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 偉大なる航路の中で存在しているにしてはやけに安定した天候の中、青い空では鴎が優雅に飛び交い、広がる地平線には同志たる海軍艦が今日もまた海の秩序を守る為一隻、また一隻と旅立っていくのが見える。
 そんな、ある意味いつも通りに繰り返される日常を享受する事もできず、ドレークはほとほと困り果てた表情で窓の外から目線を動かした。
 いいや、動かさざるを得なかったというのが適切であったのかもしれない。
 向けられた先には、それはそれは大きな執務机、それを飛び越すといかにも達筆で書かれた「だらけきった正義」が額縁に嵌め込まれ壁に掛けられている。
 机上には大量の書類の山が一つ二つ三つ…あぁ、数えるのも嫌になってきた。
 こめかみの痛みはいつもなら片手で顔を覆い溜息を吐く事で緩和させているが、現状ではそうもいかない。
 書類の山と額縁の狭間で、心底この世に絶望したとばかりに突っ伏している男の姿に、ドレークはぐっと溜息を飲み込んだのである。
「…クザン大将」
 代わりに、出来る限りの穏やかさを以て男を呼んだ。此処海軍では青雉という異名を持ち、最大戦力たる大将の位に就いている筈のクザンは、今や威厳の欠片もなく打ちひしがれている。とはいえ常から威厳があるかといわれると彼の部下は苦味を滲ませた生温い笑みと乾いた笑い声で誤魔化すに違いない。黙っていれば上背も相俟って迫力があるのだが、常からだらけきった正義を掲げるクザンのだらけきった言動に威厳を感じろと言われると無理な話だった。やる時はやる人だと知っているから、まだ苦笑で留められているのだけれど。
「……」
 ドレークの呼びかけに、クザンはピクリとも動かなかった。そもそもクザンが積極的な言動を見せる事など仕事をサボる口実を見つけた時位なものではあるが、かといって部下の呼びかけを無視する事はしない筈で、ドレークはまたも溜息を吐きたくなる。下士官ならば、もしや自分が粗相をと慌てふためき青冷める所だが、クザンの補佐役として就いてから一年も経っているドレークにはクザンの考えなど解りきっていた。できる事なら解りたくはなかったが、とドレークが思ったのは当然である。原因の九割を占めている張本人はクザンの手にグシャリと皺を刻まれていた。軽く端の辺りが凍っているのが見えて、何もそこまでする程の事ではないだろうとドレークは呆れがちに目を細める。
「…何もそこまで拗ねなくともいいじゃないですか」
 ついでに口にも出してしまったのは、ついというべきか否か。
 しかしドレークにとってはこれが明暗を分かつ事になってしまった。口にした瞬間、あ、しまった、とドレークが思ったが早いかクザンの全身から冷気が噴き出される。これは決して比喩ではなく、笑っているのに目が笑ってないだとか口だけは温厚なのに態度が全然一致していないだとかいう事でもなく、ただ現実として冷気が室内に満ちたのだ。それはクザンが悪魔の実の能力者であるからで、彼が腰掛けている椅子はもはや完全に凍り付いていた。書類までこの調子にされては堪らないと、ドレークは慌てて前言の撤回に努めようとしたのだが、それよりもクザンの能力が勝ってしまうのはもはや当然の事で、ここ数週間分の書類が天に召されたのは言うまでもない。あぁ、とドレークが絶望の悲鳴をあげたにも拘わらず、クザンは握り締めた紙を机上に叩きつけ、その勢いのまま立ち上がった。ちなみにクザンの手に握られていた事で最も被害を受けたそれはとっくに紙ではなくこじんまりとした氷塊と化していた為、机上に叩きつけられた際無惨にも砕け散ってしまったのだが、だからといって原因の根本的な部分が解消される訳もない。
「……ドレーク大佐」
「……はい、何でしょうか」
「今すぐ、即、確実に、断ってきなさい」
「お断り致します」
「俺にじゃないんだよっ!」
 あ、涙目。なんて事実に気づいた所で、ドレークには本当にどうしようもなかった。
 事の起こりは、一年程前に遡る。ここ海軍本部では四つの海から選りすぐりの海兵が集められ日々研身に努めているのだが、その中でも更に能力を高め佐官としての地位を確立し大佐となった者には自隊を持つと共に将官の補佐役を兼ねる事が課せられていた。今から一年程前、大佐への昇進を果たしたドレークはそれに併せてクザンの補佐に入ったのだが、同期内でも突出した能力値を叩き出し、人徳的にも全く問題ないドレークを是非とも自身の補佐官にと言う声は多く、中でもクザンに並び大将であるサカズキが最後までクザンと競り合っていたのだから話が終わる訳もない。結局クザンの「ドレーク大佐が居ないと書類を溜め込む自信がある」という情けなくも堂々とした自己申告に呆れ果てたセンゴクがサカズキを説き伏せ、一年だけ譲っちゃる、一年だけじゃ、とサカズキは苦い顔で了承した。
 一年、それは海軍本部内での異動時期を指す。
 一年ごとに総入れ替えをしていては話にならないので、主に引き抜きに準じたものとなるそれは、将官が個人名を挙げ、本人とその上官から承認を得た場合のみ成立するとされていた…筈、なのだが。
 今回に限っては最初からサカズキが「一年だけ」と言っていた事や、上官に当たるクザンが一度優遇された事により拒否如何は一切聞き入れられず、また当のドレークは生粋の海兵為らんが為、上の命令ならばとこれを素直に受け入れたのだから話はトントン拍子に進んでいった。結果、クザンの元にはドレークへの異動辞令書がストレートに送りつけられてきたという訳で。その辞令こそが、今や無惨にも砕け散った物々である。
「支部へ出向する訳でもなしに、同じ本部内なんですから会おうと思えば会えるでしょう」
「そんな事言って、ドレーク君の性格上会ったって事務的な話しかしないでしょ。俺はね、だらけながらイチャイチャしたいのっ」
「職務中にそんな事ができる訳ないでしょう。それから職場でそのように呼ばないで頂けますかクザン大将」
「ホラホラ、そういう所がね、俺は不安な訳よ」
 盛大な溜息を当てつけがましく吐きながらそんな事を言うクザンに、ドレークは思わず言葉に詰まった。この会話を聞けば大抵の人間は解るだろうが、実はこの二人、ただの上司・部下ではない。ドレークが大佐になるその少し前から、クザンとドレークはただならぬ関係というやつになっていた。








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