正しい処方箋








「あれ、念仏番長も風邪ひいたんだ?」


朝、教室に入ってすぐマスクをつけて咽ている念仏番長に声をかけたのは、卑怯番長だった。
いつにも増して歪んだ笑い方をしているあたり、機嫌はよろしくないのかもしれない。
恐怖に引き攣りかけた頬はマスクに隠れていたので、かろうじて卑怯番長に見咎められる事は避けられたが、卑怯番長の言い方には首を傾げざるを得なかった。


「『も』とは?」

「あァ、何、聞きたいの?」

「ぇ、あ、いや、我は…」

「仕方がないなァ、じゃあ教えてあげるよ」


黒い靄のようなものを背景に、腕を組み直す卑怯番長に、聞かなければ良かったと後悔するのはあと数分後の事だった。

























その日の昼休み、いつもならば賑やかな教室内は、水を打ったように静まり返っていた。それもこれも全ての元凶であるのは卑怯番長なのだが、相手が相手なだけに文句を言う勇者は現れなかった。
当の卑怯番長はというと、にこにことそれはもうご機嫌ですと言わんばかりの笑顔でどこからともなく持ち出したハンカチで念仏番長の口元を拭っている。


「もう、口についてるよ。念仏番長ってば」

「む…そ、それ位自分で…」

「遠慮しないの。病人なんだしさ」


甲斐甲斐しく世話を焼く卑怯番長を前に、断りきれていない念仏番長も含めて恋人同士の甘い時間のように見えるのはきっと間違いではないだろう。
ウフフアハハという笑い声や、ピンク色のハートマークすら飛び交いかねない空間の真横では、事態を把握できていない最後尾席の人間が集まっている。


「…ど、どういう事かしら」

「解りませんわ…朝からあの調子ですし」

「念仏番長の風邪の原因が卑怯番長なのでは?」

「…そういうので罪悪感とか感じるかしら」


身も蓋もない陽奈子の言葉には、しかし何とも言えない重みがある。恋人に対してならばともかくとして、念仏番長と卑怯番長は単なる友人…いや、それすら怪しいのではないだろうか。
もっと言うのであれば、もしも念仏番長の風邪の原因が卑怯番長である場合漏れなくそれは卑怯番長の策である可能性が極めて高い。
弱っている念仏番長の弱みを握れる、という点ではメリットになるかもしれないが、自ら世話をするなどという部分には一切利用価値など感じられなかった。
そして一番の疑問点は、一応自称ではあれど卑怯番長の「恋人」である男の存在である。
チラリと窺う陽奈子の視線の先には、いつもと変わりない様子で食事に勤しんでいる金剛番長の姿があった。
敢えて違いを見つけようと努めるのなら、箸の動きが遅いとか、ご飯の減りが遅いとか、それ位のものだがこの事態にはきっと関係ないだろう。


「っひ、卑怯番長!」

「やだなァ、そんな照れなくたって良いじゃない」


突如あがった念仏番長の悲鳴にその声の元を見ると、卑怯番長が「はいあーん」とおかずを念仏番長の鼻先に突き出している。
しかも膝上にあがるというオプションは、テレビとかでよく見るバーのお姉ちゃんと接待されてる入社間もない新入社員のようだ。
とりあえずは風邪の所為という事にしておくが、赤い顔で嫌がる念仏番長を前に卑怯番長は心底楽しそうである。
クラス中の視線を集めている事に気付いているのかいないのか、卑怯番長の行動はどんどんエスカレートしているように見えて、いつもならば嫉妬から邪魔をする金剛番長の動向に生徒達はビクビクしながらもその動向を待った。
しかし、


「お、同じ病人なのだから、金剛番長の世話をしてやればよかろう!」


念仏番長の、本人からしてみれば最後の神頼みともいえる事柄が叫ばれ、その場に居合わせた全員が目を見開く。


「だって、君のは自然なものだけどあっちは自業自得だもん。世話する義務なんか無いね」


それすら気に留める価値などないのか、卑怯番長は変わらず甲斐甲斐しく念仏番長の世話を続行した。
何となく先が読めた気がした何人かの生徒は、あぁまたかと肩を落とし、解らない者は首を傾げ続ける。
事の詳細は単純明快、このクラスの人間からすれば最早日常茶飯事の痴話喧嘩であった。


