100点満点でなくたって







「磊君」


優しく俺を呼ぶ声に、自然と頬が緩む。
崩れきった俺の顔はもう崩壊なんて生易しいものじゃないだろうけれど、それでも想い人に呼ばれるのが嬉しくない人間なんて居ないだろうから良いのだ。
何、優兄ちゃんと走り寄る。
にこにこと微笑み、あのね、と可愛らしく首を傾げてみせた優兄ちゃんは次の瞬間、


「数学は寝る時間じゃないよ?」


と、言った。



























「…ま……児玉―――っ!」

「っ……なーんだ、夢か」

「なーんだ、夢か、じゃない!数学は寝る時間じゃないって何度も言ってるだろうが!!」


夢の中の想い人が言った台詞をリピートされて、あぁせっかくいい夢を見ていたのに全部台無しに…と恨みがましい視線を送れば、やる気になったと勘違いした教師が教卓に戻って紙の束を手に意気揚々とテストを宣言する。
普段から授業中、特に数学には興味を示さないという部分が大いに要因を占めるのだろうが、それ故に現状は自分にとっては芳しくなかった。
許されるならばもう一度彼の想い人を夢に見たい(出来るならば内容はもう少し甘めであって欲しいが、そうなると逆に申し訳なくなってあの人の顔を直視できなくなってしまうのだ、なんて情けない)が、学費を払って貰っている身の上であまり学業を疎かにするのも良くない(と言っても毎回赤点で補修常習者だけれど)
昔は全て遥が負担していたし、自分も母親に迷惑はかけまいと大人しくしていたが、父親が現れてしかも財力があると知ってからはすっかり甘えがちだ。
遥は未だに節約には煩いけれど、金銭感覚は遥に育てられたからかまともな自分にしてみれば父親は確かに金には然程執着していないようでもあった。


「……はぁ」


前の席から回されてきた紙の名前の欄に「児玉磊」と書いて一度溜息。
テストなんて大嫌いだという気持ちが一割で残りは全部夢への名残惜しさだ。
最近会ってないなぁ、なんて思いながら一問目の数式を目で追う。
xだとかyだとか、この先何の役に立つんだ。
代入なんてしないでも答を出す位の根性を見せろ。
数学の研究者が聞いたら蒼白して怒り出しそうな事を薄ら考えつつ、書き殴るように適当な答を書いていく。
解らないものは解らないし。
考えたって解らないし。
考えるのも面倒だし。
だって解らないんだ、問題もだけれど、あの人の気持ちも。
ばれているような気がする時があって、でもあの人はいつも笑ってるから、大丈夫なのかもってちょっと期待して、期待するとまたかわされて。
だって普通、懐いてるからって男と手繋いでくれたりキスしてもいいって言ったりするかと。
あの人は、実は全部知ってて、俺から言うのを待ってるとか、そんな都合のいい事を考えてしまう。
でも、そんなのある訳ないんだって頭のどっかで冷静な自分がブレーキをかける。
あぁでもあの時キスしてしまえば良かったと思うのは青少年として当然と言うべきか。
不健全な自分と違ってクラスの奴らは何だか必死に問題を睨みつけているが、自分には全く関係ない。


「終わったら隣の席の奴と交換して答え合わせしろよ」


……と、少なくともそう思っていたんだ。
隣の奴が答え合わせを終えて自分にテスト用紙が返ってくるまでは。





















「うーん、35点はまずいよー?磊君」


苦笑する月美の手には、荒っぽい字で「35」とデカデカ書かれたテスト用紙。
書き殴るように答を書いた腹いせか、隣の席の奴は苦々しげな顔で字を解読していたようで、おもわず口をついて謝罪が出たのはついさっきの事だ(ちなみにそいつの字はかなり見易かった)
月美とはクラスも違うけれど、帰り道が結構一緒の方だから大抵登下校に顔を合わせる。
月美のクラスでもテストがあったらしく、聞くまでもなく文句なしの100点満点の紙に、俺は脱力しそうになった。
将来の夢はロボット工学に進む事らしい月美は、冗談じゃなく頭がいい。ほんわか笑顔で、性格もちょっと天然混じってて男は放っとかないだろうけど、何故か月美の恋愛関係の噂は聞いた事が無かった。
本人もそういった事に興味がないのかもしれない。好きな男子の事とか、月美が口にした事はないからだ。
その代わりのように、俺の恋愛相談にはよくのってくれる。


「解ってるよ。父ちゃんと遥母ちゃんには見つからないように隠しとく」

「それと優お兄ちゃんにも、でしょ?」


怒られちゃうもんね、と笑う月美は俺があの人を好きだって知ってるからこんな事も冗談交じりに言う。
とっくに開き直ってはいるから知られている事に抵抗はないが、月美みたいな女の子からしたら男同士でしかも片思いなんて嫌なもんじゃないんだろうか。
友達だから、引かないでいてくれるんだろう。変な男なんかよりもずっと男らしくスジを通す月美が、恋愛的な意味ではないけれど俺は好きだった。


「今日は寄らないの?」

「……どうしようかなって思ってる」

「?」


あの人の前ではあまり隠し事が出来ないから、怒られるか呆れられるかとリアクションにビクビクしながらもきっと俺は聞かれてもいないのに白状してしまうのだろうと思う。
そう思うと、行かない方がいい気もして、でも夢でしか顔見てないから、会いたいななんて思ったりして。
複雑過ぎるようでいて単純に矛盾している気持ちを持て余しているのはまるで乙女みたいな気持ち悪さだと嫌になるが、こればっかりはどうしようもない。
好きなものは好きなのだから、考えるだけ無駄だと頭では解っているのだ。
でも、それだけじゃなくて。


