迷路のような男










ブ、ッ


「あ」


落ちた釦。


それが合図。

























カツン、と小さな音を立ててタイルを転がった釦の所為で、留め具の外れた学ランが肩からずり落ちる。
反射的に肩へ手をあて落とさぬようにするが、どちらにしても脱がなければならないのだからと折り畳んで抱えた。
改めて釦を拾おうとタイルに目を落とすが、先程まであった筈の場所にそれは存在しなかった。
一体何処へと目を泳がせる。
右往左往した末、一歩先へ目をやると黒い革靴が視界に入った。
爪先から上へ辿ると、だぼついたズボン。そしてその先には黒い学ラン…ではなく、嫌になる位逞しい腹筋が惜しげなく晒されている。
それ以上は見なくとも解った。
自身の眉が反射的に潜むと同時、眉間に皺が刻まれる。


「あ、出会い頭に嫌そうな顔しないでくれるかな」

「……何用だ」

「こーれ、探してるんだろ?」


目線を上げればそこにはやはり考えた通りの男が笑っていた。
そしてその手には外れた釦が一つ。
これ見よがしにも親指と人差し指で摘んで掲げてみせる。
寄越せ、と口にする事はせず目で訴えると男…卑怯番長はいつもの憎たらしい笑みではなくにこりと邪気のない笑みで口を開いた。


「ねぇ」

「…………何だ」


釦を返さない卑怯番長に苛立ちは増すばかり。
それに気付いていないのか、いやこの男ならば気付いていて無視をするという可能性の方が高いのだが、卑怯番長は変わらず笑ったまま。
そう、笑ったまま。


「付けてあげようか、釦」

「…………は?」


妙な事を、言い出した。










一体何を言い出すのかと呆然としている間に話は勝手に推し進められ、いつの間にか家庭科室に男二人で入る事になっていた。
家庭科の教材を詰めている棚から裁縫道具を引っ張り出す後姿を見るだけでも、裁縫などという行為には程遠いのは明らかである。


「……」

「ん、何かな?」

「……本当に、出来るのか?」


じっと凝視していたからか、視線に気づいた卑怯番長が裁縫道具を机に置きながら首を傾げた。
幾ら相手がこの男とはいえ、真っ向から言うのは失礼かと配慮しながらも、どうしたって家庭的な事には繋がらないのだからと少々控えめながらも否定的な問いを投げかける。
それを不快にも思わないのか、卑怯番長はまぁ貸してみなってと手で招いた。
招かれるまま、卑怯番長の対面に腰を据える。
その間にも卑怯番長は針に糸を通していた。
自分からすれば、あのような小さな穴によくも糸を通せるものだと思う。だが卑怯番長は難なくそれをスルリと通してしまった。


「君の場合はこれ一つで留めてるから余計に負荷が掛かるんだよね」


世間話の如く口を開いた卑怯番長の手は淀みなく動いている。
チクチクチクチク、
見る間に針が通されていくそれを見ていると、遠い昔の幼い日、祖母の繕い姿を眺めていた事を思い出す。
何たる不覚だ。
大事な祖母を、目の前の男に重ねるなどと。
僅かに頭を振う。
不審な目を容赦なく向けられるがそれも仕方が無いと甘んじて受け入れる。
…大変不本意ではあるが。


「はい、出来た。きつめに縫い付けたから、最初の内はこれまでよりきついかもしれないけど馴染めば少し弛むから」

「あ、あぁ…」


ありがとう、と素直に礼を述べる。
卑怯番長は茶化すでもなく、これも素直にどういたしましてと返してきた。
釦はきっちりと縫い留められていた。
何とも調子が狂う。
大体、釦を落とした時から嫌に親切なのはどういう訳だろうか。
はっきり言うならば、気色が悪い。
常の卑怯番長ならば、釦を拾った事にも気付かせず持ち去るだとかくだらなくも確実に困る嫌がらせをしてきてもおかしくはないと言い切れる。
自分から見た卑怯番長という男は、そういった人間だった。


