞもう構っていられるか。


「つき合ってられな、い……」

「えぇ…私も同感です」


怒鳴りつけてそのまま立ち去ろうと振り返ればそこには文学番長が心底面倒臭そうに佇んでいた。
いくら仲間内とは言え声もかけずに後ろに立たないで貰いたい。心臓に悪い。
そもそも文学番長も憲兵番長もどうしてこう二人揃って独自の世界を醸し出しているのか。


「文学番長?!」


肩越しに憲兵番長が嬉しそうに声をあげた。


「もう報告は終ったのかい?」


駆け寄る憲兵番長の足運びは軽い。成程そうか、少なくとも憲兵番長は文学番長に好意を抱いているらしかった。
可哀相に(主にと言うか完全に文学番長が。である)


「いぇ…まだですが……回収しなくてはいけない問題が現れたようなので

「「「…………」」」


「あぁ…君かい?」

貴様に決まってるだろう?!!んん?!!


何という言いがかりだこれは。
そもそも騒がしいのが原因だとしたって更にその原因を突き詰めれば大元は憲兵番長である。
いっそ清々しい責任転嫁…いやこれは本気なのだろうか。だとしたら余計頭に来るのだが。


「さっさとついて来て下さい」

「ん?しかし…小生がいたら邪魔なのではなかったのかい?」

「野放しにする方が問題だと分かったので」


冷たい眼差しに口調。身体中で嫌悪を示している文学番長にも怯まずに、憲兵番長はどこか嬉しそうだ。
これが恋の力というものか、いや恋なのかどうかはともかく、好意は確かに持ち合わせている。


「ではそういう事ですので」

「あ…あぁ…」

「あ!そうだ。文学番長!」

「…………」


颯爽と歩いていく背中を追いかける憲兵番長の背中はまるで親鳥を追いかける雛鳥…って、そんな可愛らしいものな訳がない。
疲れているのだろうか。


「新しい粛清の話は出てないのかい?」

「出てません」


疲れているのだろうな。文学番長相手にでさえあんな話題しか出さないような狂人と、たった数分とはいえ会話したのだ(会話以上の事もされたが、忘れよう一生懸命忘れよう)
そう思うと、文学番長にあの男を連れて行って貰えて心底助かったと思う。
吐いた息は、思いの外重々しかった。


(…………やっと解放された………………)


部屋に戻ろう。今日はもう部屋から出ないようにしよう。
そもそも今日という日に外へ出ようとしたのが間違いだったのだ。
のそりと歩み出した。勿論、あの二人とは逆の方向へと。


「ところで何をしたんです?あんな大声を出させて…」

「ちょっとタトゥーを確認したのだよ」


後ろで妙な会話が成されている。
お願いだから舐めたという事まで暴露しないで貰いたいと思う。


「ホラ、何と言っても名前が『偽装番長』だしねぇ」


だからひねりを利かせろと言うのも短絡的な話だ。
それにもしもタトゥーが偽物ならば、それこそ己の身が…………


「タトゥーがもし偽物だったらスパイか何かで粛清対象になるかと思ってね」

「――――――」


何だ、と。
今、何て?
おもわず振り返る。会話が此方に聞こえているだろう事は解っているだろうに、二人揃って此方を気遣う素振りは見られない。


「そういえば会長の弟というのはいつ粛清を…」


粛清粛清粛清。あいつの頭の中はそれだけか。
それだけの為に、俺は羽根を引っ張られ刀を突き付けられ首を舐められっ……


(あいつ…!!!)


不愉快だ。この上なく不愉快だ。
だからと言って一応便宜上は仲間である憲兵番長に、しかも敵ならば喜々として斬りにかかってくると解っている相手に、わざわざ襲いかかる程俺も馬鹿じゃない。
もはや一瞥もせずに部屋へ…いやその前に一番近いトイレに入ろう。
目についたトイレの戸を荒々しく引き中に入った。
ガツンッ、と激しい音が鳴り響いたが気にしない。
とにもかくにも頭を冷やさなければ。洗面台に向かい、栓をひねる。
ザ――…と勢いよく流れだした水を両の掌で掬い上げ顔につけた。冷えた水の心地よさに息を吐く。
裾が濡れたが、構うものか。手持ちのハンカチで顔を拭き、それから先程憲兵番長に舐められた箇所を何度も擦った。擦っていると怒りは冷めるどころか余計に煽られるようで、いっそ皮が捲れてしまえとばかりに強く強く擦る。
あの感触が消えない。薄い唇。白い肌。異質な赤い舌。
あの、舌の感触、が。


「…………っ」


思い出すな思い出すな思い出すんじゃない。
不愉快だ。不愉快だ不愉快だ。
使用したハンカチはごみ箱行きだ。決まっている。二度と使うものか。
ごみ箱にハンカチを投下すると、漸く気持ちがほんの少しだけ落ち着いた心地になる気がした。
深く深く息を吐く。落ち着くには深呼吸が一番効果的だ。


(もう二度と金輪際…………)


決意を胸にしながらトイレの戸を引く。
今度こそ部屋に戻り、今日は一日ゆっくり過ごそう。
もう一度息を吐く。やっと日常が戻ってくるのだ。


(あの男には関わらないように細心の注意を払って……)


そうとも、金輪際。
あの男には関わらないように。
細心の注意、を。


「おや?」


ばったり。そんな表現がよく似合う、出会い頭に遭遇したのは、会わないようにしようと考えたばかりの当人だった。


「又会ったねぇ。うん?どうしたんだい?髪が濡れているけれども?」


しかも何故か心配されている。
そうとも金輪際。
金輪際、顔を合わせないように。
しようと…しようと…………


「水道管がどうかしたのかな?」


(早速…)


そうか、成程解った。
信仰なんぞするつもりはない。
ないが、しかし。


今日は、厄日なのだ。
絶対そうに決まっている。




しかし偽装番長は知らない。
以後、何故か憲兵番長に気に入られ、付き纏われる人間第二号になるという事を……















日 常 の 始 ま り




















ヘロヘロさん原案・・というか、漫画を描かれてらっしゃいます。
こんな文章よりずっと面白い、んだ…ぜ…(汗)
書かせて頂きました…ありがとうございました……!!






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