1秒だけでもキスはできる





2008年 12月31日

大晦日


カウントダウンをしたいのだとはしゃいでいた弟妹達は年越しソバを食べて炬燵に入ると小さな瞼を呆気なく落としていた。
風邪を引かせてはいけないとベッドに寝かせるべきか悩みつつ、翌朝すっかり昇った太陽を見て酷く落胆すると知っていると、カウントダウン直前まで寝かせてやろうという気持ちになる。
それは、自分がこの施設を切り盛りすると決めてから繰り返していた事だった。


『明日の8時59分59秒の1秒後は何時何分何秒でしょう』


適当にテレビのチャンネルを変えているとバラエティー系のクイズ番組でお馴染みの司会者が意地の悪い笑みを浮かべそう言った。
何となく、程近い位置に落ち着いている男を窺うと、テレビよりもその大きな手に握った蜜柑を如何に潰さず剥くかという事柄に対して集中しているようで、それはそれは真剣に蜜柑へ熱い視線を注いでいる。


「…はい、金剛。明日の8時59分59秒の1秒後は何時何分何秒?」

「…悪いな。8時59分60秒だろ」


その手が蜜柑を潰して果汁をそこかしこに落とされては困るので、元々渡すつもりで剥いていた蜜柑を金剛に差し出しテレビで言っていた問題を口にする。
金剛はそれを受け取り、些か不満そうな顔をしながらも答を示した。
恐らく房の周りにある白いスジを取って欲しかったのだろうが、そこまでしてやる程相手は子供ではないし、そこにこそ栄養があるのだからどちらにしても食べさせる事になるので訴える目はサクッと無視する。
二つ折携帯やメールは知らないのに外国式の携帯銃は知っているという見事にズレた博識さを持つ金剛の答は確かに正解だった。
テレビでは、最後の方まで残った馬鹿な芸人やタレントが回答ボタンを連打し9時だとか9時だとか同じ事を言っては司会者を呆れさせている。
素ならば救いようがないが、キャラとして馬鹿を演じているのなら身体を張っているなと感心ものだった。
何となくまたチャンネルを変えると、音楽番組がやっている。
ここ最近ブレイクしコンビニや商店街、デパートのスピーカーから何度も流れてすっかり耳に馴染んだ曲を歌う少女達は世間一般的に言うなら可愛いのだろうけれど、別段自分の好みではなかった。
それでも毎年この時期になると放送される大規模な音楽番組をボンヤリと眺めるのは、ここ数年での習慣となっている。


それでも今年は少し違った。


眠る弟妹達に膝枕をしながら一人黙って賑やかなテレビを眺めていた昨年とは、違ったのだ。
弟妹達は、眠っていて。
この時期のテレビは何処も賑やかなままで。
それでも隣には、金剛が居る。
美味しいのか美味しくないのか白いスジごと蜜柑をモソモソと食んでいる金剛が、居る。


「……金剛さ。今更だけど、良いの?此処に居て」

「何がだ?」

「年越しで参拝しに行こうって誘われてただろ?」


月美を連れて、陽奈子が誘っていた。
金剛が行くと言ったなら、他の番長達も一緒の筈だ。
教室の中で話していたのだから、不可抗力というやつで盗み聞きとは少し違う。


「…行った方が良かったか?」

「いや、良いとか悪いとかじゃなくて…」


月美を連れてくると言っていたし、サソリ番長も誘おうかと陽奈子は言っていた筈だが、それなら彼女はきっと息子である磊も連れてくるだろう。
金剛が行きたかったのなら、居て欲しいとは思うが、無理をされても嬉しくはなかったから思い直して居なくなってしまう可能性も考慮した上でそう訊ねたのだ。
それでも金剛には帰れとでも聞こえたのか、困惑げにこちらを窺ってくる。
そんな顔をされるとこちらまで困ってしまうのだが。


「お前は来ないつもりだったんだろ」

「そりゃ…」


自分の家には弟妹達が居るし、夜に家を空けるなんてそう頻繁にはしたくないし、何よりこの時期は家族との時間を優先したいし、今日までありがとうこれからもよろしくねと言いながら雀の涙程度のお年玉を渡すのは保護者の義務であり、そして個人の誕生日やクリスマスに並んで、子供達がお年玉を密かに楽しみにしている事を知っているから誘われれば断るつもりだった。
それでも弟妹達の所為だとも弟妹達の為だとも言いたくはないのだ。
それは他人からの同情が鬱陶しいとか面倒だとか色々と感情的な部分が少々起因するが、自らが望んで今の環境に在る訳で、時折感じる不都合を小さな子供達の責任にはしたくないというのが大きな所だった。
けれど断った所で金剛が今更理由を追及する事もないだろう。自分の次にはこの家の事情に精通しているのだから、それは当然の事と言えた。
では、何故自分の参加の有無が問われるのか。
考えてみても目の前でやはりこちらをジッと見ている男の顔は何を考えているのかよく解らない。


