恋人の名前












ほんのりと頬を染めて、控え目にはにかみ紡がれるのは自分の名……ではなく。


「……爆熱、番長…」


あぁ、また『そっち』かとつい落胆してしまうのは数えてもう何度目の事だろう。

自分でも随分と軟弱な思考であるとは思っているが、それでもやはり、好いた女には名前で呼んで欲しいと思ってしまうのも男の性というか何というか。


「な…何だ?道化番長夜子」


……そんな事を言っている自分も、やはり彼女を名前で呼ぶ事は出来ないのだが。

































「…………ばっっっっかじゃないの?」


情け容赦のない一言に対してはもうどう返したものやらと考えてはみるが結局返す言葉など浮かばぬまま机の上で面目ないと呟いたきり顔を覆った。
好いた女と常にと言っても過言ではない程共に行動している片割れの女、道化番長朝子は、心底呆れ果てたと言わんばかりに侮蔑の言葉を投げつけてきたかと思えばそれはそれは深い溜息を零してみせる。
意気地なしと誹るならば誹れ…というかむしろ誹ってくれ。
どうせ俺は駄目な男だ。


「そうやって自己嫌悪に浸ってる暇あるなら少しは努力しなさいよ。大体アンタも男のクセにウジウジウジウジ…金剛番長を仕留められないならって爆弾呑み込んだ時のあの大胆な行動力はどこへいった訳?」

「っ……正論過ぎてもう何も言えんのだが…」

「そもそも反論する事は認めてないわよ馬鹿」


なんとも一方通行。道化番長朝子の独壇場。
けれども相談しようと決めたのは自分であり、それにもう相談してしまっているのだから今更引き返せるとは思ってもいないのだが。
あぁ、それにしたって確かに。確かに自分は情けない駄目な男だ…と、また自己嫌悪に浸ろうとしているあたり救いようがないのではないだろうか。
午後の紅茶とラベルの貼られたペットボトル(相談料として奢れと言われ自分が買ってきたものだ)に口をつけ、改めて蓋を閉めてから道化番長朝子は努力をしなさいと再び正論を突き付けてきた。
努力でどうにかできるものならもうとっくにどうとでもしているというのに、何故それを解ってはくれないのだろう。


「努力と言うが、具体的にどんな事をすれば良いんだ!?」

「あー、もう煩い!音量抑えなさいよ!…例えば…試しにヌイグルミとか、無機物を相手に夜子って呼んでみるとか?」

「それは傍から見たら変質者じゃねぇのか?!」

「だから煩いって言ってるじゃないのこの脳みそ筋肉馬鹿!!」


お前も大概声がでかいぞ…なんて返したが最後だ。
考えに考えてはみたがこいつ以上に好いた女の事を理解していて更に相談にまで乗ってくれる相手は居ないのだから、怒らせるのは得策ではないだろう。
本来、こんな風に頭を使って人と話すのは苦手だからあまりしないのだが、今はそう贅沢も言っていられないのだ。
まず、自分の名前を呼んで欲しいと言う為には相手の名前を呼ぶ事から始めた方が良いというのは道化番長朝子の発案であり、そして自分も納得のいくものだった。
しかし、問題はそもそも前提からしてそこにあるのだという事を忘れてはいけない。


「はい、じゃあ早速」

「それは何処から出したんだ?」

「ハイド・アンド・シーク用に新しいの仕入れたトコなのよ」


細かい事は気にしないで呼んでみなさい、と道化番長朝子がユラユラと両手で揺らしているのは白いアザラシのぬいぐるみだった。
之を道化番長夜子に……見立てられるのか?普通の感覚的に。
いや、そんな事を考えている場合ではない。
道化番長、という総称の後にならば夜子と呼ぶのは容易いのだから、つまりは『道化番長』を無くすだけの事だ。


「…………っ……っよ」


無くすだけの事だ。


「…っ………っ…………よ、よよっ」


無くすだけの……!


「よっ…よ、よよ、よよよよよよよよっっ!!」

「…………誰が掛声かけろなんて言ったのよ」


重症だわ、と呟かれるまま一旦下げられたぬいぐるみを反射的に目で追いかけていると、どうにも情けない空間が出来上がる。

創儡夜子。

そうらいよるこ。

夜子。

よるこ。


(……音にするだけだ!音にするだけ……!!)


『よ』と『る』と『こ』の、一つ一つの音を繋げるだけだと思えば簡単な事の筈だろう!


「っ……よし!もう一度頼む!道化番長朝子!」

「…はぁー。まぁ、奢って貰った分は付き合うわよ」


再び視界に飛び込んできたアザラシのぬいぐるみ。
まず、之は彼女ではない!
つまり恥ずかしい事など何もない!
間違っても名前を呼ばれた不快感を、この上なく露わにした表情など浮かべようもなく、更に言うならば名前を呼び返してくるなどという嬉しい事態もない!(それはむしろあるならつけて欲しいオプションではあるのだが)
之はただのアザラシ。之はただのアザラシ…!!


