素直でない欠落者









噛み合わない歯車のようでいて。

けれどもほんの少し弄れば、元通りに噛み合う。



そのような印象を受けるのだけれど。

彼らの歯車はいつ何時も噛み合わせる事を厭っているようにも思えた。





























ガツン、


何かがぶつかる鈍い、けれども荒々しい音が響き渡った。
衝撃を予期していなかったのか、らしくもなく甘んじてそれを受け止めた青年は、けれども受け止めきれずに情けなく尻を床に打ちつける。
何が起こったのかと問うように青年が見上げたが、その瞳に映ったのは激しい怒りをその眼に宿した男であった。
男は青年をただただ見下ろす。
ねめつける眼差しは鋭い刃物のようであり、そしてそれはただひたすらに痛みを伴っていたのだが、青年はそれを不思議そうに見上げるだけであった。
握りしめられた手のひらは開かれることのないまま、男は逃げるようにしてその場を走り去る。
全てを見ていた私の目には、男の苦しそうな表情が焼き付いてしまったようだった。
網膜に刻まれた記憶というものは、データ状のそれよりも鮮明で、だからこそ扱いに辟易してしまうのだが見てしまったものは仕方がない。
青年は放心したようにピクリとも動かず男が立ち去って空虚と化した空間を見つめるばかりで、ぽたりと滴り落ちる赤い液体を気にする素振りも見受けられなかった。
世話の焼ける、と思いつつ放っておくのも気が進まず結局は白のハンカチで青年の鼻先を押さえる事にする。
青年は未だ何が起こったのか解らないようなので、やはり私はその扱いに困ってしまうのだが。


「大丈夫ですか、憲兵番長」

「……あぁ…あぁ、いや、いや、大丈夫だとも」


どちらともつかないゆらゆらとした返答について言及する事はないが、やはりこのままという訳にもいくまい。
多少乱暴にハンカチを押し付け、それがしっかりと青年の手によって押えられるのを見届けてから、零れ落ちた幾筋かの髪を耳にかけるようにして指先で流す。


「あれは貴方が悪いと思いますよ」

「どれが悪いのだい?」

「君は病気だと、そう仰ったのでしょう」


よく解ったね。
感情の起伏も見受けられない声がそう称賛するが嬉しくもなんともない。
ニタリと笑った青年は、未だ床に尻もちをついたままであったので、手を差し出そうとしたのだがそれは丁重に断られる。
そうして青年は立ち上がると、事もなげに彼は病気なのだろうと呟いて見せた。


「彼は小生を好きだというのだよ。病気以外の何だというのだい」

「恋とは理屈ではないでしょう」

「…君は、どうやら彼の味方のようだねぇ?」

「貴方を好きだという人間が一様に病気だと言われれば怒るのも当然ではないでしょうか」

「では病気以外の何であると?」

「恋は病という言い方はしますが、実際は病気ではありませんから。私の口から、それ以上は何とも」

「それは、なんとも酷い謎かけだ」


酷いと言いながらも、その顔に非難の色はない。
非難どころか、そこには何の感情も見受けられないようだった。
彼は病気だよ、酷い病気なのだ。
病気だ病気だと呟き続ける青年の姿の方が病んでいるように見えて。
止せば良いのに、私は尚もその事を口にした。


「貴方の事を好きな方は、貴方が思っているよりは多いでしょう」

「それは皆、病にかかっているのだよ」

「それではあまりに相手が可哀想だとは思いませんか」

「成程、確かにそれは極論かもしれないね。では皆が優しすぎるのだと言い変えようか」

「優しさだけでは人を好きにはなりません」

「優しさは言い換えれば同情ではないのかね。同情ならばそれこそ互いが互いに可哀想ではないか」

「……誠に不愉快ですが、彼の気持ちが解ってきました」


あの男ではなくとも、目の前で如何にも解っていない青年の顔を叩いてしまいたい。
そんな乱暴な衝動は溜息をあてつけがましく吐く事でどうにか逃がすけれど。
他者を軽く見ているのか、それとも己を軽く見ているのか。
それとも、もしくはただ単に悲観主義過ぎるだけなのか。
しかしながら普段の彼からは、悲観という言葉が不似合いこの上なかった。
目の前の青年は、口ではとうにこの場を去った男を軽蔑しながら、それでも縋るように其方を見ている。
口で何と言っていても、心の内ではやはりあの男が良いのではないだろうか。
ただ単に素直でない、という事ならば、話はもっと簡単に済んだであろうに、けれども目の前の青年は、可哀相な男なのだった。
悲観ではなく、青年は自身を最低な人間であると称する事を厭わない。
その事実を受け入れた上で、男は青年に恋をしたというのに、その事実を受け入れた上で、青年はこれまで修羅の道を歩んできたというのに。
けれどもだからこそ、だろうか。
だからこそ青年は、今更になってそれを受け入れられなくなったのか。
男が青年に恋をしたから、青年はそれを恐ろしいと思い始めたのか。
考え始めればきりがないその机上の空論を、青年に論じるには時と場所とそして精神が相応しくなかった。


