100点満点でなくたって








「だって君も僕も男なのに、本気なんてありえないでしょう?」


あの人を好きだという気持ちに嘘なんか無いのに。
自覚してからずっと、あの人しか見てなかったのに。



それなのに。























錯覚だと、あの人は優しく笑って、子供に言い聞かせるように穏やかにそう囁いた。
なんて残酷だろう、とどこか遠い思考に浮かんだ言葉はそんな小難しい言葉なんて普段は思いつかない自分からすればとんでもなくすっ飛んだ考えで。
それは正しく、彼の人への非難でしかなかった。
いつも彼を肯定し、彼を好いていた自分が初めて抱いたその負の感情には、戸惑いしか感じられない。


「…何で、そんな事言うんだよ」

「その通りだから」

「俺はただ、好きだって言いたくて」

「そう。ならもうすっきりしたかい?」


苦し紛れに問えば、何を聞くのかとばかりにあっさりと返されて。聞かれてもいないのに、自己主張して、痛い目をみる。
何処か嘲るような口調は、自分には初めて使われるそれだった。
自分の父である男との会話では時折顔を覗かせる、目の前の大人の男性が、今の自分と同じ年齢の時に被っていた仮面が、今自分へと向けられて。
居心地の悪さを感じたのはすっかり見透かされているのか、彼はいつもの顔に戻って、ほんの少し申し訳なさそうに苦く笑って見せた。


「ごめんね」


それは何に対しての謝罪なのか、追及しようにもできなくて。
それは自分が意気地なしだからでしかなく、出来ていると思っていた覚悟なんて自分で思っていたよりもずっと薄っぺらいものなんだと思い知らされる。


「…何で、」


何で謝るの。
何で、錯覚だなんて言うの。
俺は馬鹿だから、優兄ちゃんに比べればすっげぇ頭悪いから、だからもっと簡単に言って欲しい。
それ以上は口にできなくて、黙ってしまった俺を見て、穏やかだった微笑が引っ込められたかと思えば、嘲るような苦笑が、また顔を見せる。


「…磊君は、いつも僕に質問するね」


言いながら、白い手はケースを取り細長い煙草を取り出す。
小さな火が灯されて、煙が立ち昇る。
子供の前では吸わないと言っていた彼のその行動で。もう優しいだけの兄ちゃんじゃないんだと、充分解った。
自分が好きだと言ったのは「秋山優」という人間であって、それをこの人は、錯覚だと言いながらもちゃんと解っているから、ただ優しくするだけの兄ちゃんじゃなくなって。
でもそれは、きっと自分が望んだ事への答えなんだ。
いつも、何でも、解らない事はこの人に聞いて。
この人は、笑って、優しく教えてくれていた。
言葉の裏に見え隠れする棘は、それでも明確な痛みを与えず、鈍い小さな痛みにほんの少しだけ眉をひそめる。
甘えるなって、言ってるんだ。
自分で考えろって、言ってるんだ。
でもそれなら、この人にも、逃げて欲しくない。


「…優兄ちゃんも考えてよ」

「…………何を?」

「錯覚だとか、言わないでよ」

「だけど、」

「っ錯覚なんかじゃ、ないんだよ…っ…!」


尚も否定しようとするこの人に、目頭が熱くなってくるのが解るのが情けなかった。
男が泣くなんて、格好悪い。
でもそんなの、今は構ってられなかった。
この人はいつも俺に優しかった。
悪い事をすれば、遥母ちゃんみたいに叱ってくれた。
いい事をすれば、いい子だと誉めてくれた。
誰かの為に喧嘩をすると、怒りながらも最後には頑張ったねって苦笑しながら誉めてくれた。
弟妹と同じ位の年だから、この人にとっては弟みたいなもんかもしれないけど、それでも、何年も一緒に居て、俺はこの人を見ていたし、この人は俺を見てくれていたと思う。
だから、最後の最後で目を逸らさないでほしい。


