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ついていきます、どこまでも


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 ホウ統の元に不思議な青年が現れて、もう何年が経つだろうか。

「士元さん、頼まれたもの持ってきたよ」
「ああ、悪いねぇ」

 そう言って彼は盆に積み重ねたものを丁寧に棚へと並べ始める。相当古いものもあるのか元の色が分からない程に褪せたものも交じっており、乱暴な扱いをすればすぐにでも破れてしまいそうだ。
 ホウ統がまだ学ぶ側であった頃に使っていたものもある。頼んだ身ではあるが、改めて目にすると郷愁の想いに駆られるのも仕方ないだろう。
 持ってきたもの全てを棚へ収め終わった青年はくるりと回れ右をしてホウ統を見下ろした。さあ次は何をすればいい、と表情だけで何を考えているのか分かる程度には、ホウ統と青年の付き合いは長い。

「今持ってきて貰った、そうそれ、あっしはもう使わないからお前さんにやるよ」
「えっ、いいの?」
「構わないよ。ナマエに言われなかったら忘れたままだったんだからねぇ、それならお前さんに渡しちまった方が有意義ってもんさ」
「わぁ、ありがとう!」

 ホウ統の言葉に青年は嬉しそうに笑う。それ、と渡されたものは諸葛亮たちと勉学に励んでいた時に使っていた資料のひとつだ。
 何か勉強に使えるものはないかと青年に聞かれて思い出したのがこれだった。書庫として使っている部屋の一角に纏めていたのは覚えていたが、私物の上にもう随分と古いものだ。あれば儲けもの、という程度であったけれど、実際に見つけることが出来て良かった。こうやって青年に喜んでもらえたのだから。

 ある日突然、ホウ統の前にこの青年が現れた。
 自室として使っていた部屋にいきなり落ちてきたかと思えば、訳の分からない言葉混じりの説明をしてホウ統を困らせて、理解出来ないといった風のホウ統を見て彼も途方に暮れていた。
 彼の風貌はどこからどう見ても子供で、しかし彼本人はその姿に酷く驚いて。彼が言うには十年程若くなっているそうだった。かといって、それをそのままホウ統が鵜呑みにしているかといえば違うのだが。
 彼が口にする『にほん』だとか『しゅと』だとかは未だに分からない。『えいご』や『かたかなご』と呼ばれる単語はホウ統が首を傾げる度に意味を教えてくれていたから幾つか理解できるようにはなったけれど、此処では全く使われない言語だと知った彼があまり口にしなくなったので此処数年は耳にしていなかった。
 途方に暮れていた子供を引き取ったのはホウ統だ。
 読み書きも出来なかった子供に一から丁寧に教えれば面白いくらいに吸収し、本人も必要な事だと思ったのか必死に勉強していた。そのお蔭か今では並の文官以上の働きを見せては周りを驚かせている。

 士元も弟子を取ったのですね、と諸葛亮に言われたが、ホウ統としては弟子など取るつもりは毛頭なかった。
 このナマエという青年にしても弟子のつもりで引き取った訳ではない。子供が見せるにはあまりにも痛々しい表情をしていたから、引き取らざるを得なかっただけ。自分の家に落ちてきたのだから保護者は自然とこの家の持ち主になるだろうと、世間体と諦めと、ほんの少しの興味から子供を手元に置こうと決めた。
 結果、ホウ統を師として仰ぎつつ、自らを拾い育ててくれた恩人として、彼はとてもホウ統に懐いてくれている。

「…あ、そういえば子元さん」
「ん、なんだい?」
「さっき諸葛亮さんと会ってさ、後で手伝ってほしいことがあるって言われたんだけど、行っていいかな?」

 言いつつ首を傾げる青年にホウ統はまたかと溜息を吐いた。
 果たして一体何が諸葛亮の琴線に触れたのか、時々こうやって青年を呼びつけては自らの仕事を手伝わせるという、ホウ統にはよく分からないことを繰り返していて。
 確かにナマエは優秀だ。ホウ統が補佐として傍らに置いておく程には使える人材であるのは間違いない。間違いないのだが、諸葛亮には既に姜維という彼よりもっと飛び抜けた天才がいた筈だ。
 少しばかり卑怯な手を使って此方側へと引き抜いた元魏軍の武将、姜維という男は諸葛亮に心酔して日々知識を吸収しようと邁進している。あまりナマエと歳が離れていないのも手伝って彼と姜維は仲が良く、端から見れば兄弟のようだった。

