レッド・シグナル
なんとも陳腐な問いではあるけれど。
君はどちらを選ぶのだろう。
「問題です」
ジャジャンッ、という軽快な音すら自分で言っている為かいつも以上にわざとらしいやり方だと思う。
けれど目の前の男はそこまで気が回る人間でもないので、多分に気にする事は無いだろうとタカをくくった。
「陽奈子ちゃんと僕が今にも絶壁から落ちそうになっています。さて、貴方はどちらを助ける?回答時間は5びょ」
「陽奈子だ」
う、と。
言い切るまでもなく一刀両断されてしまった。
そりゃ、そんなに長考しないとは思っていたけれど、だから5秒って言おうと思ったのだけれど、時間すら要らないとは酷いのではないか。
「で、いきなり何なんだ?」
「んー?……金剛に見殺しにされた…」
「生きてるだろ」
「だって、君が陽奈子ちゃんを助けてる間に、僕は落ちて死んじゃうんだよ」
「……這い上がれるだろ?」
まさか這い上がれないと言うのか?とばかりに眉間を寄せる金剛に、質問する相手を間違えた事を知る。
昔から定番のこの選択は、どうやらこの男の知る所ではないらしい。外国製の携帯銃は知っているというのに、妙な所で抜けている。
「そういう話なんだよ。親と恋人とか。親友と恋人とか。選ばれなかった方は決まって死んじゃうんだ」
「…なら、どっちも助けりゃ良いんじゃないか?」
「だーかーらーね、どっちかしか選べないんだよ」
解らない男だね、と当て付けがましく溜息をつく。
そもそも何故こんな質問をしたのか、思い返すと少々馬鹿らしい気もした。
弱い者を助けるのは、彼の美点だと知っているのに。
考えるまでもない事をわざわざ再確認して、どうしようと言うのか。
「…ま、でも良いや。むしろ君が僕を助けるって言ったらそっちの方が怖い」
例えば、万に一つ、いや億に一つとして、何の気まぐれにしても彼が自分を助けたら、あの子は崖から落ちる。
そして自分は一時の優越感を手にし、しかし、彼は彼女を救えなかった事を一生後悔するのだ。
彼の心から、彼女は消えないのだ。
その方が、余程恐ろしい。
死んだ人間は残された者達の中でどんどん美化されていくものだから。
死者には一生勝てやしないと知っているから。
それなら、自分は彼の中から消えたくない。
それなら見殺しにされる方がずっと、
ずっと、彼は、僕を、
「…お前は」
「ん?」
「…お前なら、弟妹達と俺が落ちそうになっていた時に、どっちを助けるんだ」
「―――…そうだなァ、」
彼の事は、不死身だと思っているし。
弟妹達は、とても大事な存在である。
どんな事をしたって死なないだろう彼と。
転ぶだけでも泣き喚く、儚くか弱い弟妹達。
考えるまでもなく、当然、
「……」
それは、当然、
「……解らない、かな」
酷い事を、言った気がした。
それは、自分の答に対してのものではなく、最初の、彼への問いに対して。
弱い者には手を差し伸べて。
自分を慕う者には同じ分だけ親愛を返して。
そんな彼が誰かと誰かを秤にかける事などできる訳無いと知っていながら。
「……何か、ごめん。変な事訊いたね」
彼の前だと、どうして墓穴ばかり掘ってしまうのだろう。
彼が自分を重荷だと思わないようにしたいのに。
彼が頼ってくれるような自分になりたいのに。
場を誤魔化すように、立ち上がった。
教室に居るのは自分達だけ。
何故か、自分達だけだ。
いつもと違う状況だから妙な事を口走ったのだろうかと何かの所為にしてみたりする。
「おい」
「ぇ…あァ、うん。何?」
「……選ばれなかった方は、落ちるんだったな」
気まずい空気(と感じているのは僕だけかもしれない)なのに何事もマイペースな彼はまだこの話題で会話を続けるつもりらしい。
静かな教室に、彼が立ち上がる音はとてもよく響いた。
座っていた時よりも更に広がった視点の違いに、顔をあげると首の骨が僅かに鳴った。それ程酷使した覚えは無いが多分彼と話している間それとなく俯いていた所為だろう。
「そういうのは最初に言ってから質問しろ」
「…うん?」
「答を変えるのは、まだ間に合うよな?」
5秒って言ってただろ、と。
表情筋を僅かも動かす事無く言ってのける彼に、最後まで言わせなかったくせにと先程の罪悪感などそこ等に放り投げて苛立つ。
「…良いんじゃないの。で?何か良い案でも?」
「陽奈子とお前が、絶壁から落ちそうになっていたら」
苛立ちに任せるまま挑発的な態度で臨む。
すると、上の方にあった彼の顔が突然距離をゼロに等しくさせた。
無人の教室が夕焼けに染まるのを何となく眺める。
金剛は、統括区内で何事か問題が起きたらしく、呼ばれて行った。
ついていく事もできたけれど待っていろと言われた…いや別にだから素直に待ってる、とかそういうのではないのだけれど。
僕だってそう暇じゃないからわざわざ人の喧嘩を見に行く気が起きないだけで(今日のタイムセールには間に合わないけれど、弟妹達にも迎えが遅いと怒られるかもしれないけれど、断じて暇ではないと言っておこう)
それでもきっと、帰ってきたあの男は至極真面目な顔で、待たせたなと詫びるのだ。
あァ、なんて勝手な奴だ。
「…あァもうっ」
机を叩く。
勿論それは自分のものではなく、金剛のものだ。
無機物に八つ当たりなんて、本当ならみっともなくてしたくはないけれど。
けれど。
顔を限りなく寄せ、それこそ唇が触れそうな位に近づいた金剛は、いつもの顔でも、仲間に向ける穏やかな笑みでもなく、それこそ先刻の自分と同じ挑発的な笑みを浮かべ口を開いた。
『陽奈子を助けて、それからお前を追って飛び降りる』
「っ、…馬鹿じゃないのか」
今、夕方で良かったと心から思う。
あんなのは、反則だ。
真っ赤な教室と同じ真っ赤な顔をした自分なんて見たくもないのに。
なのに、
嬉しかった、なんて。
レッド・シグナル
(待たせたな)
(…別に君の事なんて待ってないけど)
(…顔が赤いぞ)
(これは夕日の所為だから!き、君だって赤いよっ)
…何だかいよいよツンデレになってきたうちの卑怯orz
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