「優兄ちゃんの言ってる事はいつも正しかったけど。でも俺の気持ちとか感情とか…優兄ちゃんが好きだって事は嘘じゃないし、いくら優兄ちゃんでも、それは否定させたくないし、して欲しく、なっ、い…!」


だから考えてよ。
俺も自分でちゃんと考えるから、だから。
あぁ格好悪い。
ボロボロと豪快に流れてくる涙をゴシゴシと擦る。
鼻を啜る音がやけにマヌケで情けなくて、誤魔化すように何度も擦る。
俺は頭が悪いから、上手く言えなくて、とか。
もっと上手く言えたら、きっとこの人だって少しはまともに受け取ってくれたかもしれないのに、とか。
変な後悔ばかりが頭に浮かんで、やっぱり情けなくて、擦っても擦っても涙は止まらない。


「…………そんなに強く擦ったら、赤くなるよ」


小さな溜息の後、暫しの間を経て優しい声が聞こえてくる。それでも顔は上げられなくて、黙っていたらまた溜息が聞こえてきた。


「……これだから、いつまで経っても弟にしか思えないんだけどねぇ」

「っ、んなの、解ってる、よっ」

「話は最後まで聞く」

「っっいっ!?って…!何す、」


ゴチッ、といい音がしたと思ったら同時に頭部に衝撃が落とされる。何時になく容赦のない一喝におもわず顔をあげて抗議すると、口元に指先が一本ついっと当てられた。
指とはいえ、持ち主が目の前の男だと思うと条件反射で硬直してしまう。
じっと、その眼は真っ直ぐに向けられるものだから、自分も逸らすに逸らせなくて、気づけば見つめ合うような状況になっていた。


「………………」

「………………」

「…………子供は、怖いねぇ」

「は…?」

「大人の嘘とか、詭弁とか、そういうものを見抜いちゃうんだから」


怖いよ、とぽつり零された呟きに瞠目する。
それは、何故かその言葉がこの人の本心だと解ってしまったからだろうか。
最後までちゃんと聞いてね、と言われれば、もう反論する訳にもいかなかった。


「……君は男で、僕も男で、年だって離れてるし、君はまだ若いから、もっといい人に出会えるかもしれないだろう?」

「っそ、んぐっ!」

「だから最後まで聞いてってば……僕はね、年甲斐もなくそれが怖くて仕方がない。手にする前から失くす事ばかり考えるのは悪い癖だと解っているけどね」


それでも失くす事に慣れる日なんて来ないから、それもまた仕方がない事なんだと、そう言って、寂しそうに笑うこの人の肩を、許可を取る事もせず抱き寄せる。
失くすのが怖いって言ってくれるのは、この人の中にほんの少しでも俺が大事なものとして扱われているからだと、そう思ったら、堪らなくなった。
この人から見ればまだまだ子供の俺は、それでも昔よりずっと大きくなって、この人をすっぽりと抱き締められる位大きくなって。


「……俺は、居なくなったりしないよ」


この人がもう二度と近づくなだとか二度と顔も見たくないとかはっきりと拒絶を示したとしても、それが本心でないなら自分から離したりなんて絶対にしない。
それはきっと、この人がそんな事を言う人間じゃないって解ってる所からくる確信であって、その事に関しては可能性を考えるのすら馬鹿馬鹿しい事だ。
この人は俺を傷つけたりしないって知ってる。
いつも真綿で包むみたいに優しくしてくれる兄ちゃんだって知ってる。
それが例えば庇護から来るものであったとしても、自分が弟みたいにしか思われていないとしても、自分を含めて、子供達に向けられてきた優しさとか愛情とかそういう暖かいものは嘘なんかじゃないって知ってる。


