菊、一輪。
「……何という顔をしているんだい?」
悪魔が本当にこの世に存在しているというのなら。
きっとこんな顔で笑っているんじゃないかと思う。
黒い翼と尻尾は見えないが。
白いマントを翻した白い悪魔。
失敬ではないか、などという言葉は右から左へ流した末に埋めて二度と出てこないようにしてやりたい。
誰がいつどのようにしてこの男を敬ったのか、そもそも敬う必要性は関係上全く無いのではないかと言い聞かせてやりたい。
ニヤリというよりはニコニコ笑っているあたり今日は機嫌が良いのだろうか。
今日は、という言葉には何の語幣も無かった。
昨日も、一昨日も、それから前の日も、目の前でにこにこと笑う男は自身が寝込んでいる部屋へふらりゆらりと現れては菊の花を置いて行く。
正直何の嫌がらせだと思っているのだがそれを口に出した場合はもれなく無抵抗の内に斬られるのが明白なのであまりうるさく言えないのが現状ではあるのだが。
まだ今日は機嫌が良さそうなだけマシだと思うべきだろうか。
これで機嫌が悪いと、何故来たのかと聞きたくなる位に理不尽な言葉の攻撃をただひたすら受け続けなければならないのだ。
「お邪魔だったかい?」
「……座るなら座れ」
「君ならそう言ってくれると思っていたよ」
君は負けず嫌いだからねぇ、だなんてしみじみと言われて癪に障らない人間が居るだろうか。いや、居ないだろう。
そこまで考えて、しかしここでなら座るなといった場合は負けず嫌いを肯定するようなものなのだろうかと考える。
しかし負けて楽しいなどと思う奴は男ではないのだし、ならば負けない為にはここで何かを言い返さない方が良いのだろうか。
だがここで黙るのもやはり肯定でしかないような…あぁ畜生、訳が解らなくなってきた。
「ククッ、君は解り易い男だねぇ。心の中が見えるようだ」
「……悪かったな」
「いいや、悪くなどないさ。負ける事を肯定する人間と死合っても、楽しい事など何もない」
結局この狂人の頭の中はこれだけしか無いのだろう。
早く治してくれたまえ、でないといつまで経ってもつまらないではないか、などとこちらからすれば理不尽極まりない言葉を拗ねたようにつまらなさそうに呟く姿は新しい玩具を強請る子供か。
いいや中身は充分に成熟した、しかし偏りまくった思考回路の変態サディストであるのだが。
「それで、いつ退院できるんだい?」
「……病院出た瞬間に斬りかかってくる気か、お前は」
「それは君次第ではないかと思うのだがね。粛清の対象外になれば、君を斬る必要性も無くなってしまう…残念な事にねぇ」
23区計画の全面凍結に伴った粛清という名の私刑。
己と共に日本統括を目指したウルフファングの番長達は脱落の意思を示したのだろうか。
いつまで経っても、意固地に目の前の男を拒否するから、この男はいつまで経ってもここに現れるのだろうか。
口先だけならば何とでも言える。
だが、口先だけなど男のする事ではないだろう。
しかもこの男は、自分が拒否し続ける事を望んでいる口振りなのだから手に負えない。
粛清粛清と口では言いながら、気概のある強者を斬り伏せる事しか考えていないのだろう。
哀れな男だ。
光の反射すら受け付けない、薄暗い黒の瞳は底が見えず一種の恐怖を呼び起こす。
覗きこめば其処は深淵。油断すれば底の底まで落ちて行く。
いいや、それもまた錯覚なのだろうと、誤魔化すように頭を小さく振った。
「……お前を許す訳にはいかんからな。この傷が治るまで、首を洗って待っていろ」
「ククッ、そうだよ。その調子だ」
そうでなければ楽しくない。
そう言って笑う男は、昨日挿したばかりの菊を抜き、新たなそれを水に浸した。
せめて水を変えてくるマメさを見せて貰いたい所だがそこまで献身的にされても気持ちが悪くて仕方がない。
こんな風に、花を持って来られる事自体が気味が悪いのだが。
「……何だい、珍妙な顔をして」
「いや……その、花はどうにかならんのか」
もしや遠まわしに死を悼まれているのかと思いつつ、それはそれでありえそうで嫌になる。
菊だなんて、いじめられっ子の机上に置かれているようなものではなかろうか。
花?と目を暫く瞬かせた後、あぁ、と呟いた男は手のひらを口元にあて考えるように花瓶に挿された菊を眺めている。
「菊の花はお気に召さなかったのかい?残念だ」
「いや、気に召すとか召さないとかでなくてだな……そもそも何なんだ、花なんか持って毎日毎日…見舞いでもあるまいし」
「おや……?見舞いの心算だったのだが」
「そうか見舞い…………見舞い!?!??!」
大声を出した途端ズキズキと傷口が主張し始める。
若干涙目になってしまったが、それどころではない。
この変態狂人サディストが…
思いやりの「お」の字も無さそうなこの男が……
見舞いなどという人道的な行為に走るなどとは全く考えられない。
当の男はといえば、少々納得がいかなさそうに唇を尖らせている。
もしかしなくても逆鱗に触れてしまったのだろうか。
「お、おい……!」
「何だい、この駄犬」
「だっっっ……!?!??お前、喧嘩売ってるのか?!」
「喧嘩なんて生易しいものじゃなく、死合いたいのだがね」
そろそろ失礼するよ、と席に戻るでもなく出入り口に向かう背中は、罪悪感もあってかどことなくしょげているようにも見える。
怒らせたのかとビクビクしていただけに、そして、いつもピシッと伸びた背筋を口惜しい憤りと共に見送っているだけに、その光景は新鮮で、そしてやはり僅かな罪悪感を持ち得させた。
「……そうそう」
ピタリと男が立ち止まり、振り返る。
それに合わせて白いマントがヒラヒラと揺れた。
やってきた当初は微笑んでいた顔にはもはや感情の機微など何処にも感じられず、能面に近しいそれは恐ろしい位の無表情だった。
「君も、人に道徳を説くのならば少しは勉学に努めたらどうだね?」
「勉学……?」
「菊の花…そうだね、取分け黄色の其れには、どのような花言葉があると思う?」
君には解るまいがね。
そう言って今度こそ部屋を出て行った背中は、すぐに閉められた扉に阻まれ見えなくなる。
「……花言葉だぁ?」
一体何の話だと思いつつ、何気なく見やった先では窓から差し込む風に、菊の花びらが楽しそうに揺れていたのだった。
菊、一輪。
(…不機嫌ですね。憲兵番長)
(……そう見えるかい?文学番長)
(えぇ、出る時は随分と機嫌が良かったようですが…出先で何か問題でも?)
(…………何も?何の問題もないとも)
黄色の菊の花言葉=「ろうたけたる思い」「わずかな愛」
興味とか斬りたい衝動とか、それを好意的に解釈したら恋になると思うキチガイでごめんなさい(土下座)
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