「君って、あぁいう集まり好きだろ。だから行かないのも珍しいなって…ただ、それだけだよ」


述べているのは事実であり疑問だった。
確かに彼と自分とは深い付き合いに在るが、だからといって彼がその関係を過剰に露にした事は無かったのだ。
時には仲間、時には恋人、時には敵として、自分達は曖昧にできない鮮明なラインを引いて共に居る。
今回は恐らく、仲間として共に居るのが正解だったのだろうけれど、それはやはり自分が家族を優先したいという希望から消え失せたのだった。


「…………年越し位は、な」

「うん?」

「だから…………」


一体何の事やら。
疑問符が浮かび出ていたのか、金剛がガシガシと首を掻き撫でて焦点をキョロキョロと揺れ動かせた。


「…お前と一緒に居たかっただけだ」

「…………あ、そう」


居たかっただけって。それは「だけ」で済ませられる言葉か?
滅多にない直接的な表現にはもはやぐうの音も出ない。
こんな不意打ちは卑怯だと思いながら、誤魔化すように膝上で炬燵の温かさから赤くなっている弟の柔らかい頬を指先で突いた。
起きてしまうかもしれないと思いながらも、妙な空気ができてしまったものだから早急に第三者の存在を得たかったのだと思う。
それでもそういう時程状況というものは思い通りにはいかないものな訳で、弟は小さく声を洩らすだけで気持ちよさそうに眠り続けていた。


「…………」


金剛が此処に居るのは、同情ではなく、金剛自身が一緒に居たいと思ったから。
そう、金剛は言った。
その言葉は自分の中で未知の宝物のようにキラキラと輝いて、そしてそんな宝物を見つけて感動した気持ちにも似た歓喜が胸を満たすようで。
一生の中で、一番のプレゼントを貰ったようで。


「…人生って解んないもんだねぇ」

「何だいきなり」

「えーっと、あれだ…今年は大変お世話になりましたって事?」

「俺に訊くな」


素っ気ないぶっきらぼうな切り返しに、良いじゃないかたまにはしんみりしたってと本心が大部分を占める言葉を軽口で伝える。
こんな風に、誰かに心から御礼を言うのは本当に久しぶりで、君が居てくれて良かった、とか君が居てくれて嬉しいとか、綺麗な筈の想いすら誤魔化してひた隠しにして重さを無くす事ばかり上手くなっていけない。
真意が伝わったかどうかは解らないが、金剛が優しく頬を緩めたから、きっと誤った伝わり方はしていない筈だ。


8時59分59秒の1秒後は8時59分60秒で。
うるう年にのみ存在する日と同じ、たった一瞬だけ存在するその1秒。
1秒では出来る事なんて限られているけれど、人の生き死にすら1秒で決まる事もある訳で。
たった一瞬が、大事で大事で仕方ないと、初めて知った。
それは多分、いや絶対に金剛のおかげだと思っている。


『さぁ、新年まであと15秒です!』


司会者の言葉だけで5秒が過ぎたのか画面に『10』という数字が現れる。
昨年ならば、弟妹達を起こして一緒にカウントダウンをしている頃だ。


『9』


それなのに、金剛の掌が髪から頬を撫でるから、動けないでいる。


『8』


居間にのみ灯った明り、窓越しの世界は暗くて。


『7』


昨年はそれがさびしくてせつなくて仕方がなかった。


『6』


弟妹達が眠る中でも、一人ぼっちのような気がしていた。


『5』


それでも、今年は、今は違う。


『4』


今は金剛が居る。


『3』


目の前に、手の届く所に、金剛が居る。


『2』


金剛が、一緒に。


『1』


(……ごめんね今年だけ許して)





「――――――」





後々起きた弟妹達に謝る覚悟をして目を閉じると、唇が触れ合った。

次いでテレビから賑やかな歓声が響き、くす玉が割られるとその音量は更に増す。


『新年あけましておめでとうございます!』


司会者が元気に叫ぶ。
テレビから洩れる音は騒がしく、それでも弟妹達は起きないので、少しだけ安堵した。


「…新年だな」

「…今年も、よろしくね」

「不束だが頼む」

「ははっ、嫁入りでもする気な訳?」


今日は1秒でも長く、君と一緒に居られると思えば、多分きっと、それも幸せな悩み事だろうけれど。


冗談めかして肩を竦めると、嫁になるのはそっちだと
金剛が至極真面目な顔でそう言って、もう一度触れるだけのキスをする。
決して深く交わる事のない拙い口づけは、けれど何度も繰り返すとその度に愛しさを増していくようで、離れるのが名残惜しい。


(……ごめんねもう少しだけ)


弟妹達を起こして詫びるのは、もう少しだけ延期になる。
予定は未定という事で。
今年は穴場の神社でも見つけて、弟妹達を金剛と、一緒に初詣でも行こうかと。

らしくない考えに内心で笑いながら、秋山は膝上の弟を潰さぬよう注意しつつ、金剛の首に腕を回しキスに応えたのだった。

















1秒だけでもキスはできる

(…言い訳、一緒に考えてよね?)
(もう一回キスしたらな)
(…バカ)






















バカと言いつつさせてあげるんだろうなぁ(突如降臨)
いつまでもイチャイチャしてれば良いよ、うん(いい笑顔)

2008/12/31




あきゅろす。
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