「…優兄ちゃんが、少しでも俺を必要だって思ってくれるなら、俺はずっと傍に居るよ」

「…大人になったら、そう言えるか解らないよ」

「………俺は優兄ちゃんからしたらガキで、実際まだ護られてばっかりのガキだけど」


胸のあたりに意図せずして擦りつけられる黒髪を撫でながら首を傾げて顔を覗き込む。
傷ついたように顔を歪めているのは、多分俺を傷つけたと思ってるからだ。
俺の気持ちを軽んじて、俺を怒らせようとしてる。
そういうのが大人の手管って言うんなら、俺が大人になれる日はとてつもなく遠いんだろう。
それでも。


「10年ちょっとの間、アンタ以外の人間に会わなかった訳じゃない」


今、諦めたくないから、だから真っ直ぐに自分の気持ちを伝えるしかない。
嘘なんかじゃないし、嘘にする気もない。
単純で安直で、大人からしたら不格好にもホドがあるかもしれないけど、でも心からこの人が好きだっていう想いだけは。


「それでも俺は、アンタが良いんだ」

「……磊君」

「それと、男とか年上とかも関係ないよ。だって俺は優兄ちゃんがもし幼女でも好きになれる自信あるし」

「よ、幼女……ぷっ…はは、…それはちょっと、複雑かも」

「ぇ、駄目?!」


これでもかって位真剣に言ったのに、ふざけてると思われたのだろうか、優兄ちゃんが心底おかしそうに笑い出す。
目尻に指をあてて笑うから、そこまで笑う事無いのにって眉を寄せたら、今度は俺の肩を叩いて笑って。
そんなにおかしな事を言ったつもりは無いのに…と場違いにも落ち込みかけたら、磊君、と優しい声が俺を呼んだ。


「僕ね、これでも君のお父さんの事はそれなりに怖いんだ」

「うん?」

「それに君の気持ちがどれ程のものかも確認したいんだよね」

「…ごめん優兄ちゃん、言い方が難しくてよく…っおわ!?」


解んないんだけど、と。
言い終わらない内に学ランの襟を下に引かれて首が痛そうな音をたてる。
状況を把握する間も、況してや文句を言う間もないままに、頬に何か柔らかいものが触れた。
それが何か、確認する以前に視界は優兄ちゃんの楽しげな笑みが一杯で、あまりの近距離から触れたものの正体を連想してしまい目を見開く。
ボンッ!という爆発音がするんじゃないかって位一気に顔が熱くなって、ぁ、とか、ぅ、とか意味不明な呻き声を洩らしていると、優兄ちゃんはまた笑ってこう言った。














「付き合うからって成績これ以上落とされたら堪らないから、全教科80点代、次の期末でとれたらお付き合い考えてあげる…って事」















だから頑張ってね、と微笑みどこから探り出したのかヒラヒラとテスト用紙を手にする優の背後には黒い尻尾が見えた気がした磊であったが、恋は盲目痘痕も笑窪。
二つ返事で笑う姿は正に大型忠犬ハチ公の如くであり、優は絆されているなぁとこっそりと苦笑を零す。


とにもかくにも何にせよ、どこまでも磊に甘い優であった。









その夜、いつまでも明かりを消さずに猛勉強に励む磊を見て遥は感動したが、猛は嫌な予感に眉を寄せていたとか。





































100点満点でなくたって

(……おい、お前あれに何を言ったんだ)
(何が?)
(…爽やかに微笑むな気色悪い)
(失礼しちゃうなァ)
(…………まさかとは思うが)
(……ま、一つ頼むよ―――お義父さん(ニコッ))
(!!!!!!!!)
































後書きという名の言い訳。
書いてる内に
「あー…これ絆されるなうん」
と思ってたら本当に絆されましたよ優兄ちゃん(笑)
磊君は思った事を包み隠さずぶつけてきます。
婉曲的な事には対応できる秋山だけれど、ストレートには弱そうですよね。
秋山は付き合う気満々ですが、二人が付き合えるかどうかは期末の結果次第です(笑)




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