食事風景










足元に纏わりついてくる白い毛玉を見下ろす。

戯れに爪先で顔を押しやれば、嫌がるどころかじゃれているとでも勘違いしたのか喉を鳴らしてまた爪先に纏わりつく。


……これはやはり。


「…本当にこの犬は君の倅ではないのかね?」


こう問いたくなるのは致し方が無い事だろうと言わんばかりにそう訊いてきた男を、久々に殺してやりたいと思った。





























パキ、ッ。
小さく響いた音は、己の手元からだった。
握り締めているものは薄青色のグラデーションに彩られた湯呑。
普段は洋食の多い自分が、目の前で食事に勤しんでいる男が来た時にだけは和食を作る為か、いつの間にか男自らが持ち込んでいた湯呑である。
見ていれば解る事だが、男が存外この湯呑を気に入っているらしい事は以前から概ね理解していたので、陶器の表面上、僅か入ったヒビをどう誤魔化すか慌てて考えた。
冷蔵庫に備えてある乳製品を目にして何だこの下劣な食べ物はと言わんばかりの顔をした男は、今は茶碗の隅に残った飯粒を箸で摘んでいる。
時折男の目線がテーブルの下に落ちるのだが、其処には何があるのかなど考えるまでもない。
チラリ、下を見下ろすと短い尻尾が一生懸命フリフリ揺れている…子犬の姿。


(……すっかり懐いたもんだな)


犬は人間のよき友と言うが、しかしその本質は動物である筈。
それならば、人間の中でも最重要危険人物とも言えそうな男に懐くなどという事が自殺行為に等しい愚鈍なそれであるのだと気付いてもいい所だが。


(…いや、そんな場合じゃない)


さてもとりあえずこの手の中にある湯呑を何処にどう隠し、尚且つ男に疑われぬように言い訳をすべきかを考える。
いや、今朝は機嫌がいいようだから、素直に謝るのが一番損害を被らないかもしれなかった。
が、そもそも何故男の湯呑が手の中にあるのかという事を考えると、素直に謝るという行為をするにはどうにも至らない。
大体自分は男の給仕でも何でもない筈なのに、何を甲斐甲斐しく茶の用意までしようとしているのか。
ヒビの入った湯呑をそっとビニール袋に詰めてゴミ箱の裏側に置いた。


「……おかわりは」

「少々戴こうか。で、質問は無視かね」


不服そうにあがった眉は見なかった事にする。
馬鹿らしすぎて答える気にもならない其れを、もしかしたら男にすればそれは真剣に問いてきたのかもしれない。
むしろその方が嫌だという事を男は解っていないのだろうが、此方が無視し続けるとそれはそれで後が面倒だという事は容易に想像できる。
湯呑と同じ色をした茶碗を受け取り、新品に等しい炊飯器の、室内の蛍光灯に照らされキラリと輝く白い蓋に手をかけた。
外界の空気に溶け込んだその瞬間、蓋の内側に押し込められていた大量の蒸気が顔にかかる。
今日の米は少々水を入れ過ぎたのか、水気が多く、些かねっとりとしていた。
目測でやるものではないよ、と。
おかわりを要求してきた男がお決まりの小言を口にしたのはつい先程の事だ。
文句を言うのならば食べなければいいものをと思う時が大部分だが、男も嫌味ばかりではない。
美味しいものは素直に賛辞を呈するし、なんだかんだ言いながらもこれまで出したものが残される、などという事はなかった。
それ故か、ついつい自分はまた男にこうして食事を用意してやるのだ。


「俺の子な訳ないだろう」

「それにしては随分そっくりではないかね。特にば」

「かな所って言うんなら、これは要らないんだな」


適当に掬った飯をこれ見よがしに掲げると、男は楽しげに眼を細めた。
嫌な眼だと、率直な感想を抱くが相手が相手なので悪いとも思わない。
男の頬が引き攣り、いやらしい皺を刻むようにして緩んだかと思えば、ふふ、と笑い声が零された。


