ある日雨の日
ザアザアザアザア
絶え間無い音に
酷い雨だ。
呟いたのは、どちらだったか
買い物帰りに突然降りだした雨は正しくバケツをひっくり返したような豪雨だった。
空が光った瞬間、嫌な予感はしていたのだが、生憎と傘を持ち合わせるような周到さは何故か今日に限って欠けていたらしい。
駆け込んだ軒下で金剛と出くわした時は、何のドッキリかと思ったものだが。
雨がやむまで、雨宿りを共にする事になるとは考えもしなかった。
「…夕立かな」
「今朝の予報だと、快晴だと言っていたからな」
金剛の言葉に、今朝の予報を信じきって庭に洗濯物を干してきてしまっていた事を思い出す。
あァ、何て事だろう。
弟妹達の誰か一人でも気付いてくれたら……転んだりして余計に洗濯物が増える上に怪我をするかもしれないな。気付かなきゃ良いけど。
「…おい」
「ん?」
「そんなに端に居たら、また濡れるぞ」
もう少し寄れ、という言葉はもう少し違った状況下ならば警戒を露にするものだけれどそんな下心など勘繰るだけ損なのが金剛という男である。
「……ん。そうだね」
こっちが、どれだけ彼を意識しているかも知らないで。
よく言ってくれるものだ。
半ば自棄気味に肩を並べると視界には地に叩きつけられる雨水と、自分よりも逞しい金剛の組んだ腕に胸部しか映らない。
わざわざ顔を上げてまでする話も特には無く、かと言って沈黙が続くのは避けたいという矛盾に頭を悩ませていると金剛が口を開いた。
「…買い物の帰りか」
「…まァ、そんな所」
「…夕飯は何だ?」
「…今日はハンバーグかな」
「…そうか」
「…うん」
「………………」
「………………」
……き、気まずい。
長続きしない会話の原因は、らしくなく間を持たせようと無理に話題を提示する彼だ。
普段ならば、別に沈黙を気にする事も無いだろうに。
彼が普段と違う態度だから、僕もいつもの調子がつかめないでいる。
あァ、早くやめば良いのに。
突然の雨などいつもならあまり気にせず帰る所を、今日は何となく雨に濡れるのが億劫になり軒下に避難した。
そうしてあまり間を置かずして同じ軒下に駆け込んで来たのは私服姿の卑怯番長…いやこの場合は秋山と言うべきだろうか。
とにかく、そいつだった。
買い物袋を大量に持っている所を見る限り、夕飯の買い物帰りなのだろう。
当然ながら、マスクも帽子もつけていない為に露になった顔は、久しく目にするものだった。
「…夕立かな」
「今朝の予報だと、快晴だと言っていたからな」
独り言にしてはやや大きな声に相槌を打つ。すると、秋山の顔が僅かに曇った。
何かまずい事を言っただろうか?と自分もなんとなく困惑する。
何か他の話を、と考えようとして、秋山の肩が濡れている事に気づいた。そもそも随分距離をとられているような気がする。
「…おい」
「ん?」
「そんなに端に居たら、また濡れるぞ」
もう少し寄れ、と言ったら秋山の目は暫くこちらを見つめて、それからさっと逸れた。
どうにも落ち着かない様子にやはり何かまずい事を言ったかと閉口する。
「……ん。そうだね」
どこか不服そうな響きを含んだ声。
妙に開いていた距離が縮んだと思ったら自分より低い位置にある秋山の旋毛が見えた。
決して華奢とは言いがたい肩は、やはり傍目に解る程まで湿っている。
髪先からポツリと雫が落ち、それを何気なく目で追うと普段は学ランの襟に隠されている項が何故か鮮明に映った。
「……」
……落ち着かない。
男の項を見ただけで、何を狼狽しているのだろうか。
何か話をと。普段の自分らしからぬ考えを疑問に思う間もなく、口を開いた。
「…買い物の帰りか」
「…まァ、そんな所」
「…夕飯は何だ?」
「…今日はハンバーグかな」
「…そうか」
「…うん」
「………………」
「………………」
……話が続かねぇ。
いつもなら飄々とした態度で軽口を返してくる秋山が、歯切れ悪く返すからか。
それとも自分が落ち着かないからそう感じるだけなのか。
何にしても、早く雨がやめば良い。
今更雨を気にせず歩いて帰るのは、難しい空気だ。
「……あのさ」
ポツリ、と。
次に沈黙を打ち消したのは、自分だった。
それに対し金剛の視線が注がれるのを感じて、僅かに俯きがちになる。
