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くちに出てました


※トリップ主人公
※知識有



「……徐庶?」

 諸葛亮に頼まれた書簡を手に徐庶の執務室へと行けば、部屋の主である彼は珍しくも転寝中だった。
 執務中に耐えきれなくなって寝てしまったのだろう。筆は転がって墨の道ができ、机に倒れ込むように目を閉じていた。
 確かに最近は忙しかったと思う。
 此方の世界、というか日本語以外分からない身としては執務を手伝う訳にもいかず、一応勉強はしているがマスターできる気がしない。
 ある日突然この無双の世界に飛ばされてからは運良く命を手放してはいないが、生き残ることだけを目標に今まで過ごしていた分、周りの人間が忙しそうにしているのを見ると仕方ないとはいえ自分が不甲斐ない。
 そもそも向こうで遊んでいたゲームの世界に身を置くなど普通は考えないだろう。海外旅行にすら出かけたことのない自分にとって、日本語と英語以外は読むことすらできなかった。

 眠る徐庶の顔を見れば目の下に薄ら隈が出来ている。一日二日徹夜してもケロッとしている彼がここまでということは一体何日まともに寝ていないのか。
 つい先程回ってきたばかりの諸葛亮や法正も疲れた顔をしていた。文字すら書けない自分に出来ることなど限られているが、何かしてやれることはないかと探すことぐらいは許されるだろう。
 忙しくなり始めた時に、暫く勉強に付き合ってあげられないかもしれない、と申し訳なさそうに謝ってきたのを思い出す。
 誰であろうこの徐庶に俺は色々と教えて貰っていた。
 この世界に文字通り「落ちてきた」のはこの男の目の前で、お互い目が点になったものだ。
 時期的にどうやら蜀に身を置いて日も浅い頃というのもあったのかもしれない。突然降ってきた俺を最初こそ警戒していたが、この世界のこと全てに驚く自分を見て記憶喪失か何かの部類だと思ったらしい。色々と世話をしてくれるようになった。
 それは物凄く有難かったが、理由が「俺が拾ったんだから、最後まで面倒をみないと」というのはどうかと思う。俺はペットか。

 目の前で眠る徐庶を見る。これは起こすべきなのだろうか。
 隈まで出来てしまっている姿を見ると起こすのは忍びない。けれど起こさなければ仕事は溜まる一方だし、寝ている姿を見られるのは彼も嫌に決まっている。
 俺も見てしまった側の人間だが、基本的に全面的に徐庶の味方なので、寝ていようが遊んでいようが徐庶を責めることはない。というかそもそも後者はありえない。
 しかしこのまま起こさずに放置、というのも駄目だろう。徐庶も仕事を片付けようと必死だったのは知っているし自分だけ休むなんてとんでもないと首が取れる勢いで謝りそうだ。
 ならば起こす以外にない。ないのだが。

「……少しくらい、いいよな」

 一時間、いや三十分、それでも駄目なら十五分だけでも。
 仮眠を合間に取った方が頭がすっきりして作業効率もよくなると言うし、長時間でなければ大丈夫。多分。
 転がった筆を元の場所に戻し、垂れてしまった墨を拭いておく。幸い書簡は無傷だったのでそっと腕の下から抜いて横へと非難させた。
 これで書簡も徐庶も墨まみれになることなく仕事を再開できるだろう。
 昨日と比べて少し肌寒いから自分が着ていた羽織もかけておいたから風邪を引くこともあるまい。引いた時は自分が看病すればいいだけの話だ。

 あとは時間がきたら起こせばいい。向こうの世界から一緒に飛ばされた腕時計はまだまだ現役で、今の所止まる様子は見られない。
 十五分か三十分か、間を取って二十二…いや二十三分にしよう。三十秒はおまけだ。それまでに徐庶が自然と起きればそれでよし、起きなければ声をかけて起こせばいい。
 持ってきていた書簡を机に並べて二人掛けの椅子に座る。竹を薄く小さく割って作った疑似単語帳を幾つか取り出して、昨日の復習を始めた。



***



 結論から言おう。徐庶は起きなかった。
 それだけ疲れていたと同時に、それを今から起こすのかと思うと申し訳なさでいっぱいだ。
 だがしかし起こさなければ徐庶が困る。放置すればきっと目が覚めた彼は転寝していた自分に愕然とし青褪めてしまうかもしれない。そんな己を責めて今以上に無理をするだろう。それは避けたい。
 よし、と気合いを入れて徐庶の横に立つ。徐庶は相変わらずすやすやと眠っていた。

