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そのままお待ちください
「おはようございます!」


肌寒い、冬の朝。
事務所に入ると数人の組員が一斉に頭を下げた。

寒いながら清々しい朝だというのに、事務所の中は煙草の煙でいっぱいだった。
閉めきった窓、濁った人間の心。部屋が白くぼやけ、前進するたび霞が体を避けていく。わかりきったことだが、ここはとても不健康で、恐ろしい場所である。
もう、慣れてしまったが。

淀んだ空気に眉をしかめると、そんな俺を真面目な顔で見つめている城戸に気付いた。
茶色く染まった髪に、つった目。組の若手であり俺の兄弟である城戸は、俺と目が合うともう一度頭を下げた。
おはよう、と返事をすると、城戸の表情がパッと明るくなった。つった猫のような目元が緩んで、微笑みかけてくる。

俺はその目を見ていられなくて、何かに言い訳するようにコーヒー、とだけ伝える。城戸はすぐに踵を返し、給湯室へ向かった。




あの目に見つめられると頭がおかしくなる。
こんな気持ちに気付かれたくなくて、城戸の背中を追う視線を、逸らした。




「どうぞ」


しばらくして、城戸は木の盆にコーヒーを乗せて戻ってきた。
俺はコーヒーに砂糖もミルクも入れない。だから余計なものは何も持ってこないのだ。

デスクに置かれたコーヒーから良い香りがする。城戸が煎れたコーヒーはいつもうまいから、好きだ。
一口飲んで頷いてみせると、城戸はまた嬉しそうに笑った。


「兄貴腹減ってないすか?なんか作りましょうか」

「いや、大丈夫だ。いつもすまないな」

「そっすか」


コーヒーを飲む俺に、そんな母か妻のような質問を真剣にしてくる。少し前なら笑えただろうが、今の俺にそんな余裕はなかった。
城戸は時々料理をする。それも俺が教えて、簡単なものなら作れるようになった。

提案を断られ手持ち無沙汰になった城戸は、俺のデスクの前に椅子を運んでそこに座った。背もたれに腕と頬を預けて、煙草の煙で霞んだ窓の向こうを眺めている。
城戸はいつも俺の側にいた。

いつか誰かに、城戸はお前の犬みたいだな、と言われたことがある。
いつの間にか懐かれて、尊敬されて、そして兄弟になった。呼べばすぐに来るし、何かを頼めば必死になってやり遂げてくれる。

だがそれだけだった。
いや、それだけというと語弊がある。俺には充分すぎる、出来た兄弟。背中を預けても良いと思える人間。

だが、俺はそれだけでは物足りなく感じていた。いつからだろうか、もう覚えていない。


「兄貴、そういや今日雨降るみたいっすよ」

「そうか」

「この寒いのに雨は嫌っすね」


窓に目を向けたまま、そう呟く。
瞬きのたびに城戸の長い睫毛が揺れて、その下に影を作った。俺は何も考えないように資料を取り出し、何も頭に入らないままそれを読むふりをする。

よく動く手足と、生真面目な性格。単純で気難しく、従順で時にわがまま。優しいくせに少し荒れた目。
俺はそんな城戸を"普通でない"感情で、見ていた。…今も。

と、城戸は何か思い出したように勢い良く顔を上げた。


「そういや昨日大変だったんすよ」


事務所に響く大きな声。驚いた組員が一斉にこちらを見たが、城戸はそんなことお構い無しにまくしたてる。
やや前のめりに、うんざりだと言いたげに眉を寄せながら、口を開いた。


「大変だったって…」

「はしごです、キャバの。」


城戸は夕べ、金村の若いの、それと柴田組のお偉方とで飲みに行ったらしい。親睦会だかなんだか、俺が呼ばれていたのだが都合が合わず城戸に行ってもらったのだ。
どこに行くのかなど見当はついていたというのに、改めて言われると内心ざわつく俺がいた。


「うちのがキャバ行きたいキャバ行きたい言うんで連れてったんですよ…そしたらまさかのはしごです」

「はは、それはお疲れだな」

「そうっすよ、柴田の皆さんも乗っちゃって…みんな元気だなーですよほんと」


一気にそう言うと、両腕を高く上げ盛大に伸びをする。おかげで今日眠いっす、と呟いて、城戸は数回強く瞬きした。

その時、城戸から香水の香りがした。
城戸のいつもの香りと、恐らく、女物の香水の香り。それが混じって、ゆっくり空中に消えていく。
一瞬、胸苦しくなって、すぐに悲しくなった。



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