わざわざ顔を上げて言うような事ではないと心の中で誰に対してか言い訳をしながら雨水に濡れた靴先を視界に収めて。
まるで告白前の女子のようだと、冷静な自分が嘲笑する。
「このまま雨がやまないと、困るんだよね」
「?…あぁ、そうだな」
「洗濯物は干しっぱなしだしご飯の仕度が遅れたら怒られるし」
「…そうか」
「だからもう濡れるの覚悟で帰ろうと思うんだけど…」
ガサリ、買い物袋が音を立てる。
子供はよく食べるから、多めに食材は買ってある。
不自然ではない筈。きっと不審がられない筈。と、自分に言い聞かせ、そこで漸く金剛の顔を見上げた。
「そう遠くないし、タオルもお風呂もあるから、もし家まで持つの手伝ってくれるなら寄っていっても良いけど」
「……」
「残念ながらプリンは無いけど、ね」
どうかな、と言ってからあぁ言うんじゃなかったと後悔。
金剛の顔は、いかにも不審げというか怪訝というか、そんな表情で。
何を期待していたのか、おもわず自己嫌悪に陥る。
これが可愛い女の子ならばともかく、同じ男から誘われた所で何の面白みも無い事はよく解っているつもりだったのに。
あぁもう、僕の馬鹿。
それでも顔を逸らす事はどうにもやりづらく、俯く事も出来ないでいると金剛の顔が突然柔らかくなった。
え。
「……世話になる」
ちょ、ちょっと。
「…………う、うん」
今、もしかしたらとんでもないものを見たかもしれない。
金剛が、笑った顔。
それも、月美ちゃんに向けるような、慈愛に満ちた笑顔。
(不意打ちなんて卑怯だ!)
叫びだしたい衝動を堪えて、買い物袋を半分金剛に渡す。
長い事指先に引っ掛けていた所為で赤い線ができてしまっていた。
金剛の片手には余る買い物袋…金剛と、買い物袋。
似合わなさそうで実は微妙に似合っている姿は笑いを堪えるのに苦労する。
「…何だ」
「ん?いや、べーつに」
あぁ、面白い。
先程よりは弱まった雨脚のおかげかそれとも金剛の面白い姿を見たおかげか、とにかく気分は随分と良くて。
雨の日も良いかも、だなんて思った。
「……あのさ」
ポツリ、と。
次に沈黙を打ち消したのは秋山だった。
旋毛を見下ろすと、何故か視線を避けるように秋山が俯きがちになる。
地面に何か落ちているのかと思う程、秋山の視線は下へ釘付けになっていた。
それが何となく気に食わないなどと、思うのは何故か。
「このまま雨がやまないと、困るんだよね」
「?…あぁ、そうだな」
「洗濯物は干しっぱなしだしご飯の仕度が遅れたら怒られるし」
「…そうか」
「だからもう濡れるの覚悟で帰ろうと思うんだけど…」
先程の曇った表情は、洗濯物を心配しての事だったのかと合点がいった。
次いで帰る意思を示した秋山に無意識の内に眉間が寄る。
雨が早くやめば良いと思っていたのに、何故だかもう少し話していたいなどと。
馬鹿な事を、と瞠目していると不意をつくように秋山がこちらを見上げた。
「そう遠くないし、タオルもお風呂もあるから、もし家まで持つの手伝ってくれるなら寄っていっても良いけど」
「……」
「残念ながらプリンは無いけど、ね」
どうかな、と言う秋山はいつも通りのような、そうでないような顔をしている。
距離をとったり、目を逸らしたりと、俺は嫌われているのかと思うような事ばかりだったのが突然一転した態度に一瞬思考が遅れた。
それをどう受け取ったのか、秋山の目が不安そうに翳る。
しかしもう逸らされない視線は、交じり合うばかりで。
それが、何故だか嬉しく感じられた。
「……世話になる」
「…………う、うん」
凝視するようにこちらを見上げていた秋山の顔が僅かに顰められ…と思ったら買い物袋を受け取った瞬間にまた緩んだ。
「…何だ」
「ん?いや、べーつに」
コロコロと変わる表情は、いつもマスクに隠された顔を見慣れている所為かまだどうにも慣れないが。
悪い気分では、ない。
弱まった雨脚のおかげかそれとも秋山が笑うからか、気分は悪いどころか随分と良く。
雨の日も良いかもな、と思った。
ある日雨の日
(洗濯物やり直しか…)
(何だったら俺が洗ってやっても良いが)
(……破りそうだから遠慮しておくよ)
まだ付き合ってない二人
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