「……」

「…あのさ、さっきから何なんだい?言いたい事があるならさっさと言えば?」

「……貴様、」


裁縫道具を片づけながらの言葉に、思い切って何か悪いものでも食べたのかそれともこれは新たな策への布石なのかと問おうとしたその瞬間。
ガラリ、と一息に開けられたのは家庭科室の扉だった。
反射的に其方へ目を向けると、開いた扉の向こう、小さな少女がにこりと笑ってみせる。


「卑怯番長さん、居合番長さん、ごきげんよう」

「…剛力番長」

「や、白雪宮さん」


ちょこちょこと歩いてくる少女はいつも髪につけているヘアピンをつけておらず、前髪が歩く度ふわりふわりと無造作に揺れる。
それを見て、卑怯番長が声をあげた。


「あぁ、ごめんね。これから渡しに行こうと思ってたんだけど探させちゃったかな?」

「いぇ、お二人が此方に向かわれたとお聞きしたので足を向けてみただけですの。お気になさらないでください」


にこにこと朗らかな笑顔で交わされる会話は何の事やら。
卑怯番長は裁縫道具を棚に詰め直すと、改めて剛力番長に向き直った。
それからポケットに手を入れると、ハンカチを取り出す。
何かを包んでいるのか変に丸まったそれを剛力番長の前に差し出せば、勝手知ったるとばかりに少女は笑顔で受け取った。


「ありがとうございます」

「いいよ。たまたまだしね」

「……あの、一体何を…?」


訊ねれば、やはり少女はにっこりと笑っている。
少女が笑っていない時など、闘っている時位のものだろうが、それにしたってよく笑う少女だ。


「以前つけていたヘアピンを失くしてしまったのですが、生憎作っていた店が閉店してしまったそうで」

「僕の知り合いが同じものを持ってるから、譲って貰えるように頼んだって訳」


ハンカチを解き、その中から表れたヘアピンを目にすると益々少女の笑みが深まる。
余程気に入っていたのだろう。
それにしても、少女趣味のヘアピンを持っている知人が居るとは人脈は広いらしい。
ありがとうございます、と少女は素直に礼を述べる。
卑怯番長は茶化すでもなく、これも素直にどういたしましてと返していた。
これでは、先程の自分と卑怯番長のようだ。
卑怯番長の手が少女の髪を優しく撫でる。
慈しむようなそれは、まるでいつもの卑怯番長とは違った人間のように穏やかで、そして常の卑怯番長を知る自分からしてみれば異常にしか映らない。
けれど少女はそれを当然の事のように受け入れているのだから、少女にとっての卑怯番長はこの卑怯番長なのだろう。


「……卑怯番長」

「ん?何だい」

「……何か変なものでも食べたのか?」


至極真剣に訊ねれば、その問いに目を丸くした卑怯番長は、それから小さく笑って帽子の鍔を引くと、今度こそいつもの人を食った笑みを浮かべた。


「お礼はいいお金になるものが良いな」


親指と人差し指で輪を作り、守銭奴の如くそう言い放つ。
あぁ、やはり此方が自分の知る「卑怯番長」だ。


全く、この男は一体幾つの顔を持っているのだろうか。
計り知れない、という意味ではやはり油断ならない男なのだろう。


































迷路のような男

(お金云々は抜きにしても繕ってくれたのは事実だからな。何か一つ礼はする)
(君って生真面目だねぇ…じゃ、あれで良いや。明日のお昼ご飯、奢って)
(……そんな事で良いのか?)
(駄目なら言わないよ(やった、一食分お金が浮く))



































18000番を踏まれたちりこ様に捧げます

リクエスト内容
『なんだかんだで兄ちゃん体質な卑怯とアイドル番長ズの絡み』




第3回BLove小説漫画コンテスト開催中
無料HPエムペ!