※異世界トリップ?主人公 ※知識あり 吾輩は虎である。 いつかの授業で使った教科書に書いていた文とは少々異なるものだが、まぁ仕方ない。 だって虎だもんな、と考えて、くぁ、とあくびが出た。 この世界で目が覚めてからもう随分時間が経ったように思える。 時計がある訳でもないから専ら時間の確認は太陽だ。 陽が昇ると同時に起きて、陽が沈んだら眠る。向こうに居た頃では考えられないほど健全的な生活をしていると思う。 いつの間にか小さかった体は見違えるほどに大きくなった。大きくなってしまう程度には長い年月が経ったということか。 吾輩は虎である、と言ったように、俺は虎だ。 電車の時間ギリギリだったから急いで駅に向かっていた筈が、気付けば俺は此処に虎として生まれていて。 唐突過ぎて訳が分からなかった。覚束ない視界なりに周りを見渡して、ずいと目の前にでかい虎の顔が出てきた時は口から心臓飛び出たかと思ったくらいだ。 驚いてひっくり返った俺は滑稽だっただろう。駄目だ食われるとガタガタ震えていた俺を、けれどその虎は宥めるようにざりざりと大きな舌で舐めてきた。 瞬間こそ驚いて俺終わった、と硬直したが、それが暫く続くうちにあれ?と。 首を傾げた俺を見下ろす瞳はなんとなく優しい色をしていたように思う。まるでそんなに怖がってどうしたんだと問いかけられているようで段々落ち着きを取り戻した。 そうして、落ち着いてから理解したのは、どうやら俺は虎になってしまったらしいということだ。 よくよく思い出せば駅前の横断歩道でクラクションを鳴らされていた気がする。そこから記憶がないのはどうしてだろうと考えて、嫌な予感がしたので思い出すのをやめた。 恐らく人間だった頃の俺はあの時死んでしまったんだろう。そして虎として新たな生を授かったということか。それならばいっそ人間だった記憶もリセットしてくれればいいのにと、必死で母虎の乳を吸いながら恨んだのは懐かしい。 それからは他の兄弟と共にすくすくと成長した。 走れば簡単にころころと転がる小さな体では見るもの全てが大きく見えたが、それと比べても母親である虎は大きかったように思える。 虎の標準ってどれくらいだ、と思い出そうとしても、向こうで動物園など行ったことがないのでよく分からない。テレビで見たくらいだ。 だが自分が成人…成虎?になって改めて思う。俺の母はめっちゃでかい部類だったんだな、と。 大きくなって狩りが出来るようになった途端にひとり置き去りにされてしまった。 昔見た野生動物のドキュメントでも確かにすぐ孤立していた気がする。これが独り立ちか、と分かってからは、とりあえず必死に生きることだけを考えた。 母虎と他の兄弟たちが今どこにいるかは分からない。狩りをする側であると同時に虎皮を狙って狩られる立場でもあるから、そうなっていないことを祈るだけだ。 大きなあくびをした後に起き上がる。全身で伸びをしてからゆっくりと巣である洞窟から出ていけば顔を出したばかりの太陽の光が燦々と輝いていた。 うろうろと各地を渡り歩いた先に見つけた場所に向かって歩き出す。 今日もあの男はいるだろうか。 *** 「(おお、いたいた)」 音を立てないように草をかき分けながら腰を下ろす。 視線の先に生える木の根っこにはひとりの男が座っていた。 何かの巻物だろうか、開いたそれを見下ろす目は真剣で、飄々としたイメージしかなかった男に変な感動を覚える。 勝手ではあるが俺は男を賈クと呼んでいた。 まだ人間だった頃に遊んだゲームに登場していたキャラクターにそっくりだったからだ。 確か三国無双とやらだったか。アクション系のゲームが好きだったのでシリーズが出るたび買っていたものだ。 特にのめり込んで遊んでいた訳ではない上に、もう随分と昔のことなので記憶はおぼろげだ。 それでも覚えていたのはあの男が海外映画にあった何処かの海賊にそっくりだな、と友人と笑いながら使っていたからだ。特徴的な笑い方をしていたように思うが果たしてそれがどんなものだったかまでは覚えていない。 独り立ちをしてから最初にしなければならないことは自分の縄張りを確保することだった。 