「お前さんの手も借りたくなる程せっついた案件なんてあったかねぇ…」

 返事を濁すように零したホウ統の視界に、先程首を傾げた姿勢のままの青年が見える。
 その顔は純粋に諸葛亮の元へ手伝いに行けるかどうかしか疑問に思っていない表情で、益々ホウ統が吐く息は増えた。
 よく分からないこと、と先程はいったけれど、ホウ統も一応名の知れた軍師であり、諸葛亮が何を考えて青年を呼びつけているのかなど本当は分かっているのだ。
 分かっているからこそ、このまま素直に彼を諸葛亮の元へと行かせたくない。
 行かせたくはないが、しかし。

「…いいよ、行っておいで。あっしもこれが終われば一段落着くし、こっちのことは気にせずとも大丈夫だから今からでも行ってきたらどうだい」
「…いいの?」
「当たり前さ、ついでにあっちからも何か良さげなもの貰ってくるといい」
「それはちょっと…俺より姜維にやった方が良い気がするなぁ」

 ホウ統の言葉にへらりと笑って返す青年は「じゃあ行ってくる」と部屋を出て行ってしまい。
 途端にしんと静まり返る室内に、三度目の溜息が響いた。

「……まったく、孔明も意地が悪い」



***



 太陽が山へと沈み辺り一面を漆黒の色に染める頃。ホウ統はひとり、とある場所へと足を進めていた。
 目的地は昼にも話題に出た諸葛亮の執務室だ。あの後部屋を去った青年は結局戻ってこず、仕方なく迎えに行っているところだった。
 一体何をさせられているのやら、とホウ統はもう何度目か分からない息を吐く。いつもなら然程時間を置かずに戻ってくるというのに、今日に限ってはそんな気配はとんと見せず、もう少しで城を後にするという時間になっても帰ってこなかった。
 青年を呼んだ日の諸葛亮にはあまり近寄らないようにしている為か足取りは遅い。それでもそんなに離れていない執務室はすぐに辿り着き、諦めて扉越しに諸葛亮の名を呼べばどうぞと間を置かずに返事が返ってくる。恐らく自分が来ることは予測済みなのだろう。

「…こりゃまた……」

 扉を開けて一番に目にした光景に、ホウ統は思わず目を見開いて驚いた。
 三人用の広い腰掛けに、ナマエと姜維がお互いにもたれるようにして眠っていたのだ。すやすやといった擬音が似合うその様子は起こしてしまうのが忍びなくなってしまうほど。
 出来るだけ静かに扉を閉め、足音を立てぬよう、奥の机に座る男の元へと歩み寄る。
 諸葛亮は相変わらず涼しげな顔をしてホウ統を出迎えた。

「突然ナマエ殿をお借りして申し訳ありませんでした、士元」
「いやいや、まぁいつものことだからいいんだが…しかしたまげたねぇ、これなら戻ってこないのも納得だ」
「起こす機会を失ってしまいまして…貴方が来るのを待っていたんですよ」

 戦場で被っている帽子の代わりに着用している頭巾を撫でつつ、ふむ、とホウ統は頷く。確かに最近は寝る時間を削って勉強に励んでいたのは知っていたが、寝不足になるほどとは思っていなかった。ホウ統自身あまり寝食に頓着しない方で、むしろそれに関してはナマエに注意されるくらいだったのだが。

「……無理をさせちまってたのかもしれないねぇ…」

 少しでもホウ統に追い付けるようにと努力をしていたのは知っていた。それを嬉しく思っているからこそ、今日の午後のように過去に使っていた資料を譲ったのだ。
 しかしこうやって転寝をしてしまう程気疲れを溜めさせているのは気付かなかった。今回は諸葛亮の元へと手伝いにいっていた時だったからいいものを、これがもし一人の時だったらと思うと肝も冷えるというものだ。
 恐らく姜維も同様なのだろう。天才だ秀才だと持て囃される度に謙遜しては新たな知識を取り込もうと必死な姿を見てきている。
 二人はきっと似た者同士なのだ。

「しかしあれだ、孔明、あんまりナマエを呼びつけるのはやめとくれよ」
「おや、何故です?」
「この子が珍しいってのは分かるんだがね、そうひょいひょい呼ばれちゃあナマエも困るだろうよ」
「そうですね……ですが、困るのはナマエ殿ではなく、士元。貴方なのでは?」
「……まぁ、否定はできないねぇ」