「徐庶、起きろ」

 最初は控え目に声だけをかける。起きない。

「徐庶、起きろって。これ以上寝たら不味いんじゃないか」
「……うぅ、」

 次は少し大きめの声で。反応はしたが目が覚めたとは言い難い。
 ならばと今度は肩を揺すってみるが、似たような反応ばかりで起きる気配はない。どうしたものか。

「(……そういえば)」

 ふと、以前法正に言われたことを思い出す。
 ゲームでは恩も恨みもない人間には興味がないとあったからある意味安心していたのだが、突然「落ちて」きた人間というのはそれとは別枠で興味が湧いたらしく。
 間者だのスパイだのと疑われた時期は過ぎていたからよかったものの、ただでさえ最初の頃は周りは警戒心バリバリだったのだ。そんな時に話しかけられていたら恨みを売ってしまうのが恐ろしくて何も話せなかったに違いない。
 話す内容は正直あまり覚えていないのだが、時々向こうのことを聞いてきた。むしろ俺が法正の連結布とやらのことを聞いてみたかったが、流石に命が惜しいので黙っておいた。
 そんな感じで世間話などする仲ではない。徐庶に回す書簡を代わりに取ってきたり、徐庶が終わらせた分を法正の元へと運んだりするくらいだ。
 一体何が目的であんなことを言ってきたのか見当もつかないが、俺みたいな一般人と彼のような軍師では頭の中身自体が違うだろうから考えるだけ無駄な気がする。

『いつでもいい、あいつを字で呼んでみろ』

 法正に言われた言葉を頭に浮かべる。字というのは日本でいう名前みたいなものだったか。
 自分で付けるものだとか聞いたことはあるが、わざわざあの法正が言うくらいだ、普段呼ぶものとは違うんだろう。
 何で、など聞ける筈もない。ニヤリという擬音があそこまで似合う笑い方で言われて、基本スタンスがビビリである俺にそんな度胸はない。
 何故あんなに楽しそうだったのかは知らないが一応仲間なのだ、マイナスになるようなことは言わないだろうから試しに言ってみるのもいいかもしれない。
 徐庶の字は何だったか。
 確か。

「…………元直?」

 ぱちり。そんな音が聞こえるくらいに勢いよく徐庶の目が開いてちょっと驚いた。
 せっかく法正に言われた通り徐庶を字で呼ぼうとしていたのに、その字を思い出したところで起きるとはなんてタイミングの悪い。
 まぁいつまでに、と指定されている訳でもないから、次の機会にでも呼べばいいだろう。今は徐庶が起きたという事実が最優先である。

「よかった、やっと起きたな。目は覚めたか?」
「…え…あ、うん、……ナマエ?」
「?なんだ、どうした徐庶」
「え?いや、ええと……」
「?」

 起きるなり挙動不審な動きをする徐庶は一体どうしたというのか。何か嫌な夢でも見てたのか。
 確かにこれだけ仕事が立て込んでいれば悪夢のひとつやふたつ見るのも仕方がない。

「もっと寝かせてやりたかったんだけど、これ以上は徐庶が困ると思って。悪夢でも見てたのか?いきなり目が開いてびっくりしたぞ」
「悪夢…ではないかな、むしろ逆…」
「逆?ってことは良い夢か…なら良かった」

 いやむしろ悪いのか。悪夢なら目が覚めてよかったと思えるだろうが、良い夢なら途中で目が覚めるのは惜しかっただろう。悪いことをした。

「ほらこれ、お前に頼まれた書簡取ってきたんだ。此処に置いたから後で確認しといてくれ」
「あ、ああ、分かった。有難う」
「どういたしまして。他にも何かあったら教えろよ、俺に出来ることなら何でもするから」

 言いながら、終わったであろう書簡を手に部屋を出る。置き場所からしてこれは諸葛亮宛てだろう、今の所徐庶には俺が手伝えるようなものがないようだし、この人になら仕事を斡旋して貰えるかもしれない。
 無かったら、まぁ、その時はその時。他に探すか勉強を再開するのもいい。

「夢か……俺はそんなに、ナマエに字で呼んでほしいと思っていたのか…?」

 俺が諸葛亮の元へと向かっている間。
 赤面した顔を手で覆って、徐庶はそんなことを呟いていたらしい。




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