が、元々人間だった時の記憶が邪魔をして縄張り争いだとかいう喧嘩は出来なかった。似たような肉食動物と喧嘩するとか正直勝てる気がしない。 そのせいか行く先々で他の動物の縄張りに足を突っ込んでは追い出され、そうして辿り着いたのがこの一帯で。 此処の近くには城があり、城があれば城下町もある。 人々が集まる場所には総じて動物は近寄らない。そのせいかこの一帯には目立った動物はいなかった。 これ幸いと俺はここに巣を作ることを決めた。 手頃な洞窟も見つけて、餌となる小動物や木の実などを食べながら生活し、時間が余れば周囲を見回りという名の探検をして暇をつぶす。 そんな時に見つけたのがあの男だった。 「(しっかしまぁ…見れば見るほど似てるよなぁ……)」 頭に巻いているのはターバンだろうか。腰に巻かれた鎖はきっと男が使っている得物だろう。 そういえばゲームの賈クも槍とか刀とか、オーソドックスな武器じゃなかったなと思い出す。確か鎖鎌とかいうやつだったか。ぶんぶんと振り回して敵を蹴散らしていくのはなかなかに爽快だったように思える。 こうやって男を観察し続けて一ヶ月くらい経ったような気がする。 初めて見かけてからはなるべく毎日通っているのだが、いたりいなかったりと見れる機会が定まっていないせいで見つけた時はちょっと嬉しかったりする。 虎として生きようと決めてからは人間と絡む機会はなかった。 向こうから近寄ってくることほぼないと言っていい。皮を剥がれてカーペットにされるのも御免だったので此方からも近付かないようにしている。 時折山の上から城下町を見るくらいだ。 遠目でも分かるがやがやと騒がしいあの賑わいは今の自分では近付くことすら出来ない。 虎の姿では時間を潰せる娯楽は無く、歩き回るのすら億劫な時は日向ぼっこしつつ惰眠を貪るのが常だった。 そんな退屈な毎日に突然現れた賈ク(仮)という存在に今の俺は首ったけである。 「(こっち向いてくれないかな、横顔じゃなく正面から見たい)」 話しかけることも近付くこともままならないが見ているだけで飽きないというのは凄いと思う。 だが欲を言えばもっと近くで顔を見たい。座る位置からして仕方ないとは分かっているものの、此処から見えるのは賈ク(仮)の横顔のみ。 どうにかして真正面から見れないものかと顔を動かしていたらうっかり体まで動いていたらしい。 ぱき、と。足の下で枝が折れる音がした。 やば、と咄嗟に足を上げた直後、ドス、と。 「(………え、)」 問1・目の前に刺さっているのは何? 答え・鎌 「(…っうおおおお!?)」 びっくりした。びっくりし過ぎてちょっと腰が抜けた。 今まさに目の前で刺さっている鎌はついさっきまで俺の足があった場所で、もし俺が足を上げてなかったら見事に刺さっていただろう。怖すぎる。 固まって動けない俺を無視してその鎌は何かに引っ張られるように視界から消えてしまった。じゃらりと音がするのは鎖だろうか。 あと、何でこっちに向かってくる足音がするんだ。嫌な予感しかしない。しないが、見て確認しないことには始まらない。 丁度目の前で足音は止まり、恐る恐る顔を上げればそこにはやはり賈ク(仮)がいて。 「…………。」 「…………。」 見上げた先にあった男は酷く驚いている。 何でだ、と首を傾げようとしてすぐに分かった。そうだ俺は今虎だった。 音がしたから得物を投げたんだろうが、もしかして敵兵と思われていたのだろうか。 思えばさっき鎌が刺さった場所は寸分の狂いなく俺が踏んだ枝を潰していた。これがもし人間だったら相当の反射神経を持ってなければお陀仏だったに違いない。 仕留めたと思って近付けばそこにいたのはまさかの虎。そりゃ誰だって驚く。 「………がう」 とりあえず、驚かせて申し訳ないと一鳴きする。 ついでに襲うつもりは更々ないことを伝える為にその場に伏せてみた。服従を示すには腹を見せるのが一番だろうが、万が一腹を見せて鎌を突き立てられたらと思うと恐ろしいのでこれが精いっぱいだ。 「………………。」 「………………。」 ………。