「……気になるのでしたら、追いかければよろしいかと思いますが?」

「気になる?小生が彼の何を気にかけていると?」

「別に私は人物を特定した覚えはありません」

「状況判断というものさ。それとも違う人間を指したのかね?」


口で説き伏せるのが目的ならば、時間を少々要しただろう。
しかしこれ以上の問答は青年自らが拒否を示した。
君がうるさいから行くのだよ、と不必要な理由を不自然な体で零して、カツンカツンと足音を残し歩んでいく背中は心なしか慌てているようにも思える。
あぁ、なんて素直でない人なのだろう。
不謹慎にも笑ってしまいそうになるが、努めて堪えた。


青年はこれから男に何と言うのだろう。
そうして男は、青年が追いかけてきたという事実に何を見出すのだろう。

流石にそこまで観察するのは野暮というものだろうし何よりも馬に蹴られたくはなかったので、私は青年の背中をただ見送る事にしたのだった。































「王狼番長」


遠くから硬質な足音が聞こえてきたと思ったら、思いもよらない声がかけられた。
その言葉の持ち主は振り返るまでもなく知っている。
先程、多少の手加減はしたが衝動でつい手を出してしまった青年だろう。
振り返るに振り返れず、また、足を止めようにも止められないのは殴ってしまった負い目だろうか、それともまだ自分の中に燻っているものが消せていないのだろうか。
王狼番長、と。
再び青年が呼んだのは、随分と距離が縮まってからの事だったのだろう。
声は随分と近い。
流石に無視するには不自然な距離であろうから、諦めて立ち止まるとボスンと勢いよく何かがぶつかってきた。
何かと言うには大いなる語弊があるのだろう。
ぶつかってきたものは温かく、そして重みがあるのだから、近い所に居た青年である筈なのだ。


「……何か用か」


漸く絞り出した声は、それでも、もう一度殴られたいのか、などと挑戦的な事を言わなかっただけマシなのだろう。
しかし青年にしてみたら予想外の問いであったらしく返答をすぐに聞く事はなかった。
文学番長が…いや、違うな…しかし…などと、聴覚が拾うのはなんとも不明瞭な呟きである。
青年を殴り、あの場を立ち去った時に、文学番長がやってくるのが見えたのは自身とて覚えている。
ならばあの女性が青年に何事かを言ったのだろうか。
だとするなら、青年の今この時の行動は自己啓発ではないのだろうか。

ぬか喜び。

肩透かし。

そんな言葉が似合う己の心境も知らず、青年はやはり未だ言葉を探しているようだった。
こういう時ばかりは、青年が自分よりもずっと年下の少年に思えて仕方がない。
何故解らないのか。
何故解ろうとしないのか。
想いなど存外単純明快、簡単なものである。
好きか嫌いか、それだけならばきっと、この青年の方が容易に答を導き出すだろうに。
これが恋という、わざとらしい名称があるから、解らないのだろうか、解ろうとしないのだろうか。
だがそれはただの逃避である事に、青年は気付いているのかいないのか。


(……面倒な奴だ)


深く零れ落ちそうな溜息は、細く長く、青年には見咎められぬように吐き出した。


「……お前は、賢いクセに馬鹿な人間だ」

「…何をいきなり言うかと思えば」


不服そうな声が背後で唸る。
それを喉で笑ってやって、不意打ちに振り返り帽子越しに力強く頭を撫でた。
丸まった黒い目は呆気にとられていてなんとも間抜けな事この上ない。
鼻先から僅かに滲み出る血を指先で拭うと、痛むのか眉がひそめられる。


「殴って悪かった」

「―――おうろ、」


言葉を遮ったのは己の口であり。
言葉を遮るには短絡的な行為でもあった。




ガツンッ、




今度その音が響くには、己の頬からであるのだが。

しかしそれまでは、あと数秒を要するようであった。





























素直でない欠落者

(……手加減ってものを知らんのかお前は)
(……君の病気もこれで微々たるものとなるのではないかね)
(…怒ったか?)
(何を怒る必要がある?君は病人なのだ。病人のする事に度々反応していてはそれこそ馬鹿ではないか)
(…………(それは何をしても許されるって事なのか?))
























憲兵は天然でもいいと思う。
それでもって、天然悲観主義の天然誘いでもいいと思う。
この二人で花以外の話書いたの初めてだ(笑)




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