「い、いい加減許してやればよかろう!」

「何、君は僕に意見する訳?っていうか、君がもしお風呂に入ってる所に乱入されたら嫌でしょ?だから水ぶっ掛けて家から閉め出しただけだし。可愛い仕返しだと思わない?思うよね?ねぇ、念仏番長?」


反論するのかあぁ?と言わんばかりの殺気に声にならない悲鳴をあげる念仏番長への同情の念は尽きない。
だが、助ける者は当然と言うべきか、一人も居なかった。
むしろ金剛番長との痴話喧嘩ですっかり機嫌を悪くしている卑怯番長の攻撃が念仏番長に集中しているのならばそれに越した事はないという心積もりであろうか。
当の金剛番長自身も多少悪かったと思っているのだろう。だからこそここまで何も言わず、黙々と一人侘しい食事に没頭していたのだ。
食事の進みが遅いのは、体調の悪さからだったのだと察して、陽奈子が何とも言えない顔をする。
とはいえいくら恋人と言ってもお風呂に乱入するのは如何なものだろう、という思いもあったからか、陽奈子は慰める事もしなかったのだが(むしろ他の人間が必要以上に金剛に構うとそれはそれで卑怯番長が臍を曲げるだろう)


「し、しかしだなっ…」

「あァ、もう煩い。もう良いからそろそろ薬飲みなよ。ぇ、苦くて飲めない?じゃあ口移しで飲ませてあげる」

「い、いいいいいいいいやっ、遠慮する!」

「…………念仏番長」


激しく首を左右に振る事で余計な血が循環したのか、念仏番長の顔は可哀想な位真っ赤だ。
それを咎めるでもなく、卑怯番長は打って変わって弱々しく念仏番長を見上げた。
それは所謂上目遣いというもので、念仏番長が言葉に詰まったのは当然の流れと言えよう。いや、この場合は卑怯番長の策略と言うのが相応しいかもしれない。


「……そんなに、僕に世話焼かれるの嫌?」

「っっっ……!い、いや、我は…」

「……嫌、なの?」

「っっっっっっ……!!!!!」


何なんだろうこの雰囲気は、というのはクラス全員の心の声である。
そもそも男の卑怯番長に迫られて何故顔が赤くなるのか。
風邪という理由だけでは済まされない位の赤さに念仏番長の仄かな恋心を察して憐みの眼を向ける者、ただ単に免疫がないからなんだろう男に反応するなんて可哀想だなと同情する者、と様々であった(どちらにしても同情でしかないのはあまり気にしてはいけない事だ)
さてさて、そんな卑怯番長の色香に一番落とされそうな金剛番長はと言えば、当然いくら何でも我慢できなかったのだろう。いつの間にやら席を立ち念仏番長の席の前まで移動していた。
猫の子よろしく卑怯番長の襟首を掴み上げ、物言いたげな顔をしている。


「……何」

「…頭が痛ぇ」

「自業自得だね」

「……喉も痛ぇ」

「自業自得」

「………弁当が寂しい」

「それは風邪用にしたから」

「…………まだ、怒ってるか?」

「……………………っていうか、君は怒ってないの」


気まずそうに卑怯番長の眼が泳ぐのを、クラスメイトはしっかりと見て、そしてやれやれと安堵の溜息をついた。
何だかんだと言いながらも最後には結局元の鞘に納まるのだから喧嘩なんて殆ど言葉遊びの延長でしかないのではなかろうか。
このクラスではほぼ名物と化している痴話喧嘩の度に体よく利用されている念仏番長は非常に可哀想なことこの上ないが、それもまた日常のひとコマと言ってしまえばそれまでの事。


「何で俺が怒るんだ」

「……べっつにー。解ってないなら良いけど。っていうかいい加減下ろしてくれよ」


そんな会話の横では、すっかり忘れ去られた念仏番長がそれはそれは羨ましそうな目を向けていたのだが、事情を把握した数人の生徒から励ましのように肩を叩かれると、誤魔化すように激しく咳きこみ再び卑怯番長の注意をひいて金剛番長をひっそりと怒らせているのだった。

























正しい処方箋

(大体さ、一言もなしにお風呂に入ってくるとかありえないと思うんだけど)
(それは、まぁ、そうだな…)
(だよね!流石念仏番長。じゃ、協力してくれるよね?)
(は?)

そんな朝の会話。



























6666番を踏まれたいとうあらた様に捧げます

リクエスト内容
『風邪ネタで三角関係 ギャグ』




あきゅろす。
無料HPエムペ!