「これは失敬。訂正しよう、この子犬は君の倅ではないだろうとも」

「ふん、随分と素直に」

「何せ、この子犬は君のように歪んだ上に卑屈な壊滅的性格をしていなのだからね」

「…………」


喧嘩を売ってるのかこの野郎。
歪んだ上に卑屈で壊滅的な性格をしているのはどっちだと言いたい。
そもそも人斬り道楽に勤しむ男に性格云々を問われては世も末というやつではないのか。
今なら目線だけで人を殺せるのではという形相で見下ろすが、男にとっては柳に風、暖簾に腕押しとばかりで効果は期待できよう筈もない。
いっその事、先程そっと隠した湯呑を叩きつけてやろうかとも思ったのだがそれをするには現在迸っている怒りを更に上回る度胸という名を隠れ蓑にした無謀さが必要だった。
朝っぱらから戦うのは、正直勘弁して欲しい。
負けるとも思っていなければ、殺されるとも思っていないが、それにしたって折角の休日だと思えばこそ。
たまには平穏に一日を過ごしてみたい、などと、そんな幸の薄い願いをもつようになったのは男と知り合ってからの事であり、しかもその願いが叶うなどという事は統計を取らずとも九割方は無理な話なのだから、不幸な事この上なかった。


「……おら、さっさと食え」

「口でも腕でも、小生に勝とうなどと気が早い話だとは思わないかい?」


荒々しさを意識して、ガツンッと勢いよく茶碗を男の目の前に置く。
言い負かした事への優越か、それともただ純粋に喜んでいるのか、珍しくも朗らかな笑みには舌打ちで返す事にした。
まともに取り合っていたら疲れるのは此方なのだと解っているのだから、自分も相手をしなければいいものを。
解っているのだが、それも所詮「つもり」の域を出ていないのだろう。
だから同じ失敗を繰り返す。
男からしたら、それが馬鹿だという事なのだろうが。


「そういえば、この子犬の餌はないのかね?」

「…下にあるだろう」

「おや、本当だ」


今思いついたという口ぶりの男には、もはや今更だと言及するのも面倒くさい。
拾ってすぐコンビニで買ってきたドッグフードは、しかし皿に盛りつけられたまま手つかずだ。
子犬は終始男の爪先にじゃれついているばかりなのだから、それも当然と言えば当然なのだが。
だからこそ、説明が面倒くさいという此方の心境にも気づいてくれやしないだろうか。


「食べないのかい?」


この言葉は自身に向けられたものではない。
視線は明らかに下へ下へ。
子犬が首を傾げでもしたのか、やはり馬鹿だ、と男がしみじみ呟いてくれた。
そんな反応に対しても突っ込まない。
もう完全に心を無にして、あまり関わらない事がこの場では得策なのだと何度思った事か。
しかし学習している割に、毎度こうなっている自分の心境はやはり学習はできてもそれを応用するまでには至らないらしかった。


「お食べ。沢山食べねば、この駄犬のように大きくなれない。まぁ、ただ図体がでかいだけというのも困ってしまうのだがね」

「……」


誰が駄犬だ、誰が。とは思いつつ、反してもう一人の冷静な自身が無視だ無視と言い聞かせてくる。
大いに水分を含んだ米を咀嚼しながら傍で見ていると一人で喋っているようにしか見えない。
完全に無視されている事にも大した反応を見せぬままに、むしろ自分自身が無視されているような気すら起きそうな程、男の目線は下へ向かうばかり。
……なんというか、少し面白くない。
自身の口角がほんの僅か下がった事が知れる。
先程の怒気とはまた違った、しかし面白くない不快感に口が曲ったかと思えば、見計らったかのように男が此方を見た。


「ところで、小生はそろそろ茶湯を戴きたいのだが」

「…………今から湯を沸かすから待っていろ」

「おや、君の後ろで蒸気を発しているあれは湯でないと言うのなら一体何なのかね?」

「っ………あぁ、いや、それは………」

「加えて言うのであれば、屑箱の陰にある袋から僅かに透けて見えるものに小生は大変見覚えがあるのだがね?」

「っっっ……!!」





この駄犬め、と。

男の笑みが、それはもう恐ろしい程に穏やかになる。
カタンッ、立ちあがった男の足元に、今や子犬の姿はない。
空いた扉の隙間から隣室へと逃げて行く子犬の尻を見て、何だ意外と賢いんじゃないかと見当違いな事を考えている視界の隅で、男が愛刀へ手を伸ばす。












やはりと言うべきか、今日も平穏な一日には程遠いらしかった。



































食事風景

(これが日常になりつつあるなんて最悪だっ!!)
(何を今更。こら、逃げていないで相手してくれたまえ)
(湯呑一つで物騒なものを振り回すな!!それから室内で戦える訳ないだろう!?)
(成程、外ならばいいと)
(違ぁぁぁぁぁぁぁぁぁうっっっっ!!)

































朝の風景の続き的な…
この二人は一日一回は闘っていれば良いと思う(どんだけ殺伐とした奴らだ)
憲兵的にはじゃれついてるつもり。
ワンコからすればマジ泣き入る死闘(笑)




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