 二人の顔を眺めながら交わす言葉に苦笑する。
 諸葛亮の言う通りだ、彼を呼び出して困るのはナマエではなく、ホウ統なのだから。
 流れで引き取った子供ではあったけれど、成長していくにつれて懐いてくれる姿を見れば自然と愛着も湧くもので。
 ありとあらゆるものに無精だったホウ統も自分が子育てなど出来る筈がないと思っていたのに、今ではナマエという青年は日頃の世話を焼かせてしまうほどしっかり者になった。
 思えば最初から年齢の割にはしっかりとした思考を持った子供だったように思える。見ず知らずの人間の中でも特に怪しい部類だと自覚していたホウ統にとって、自らの子供とも言える歳の離れた小さな彼に懐かれるとは正直思ってもみなかった。
 苦笑するホウ統の後ろでくすくすと笑う声がして振り向けば、羽扇で口元を隠した諸葛亮が目元を綻ばせて笑っていた。

「すみません、あの士元がと思うとおかしくて」
「好きなだけ笑うといいさ、あっしも自分がおかしくて仕方ないよ」

 昔のホウ統を知っている諸葛亮からしてみれば今の光景は酷く滑稽なものに見えるだろう。
 今だってそうだ。戻ってこないからといってわざわざ迎えにくるくらいには、青年のことを気にしている。心配している。
 そんなホウ統の姿を見るのが面白くて諸葛亮はナマエを何かある度に呼びつけていた。そうすればホウ統が頭を悩ませるのだと知っていて。
 勿論、普段の執務に支障が出ないように細心の注意は払っているが。

「いつかこの子も、巣立っていくのかねぇ…」

 教えたことだけでなく自らも勉強してどんどんと知識を蓄えていく様は素晴らしいと同時に、いつかは自分の元から巣立ち新たな場へと旅立ってしまうのではないかと寂しく思う。
 誇らしいと胸を張るのが正しいのに、いざその場面に立てば笑って背中を押すことが出来るか分からない。
 いつまでも自分の元で弟子を続けるには惜しい人材だと理解しているだけに、いつかの時を想像しては寂しさを紛らわせるという、なんとも情けないことを繰り返していた。
 そんなことを考えて背中を丸めるホウ統に、諸葛亮は羽扇で隠した口元を緩ませる。

「それは、きっと有り得ないと思いますよ」
「…有り得ないってぇのは?」
「士元は知らないでしょうが、ナマエ殿は此処にくるたびに貴方のことばかり口にするんです」

 お蔭で貴方のこと、少し詳しくなってしまいました。

「今日は資料を貰ったのだと、それはそれは嬉しそうに話していましたよ。見せて貰いましたが、また懐かしいものをお渡ししたようで」
「…ああ、なんだい、思った以上に筒抜けだったんだねぇ」
「そうですね、筒抜けです。私は楽しいので構わないのですが」
「ありゃりゃ、こりゃあちょっと注意したほうがよさそうだ」
「…こうやって話を聞く度に思うのです。彼は、貴方から離れる気は欠片もありませんよ」

 諸葛亮の視線が腰掛けで仲良く眠る二人へと投げられる。相変わらずすやすやと心地良さそうに眠っていて、このまま暫く寝顔を眺めていても飽きることはないだろう。
 静かな声音のまま口にした諸葛亮の言葉に、そうかい、とホウ統も同じような声音で返す。
 じわじわと胸に広がっていく暖かみに目元が緩むのが分かった。己の性格のせいであまり他者と深く関わらないようにしていたけれど、こうやって第三者から自分へと向けられる好意を聞くと酷くむず痒い。
 諸葛亮や、今は此処にいない徐庶といった物好きな人間以外にも、自分との関係を切らずにいてくれる者がいるのは有難かった。

「…孔明、ちょっと茶に付き合わないかい。急ぎのもんはどうせ全部片付けちまってるんだろう?」
「構いませんよ。先程湯を持ってきて貰ったばかりなので丁度良かったです」
「ああ、いいよいいよ、あっしがやるからお前さんは座っときなって」

 言いながら立ち上がろうとする諸葛亮を制してホウ統は茶器の元へと行ってしまう。
 その足取りは軽く、遠くはないその後姿を見ては笑みを深くして目を閉じた。

 ホウ統が茶の用意を終わらせるのと同時、二人は図ったかのように共に目を覚まし。
 眠っていたのを慌てる弟子二人に、師匠らは笑って自らの茶を彼らへと差し出したのだった。




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