「…ばれたかもしんなくて」


ぽつりと呟いた声は自分でも驚く位小さくて月美には届いたかどうかも怪しい。
それでも良いと思った。むしろ、こんな情けない姿女にはあまり見られたくないとも思う。
あの人に、そうだ、ばれてしまったと思う。
だって普通、手を繋ぐのは昔の延長だとしてもキスなんて許さないだろう。
ばれていて、からかわれたとしか思えない。


「良かったね!」

「…………は?」


恥ずかしさで死ねそうだと思っていると、月美が突拍子のない事を言った。
良かったと。一体何が。状況は自分にとって最悪の筈だろうと。
その気持ちが顔に出ていたのか、月美はやっぱり笑っていて。


「だって、これで体当たりで告白できるでしょ?」

「そ…それは、ちょっと……」

「告白しないの?」

「……心の準備と言うか…何て言うか…」

「心の準備も何も、もうばれてるんでしょ?」

「うっ…」

「なら言っちゃった方が良いと思うけどなー」

「うぅ…」


月美の言ってる事は正しい。
事実、ばれてるんじゃないかと考えてからは全然あの人に会えてないから(色々考え始めたら顔を合わせられなくなったのだ、それなのに夢で見るなんて女々しい)
気まずい思いのまま過ごして、あの人に上手い事会えても今まで通りに話せるのかとか。多分、いや、きっと無理だという確信がある。
それ位なら言ってしまった方が良いというのは、確かに正論だし、言って解る事もあるだろう。


「………………フラれたら話聞いてくれるか?」

「ご飯でも何でも付き合うよ」

「……月美の奢りで?」

「女の子に払わせるのは良くないと思います」

「っちぇー」


大袈裟に溜息をつくと、下の方で月美がクスクスと笑っている。その姿はやっぱり可愛くて、どうして俺は月美じゃなくてあの人を好きになったんだろうかと考えない訳じゃない。
それでも多分、人を好きになるのって数式とかと違って正しい答なんて無いんじゃないかと思う。
ここがこうだから好きだとか、ここがこうだから嫌いだとか、そういうのは無い。
ただ、あの人が好きだ。
月美の事も、好きだけど、やっぱりそれはあの人に向けるものとは違うって解る。
だから、あの人が自分をそういう風に思ってくれれば良いって思うのはきっとそういう事だ。


「……行ってくる」


月美がにっこりと笑ったので、少しだけ気持ちが軽くなった。






























何度も来ていたはろばろの家は、住人の殆どが今は学校に行っているからか、静かで、静かすぎるように思うのは、なんとなく後ろめたいからだろうか。
月美と別れてそのまま立ち寄ったのだけれど、幸太にメールをした訳でもないから今この家に彼が居るかどうかは解らない。
居なかったら、どうしよう。


(…何を弱気になってんだよ、俺は)


此処で引いたらこれまでと一緒だ。
居なかったら、帰ってくるまで待てばいいじゃないか。
よし、ともう一度意気込んでドア横のベルを押す。
中からピーンポーンと高らかな音が響いてきて、中で誰かが動く気配がした。
それが彼である事を祈りながらドアが開くのを待っていると、程無くして呆気なくドアが開けられる。


「ぁ、磊君」


顔を覗かせたのは、望んだ通り、彼だった。
一気に身体が緊張したようで、ガチガチになるのが解る。
久し振りだね、良かったらあがっていって、お茶飲む?と彼の言葉には頷くばかりで、気づけば家にあがりこんでいた。
机の端にポツンと見える灰皿には吸い殻があって、その中でもまだ火が付いている長いそれをさりげなく消す手の白さにドキリとする。
先日の事を思い出してしまっては落ち着ける訳もなく、湯気のたつ湯呑が目の前の机に置かれる頃には動悸も最高潮に激しくて、立ち昇る湯気をひたすら凝視しているしかない。
今日はどうかした?とにこやかに訊かれたら、もう何も考えられなかった。
そりゃ、少しは考えてたけど、でも思っていた通りにスマートになんてできやしないのはすぐに解った。


「お、俺優兄ちゃんの事が好きなんだ!」

「……」

「……あ、あのっ…」


思わず勢いで叫んでしまったけれど、その顔を見る事はできない。
恐る恐る目の前の人の反応を見ると、ふわりと優しく微笑んでくれたから、おもわず息をのむ。
まさか、もしかして、いやでも、でも。
バクバクと心臓が煩い。
鼓膜に爆弾でも仕掛けられたみたいな気がして、次に何て言ってくれるのか、考えてしまう。
期待してしまう。


「ありがとう、磊君」


けれど、そういう期待というもの程。



























「でもね、それはただの錯覚なんだよ」























打ち砕かれる、ものなのだけれど。



























100点満点でなくたって

(錯覚、って)
(もしくは、刷り込み、かな)
(ちが、)
(でも僕は君の親じゃないから、やっぱり錯覚だよ)














後編


磊×卑怯を考えた時に月美→金剛で考えていたのだけど、マシン編見たらもうこれしかないと思いました。
待ってるだけの女じゃないよ月美ちゃんは!

さーて、こっから挽回だ磊君!!




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