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 どこで何を間違えてこんな事になってしまったのだろう。
 そんな言葉程、愚かしいものはないと思う。
 間違いだったとしても、それは全て己が決めた事の結果であり、悔いる事はその選択をした己を貶める行為でしかないと、常ならばそう考えた筈だ。
 しかしそれも理性があり、尚且つ常識的な問題である時に限られるのだと、今この時になって知る事になるとは思いもしなかった。
「ドレーク」
 半ば呆然と己の思考に陥っていたドレークは薄い扉一枚を隔てた向こうから、少々困ったと言わんばかりの弱った声に意識を覚醒する。
扉を背にし、預けた肩が明らかな動揺によって震えたが、まさか相手に見える訳がないのだとゆっくり息を吐いた。
つい先程までの相手は苛立った口調を隠しもしなかったというのに、打って変わった静かな声はドレークの中で芽生え始めた罪悪感の育成に協力しようとでも言うのか。
 籠城としかいえない己の行動を省みて、ドレークは奥歯を噛む。
 別に、怒っている訳でもなければ拗ねている訳でもない…とは、ドレークの言い分だが、実際は扉向こうの相手に対しそれはもう心中煮え滾っていた。
だがその心情を相手に吐露できる筈もなく、怒鳴り合いの果て今や浴室に籠城する羽目になっている。
 どこまでも融通が利かない己の性格を理解してはいたが、まさかこんな所で災いを齎すだなんて。
 ドレークの顔にはありありと自己嫌悪の色が浮かんでいた。しかし彼は未だこの扉を自発的に開ける事ができない。
「…ッチ、男のクセに女々しい真似してんじゃねぇ!」
「男として扱うっていうなら今すぐ前言を撤回しろ!」
「そういう問題じゃねぇだろうが!」
「そうか。ならどういう問題だっ!」
 どうやら、感情の波が巡り巡って再び苛立ちに火が付いたらしい相手の売り言葉を見事に大枚叩いて買って、扉越しの喧嘩腰、堂々巡りを繰り返す。
 違う、こんな事を言いたい訳ではないのだ。しかし相手も相手、状況も状況、ドレークはどう折れれば良いのだろうかグルグルグルグル思考を巡らせ浴室の至る所へ目を泳がせる。けれど当然ながら答など何処にも見当たらない、落ちている訳がない。
「いい加減にしねぇとこのドア壊すぞ、ドレーク」
「そうなれば俺も実力行使に出るぞ、スモーカー」
 恐らく苦虫を噛み潰したかのような顔をしているのだろうスモーカーの顔を思い浮かべ、ドレークは何故こうなったと事の発端に思考を追いやった。
 人はそれを、現実逃避というのだ。




 遡る事一カ月前。
 スモーカーは、本部内にあるドレークの部屋を訪れ、酒を酌み交わしていた。とはいえ互いの身に纏う空気は明らかに緊迫していて、どう贔屓目に見ても穏やかな酒盛りではない。
実をいうとこの二人、所謂恋人同士という仲である。何がどうしてそうなったのか、など詳細を述べると長くなるので割愛とさせて頂くが、とにもかくにも恋仲となってから暫く経ち、しかも二人きりの夜となればどちらも男なので考える事は似通っていた。
 下っ端時代からの同期という事もあり、昔話は尽きる事がない。けれどもスモーカーにしてもドレークにしても沈黙を埋めようと酒を呷り笑い、時に軽口を叩く姿は、常と程遠いものだった。
 お互いに少年の域を過ぎたとはいえど、好いた相手と二人きりの中手を出さずにいられる程枯れてもいない。
カロンと氷がグラスを叩く音を皮切りに、ドレークが僅か首を伸ばしてスモーカーの唇に触れた。
 酒で湿り気を帯びた唇からは当然ながら酒の味がする。
ピリ、と走る酒独特の辛味は、舌を絡めた途端、甘いものとなった。
「……んっ……ふ、ぅ…」
 角度を変え口づける度、合わせ目から零れる吐息までもが甘ったるく、ドレークはもっととばかりに重心を前にやるとスモーカーの肩をベッドに押し退け、その上に覆い被さる。スモーカーの手が背中に回り荒っぽく服を掴むその行為を、ドレークは催促として受け取った。だが次の行為に至る前に物凄い引力が突如として働き、ぐるりと視界が回る。背中と後頭部が柔らかいものに埋もれ、反射的に閉じた目を薄らと開いてみれば、どこか焦れた相貌をしたスモーカーと天井に見下ろされていて、ドレークは眉を顰める。
 何事か問おうとして開いた唇は音を紡ぐ前にスモーカーのそれに阻まれてしまった。押さえ込むようにしてドレークに覆い被さるスモーカーは、いかにも情熱的だといえるキスを施しながら服に手をかける。
武骨な手が脇腹を撫でたその瞬間ドレークは咄嗟に片脚をスモーカーの脇に引っ掛け横倒しにした。
「……」
「……」
ギシッ、と軋んだベッドの音は、今や同じ予感を抱きつつある二人にとって色気のあるものとは思えない。
互いに距離を図り合うかの如く睨み合う事数秒、明らかに顔を引き攣らせながらも笑みを浮かべたドレークが先に口を開いた。
「どうかしたのか?スモーカー」
「…こっちの台詞だ」
 付き合いの長さとは時に残酷なものである。
僅かながら、一言ずつのやりとりで相手が考えていた事が解ってしまった二人は、悲しいかな、ほぼ同じタイミングで臨戦態勢に入った。酔いなどとっくに失せている、当然だ。
 元々体格のいいドレークのベッドは一人で眠るには充分な広さを持っている。しかし、それが二人となればやや手狭になってしまうのが当然だ。
だからといってベッドから降りようにもその動作に至った瞬間が最期と互いの本能が警告してくるものだからどうにもこうにも膠着状態だ。
 ここはもう口で負かすしかない。
そう思い至った所でスモーカーの顔がほんの少しだが歪む。何を隠そうこの男、これまで口論でドレークに勝てた試しがなかった。
これはまずいという言葉を顔面のそこかしこに出しながら、とにかく先手とばかりに努めて低い声を出す。
「てめぇ、まさか俺に喘げって言うんじゃねぇだろうな」
「その言葉そっくりそのままリボンをかけた上で返すぞ」
「どう贔屓目に見ても俺が抱く方に決まってるだろうが」
「言い切るだけの根拠はあるんだろうなスモーカー少佐」
「こういう時だけ階級持ち出すな。今は勤務中じゃねぇ」
「済し崩しに抱かれて堪るか」
「それこそ熨斗つけて返すぞ」
 正に一触即発。
ハブとマングース。
先程までの甘やかな雰囲気は一体どこへ行ってしまったのやら、体格のいい男が二人揃いも揃って抱く抱かないなどという口論に没頭している。
辛うじて取っ組み合いにならないのは僅かながらに残った理性のおかげかそれとも冷静な打算からか。
 悪魔の実の能力者同士がいざ本気になればベッドどころかドレークの部屋があるフロアが全壊したとしてもおかしくはなかった。






あきゅろす。
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