「……よし、言うぞ!!」

「男なら決めるトコ決めな!!」

「――――――――――――よる、」




ガラッ、




「ぇ?」

「ぁ」

「…………っ、ご、ごめん…なさいっ…!」


今度こそ最後まで!と意気込んだ所に突如として現れたのは、当の道化番長夜子その人であった。
暫し呆然と此方を見ていたと思えば、何かを思いついたかのようにはっとして走り去ってしまう。
一体何に対しての謝罪なのか見当もつかず、それ以前に、見られた事と、もしかしなくても聞かれてしまったのだろう事をはっきりと自覚してしまえば混乱しても致し方があるまい。


「道化番長朝子、すまんまた頼む!!」


ほぼ反射的に動いた自分の両脚は彼女の後を追いかけようとする。
問題の解決に至っていないというのに、それらを後回しにする発言を置き土産にしてしまったのだから、道化番長朝子には後々それはもう怒られるのだろう事が解りきっているが。
それでも、走り去った彼女は酷く傷ついたような顔をしていたのだから考えるまでもない。


「……っ、道化番長夜子!」


待てと声をかけるものの、彼女は一度も此方を見る事はないまま走り続けるばかり。
名前…ではないが、とにかく常ならば呼んだ途端些か照れたようにはにかんで此方を見上げてくれる彼女の対応にしては随分なそれに、湧き上がる違和感は焦燥に転じていく。
もしかしたら、あのような情けの無い事をしているウジウジした男に愛想を尽かしたのだろうかと。
いや、待て待て待て待てそれはいくら何でもっ…ありえないと言い切れないのがまた情けない。
とにかく彼女と話してみない事には何も事態は動かないのだ。
姿がまだ見えているだけマシ。隠れられでもしたら自分にはもうどうしようもなくなるではないか。






「―――夜子っ!!」






口をついて出たのは、ずっと呼ぼうとしてそれでも口にはできなかった彼女の名だった。
背中から肩を掴み、腕を引き寄せる。
焦燥混じりで引き留めた行為は内実として力任せのそれだったからか、彼女の身体は勢いよく己の腕の中に飛び込んできた。
柔らかく、そして温かい身体の感触と、視界の中艶やかに靡いた黒い髪に一瞬見惚れてしまう。


「……っぁ、す、すすすすすまんっっっ!!!」

「…………っ…」

「な、なななななっっっ!?!?」


意識を取り戻して勢いよく離れれば彼女の目尻から透明な雫が跳ねた。
泣いているのだ、彼女が。
一体全体何がどうなって泣いているのか。
泣きたくなる程俺は情けない男だという事だろうか。


「ち、違っ、あれは違うんだ!いや違うと言うのはまた違うんだがとにかく誓って俺はお前の思っているような情けない事は……!!」

「……違う、って…………朝子がいい、とか…そう、じゃない…の?」

「…………」


道化番長夜子の言葉を総合すると、つまり彼女は先程俺が道化番長朝子に手を出していたように見えていたとそういう事なのだろうか。
いや、考えてみれば先程は勢いあまってぬいぐるみににじり寄っていた。
それは、傍から見れば道化番長朝子に言い寄っているように見えなくもないと…言えなくもない。
つまり彼女が先程傷ついたような顔をしていたのも、今現在泣いているのも自分が情けないからではなく自分が浮気をしたと思っていた…か、ら……!?!?!


「違っ……!俺は断じて浮気などという熱くねぇ事はしない!!ただ俺はお前に俺の名前を呼んで欲しくてその為には俺がお前の名前を呼べるようにならないと駄目だと道化番長朝子が言うからなら練習をとただそれだけで…って、だから、だなっっっ……!」


しまった、これでは全て白状したようなものだ。
いいやこれは白状そのものである。
思わず口を押さえるも全てが全て遅かった。
途端に熱くなっていく頬の熱を引かせる術など見当もつかない。


「そ、そのっ…だからっ…!?お、おいっ?」

「………よか……っ…良かった…!」


ふわりと髪が靡いたと思ったら、彼女の細腕が身体に回された。
次いで、再び触れた柔らかな感触に狼狽する。
反射的にも引き剥がそうとした手が、彼女の小さな、けれども確かな喜びを帯びた声に反応してピタリと留まるのが解った。


「…な、泣くなっ」

「………っ…」


恐る恐る長い黒髪を撫でる。
縋る手にギュウッ、と力が籠められて、何だか堪らない気持ちになった。


「………っ……よ………夜子」


まだまだぎこちなくてまた情けない気持ちになるが。


「っ…ふふ………嬉しい…」


彼女が笑ってくれるなら、それでもう充分だと思えるのなら、きっとそれで良いのだろう。



























恋人の名前

(……それで?今度はアンタが悩んでる訳?)
(……そ、そう…なの)
(二人揃って同じ悩みを相談してこないでよね。ま、良いわ。はいじゃあこれ使って練習しましょ)
(……っ…ほ、ほ…ほほほっ)
(…………誰がマダム風に笑えって言ったのよ)







































いいカップルだと思うんだホントに(いきなり)
朝子姉さんは私的にサソリの姉御並に姉御キャラだと信じて疑いません。
恋に不器用でも良いけど、他人の恋愛事情なら幾らでも言ってくれる、みたいな。
寝かせ過ぎて腐ってしまったネタです。
四巻出る直前に、爆熱の名前出たら書きたいなぁって思ってたのに、爆熱は五巻に回された絶望からずっと寝かせてた…orz




あきゅろす。
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