せめて何か喋ってくれないか、賈ク(仮)。 虎に対して話しかけるというのも不自然ではあるが、こう、何かあるだろう。 普通なら虎と対面したら逃げると思うのだが、目の前の男は逃げるでもなく突っ立っている。 これで俺が只の虎だったらどうするんだと心の中で文句を言って、しかし躊躇いなく鎌を投げてきたのを思い出す。この男なら虎に襲われても大丈夫そうだ。 いっそこっちが逃げてしまおうかと揃えた前足の間に顔を突っ込んで溜息を吐く。 大型の獣なだけに溜息もでかい。場違いな音だったなとも考えたが、もうどうにでもなれと匙を投げた。 「………ふぅん?」 そんなことをしていれば頭上から声がして。 思わず男を見上げれば、なんとも不思議そうな表情と目が合った。 「…なんだ、やけに人間臭い虎だな」 当たり前だ。だって中身は元人間だぞ。 言い返してやりたいが残念ながら虎の声帯では言葉など話せない。 代わりにぐるると不満そうな声を上げる。あまり盛大にがるがる言ってしまうとそれこそ鎌の餌食になりそうだ。 「しかも大人しいときたもんだ。誰かに飼われでもしてたのかね?」 虎を飼うとか無理なんじゃないか。サーカスじゃあるまいし。 思わず違うと首を振れば賈ク(仮)は目を見開いた。今度はなんだ。 「……お前、言葉が分かるのか」 言われて、しまったと体が強張る。 何気なく否定の意味で首を振ってしまったが、普通に考えれば返事をするなんて思わないだろう。 只の独り言だったろうに、男の前にいる虎は答えるように首を振った。まるで飼われてなどいないというように。 やってしまったと後悔するも後の祭りだ。見下ろす眼光は鋭く逸らせない。 仕方なく、本当に仕方なくだが、一度だけ頷いてみせた。 案の定男は驚いて、それから何を思ったのか持っていた鎌を腰に巻き直す。これは警戒を解いてくれたと思っていいんだろうか。 解いてくれたついでに此処から解放してくれると助かるなぁと思っても、男が目の前に座り込んでしまってはそれも難しい。 「ぅが、」 しかもわしわしと頭と一緒に首まで撫でてくれるものだから思わずぐるぐると喉が鳴る。そういえば虎は猫科だった。 そのまま暫く撫でられて、よし、という声と共に手が止まる。 もう終わりかとちょっと残念に思いながら賈ク(仮)を見れば、にやりと笑っていて。 「お前、一緒にくるか」 「…がる?」 「これだけ触っても襲ってこない上に人間の言葉が分かる虎ってのぁ珍しい。こんな面白いもの逃す手はない…どうだ?」 今なら昼寝し放題で三食餌付きの大盤振る舞いだ。 突然の提案に目を白黒させるも、三食昼寝付きという言葉にぐらりと揺れる。なんて恐ろしい誘惑だ。 そもそも虎をペットのように飼おうとしているこの男は一体何を考えているんだろう。 人間の言葉が分かるというのは確かに珍しいかもしれないが、それだけでこんな提案をするものなのか。三食に昼寝までついているなんて素晴らしい以外に言葉が思いつかない。 そうしてつい、うっかり頷いて、あ、と思った時には既に遅かった。 賈ク(仮)は交渉成立だなと嬉しそうに笑って、そんな顔を見てしまっては今更裏切るような真似は出来なくて。 「そうと決まれば善は急げ、だ。人間の言葉が分かる虎だと分かればあの曹操殿のこと、むしろ喜んで迎え入れてくれるだろうよ」 男の言葉に引っかかりを感じつつ、歩き出した後姿を追いかける。 背後からのそのそと歩いてくる俺を振り返り、満足そうに頭を撫でるのを見て、まぁいいかと思ってしまった。 その後、案内された先に立つ人間を思わず二度見した。 二人は物凄く見たことのある姿をしていて、しかも賈ク(仮)は曹操と郭嘉と呼んでいる。 ついでに言うと、俺を連れてきた男も賈クと呼ばれていた。まじか。 「して、その虎の名前は何というのだ?」 「そういやぁ決めてませんでしたね。んー、何にするか…」 ああ、ナマエってのはどうだ? 言いつつぽんと頭に手を乗せてきた男に更に驚く。それは俺が人間だった頃に呼ばれていたもので。 感動のあまりがうと勢いよく返事をすればおお、と目の前の二人が驚くのが分かった。 だがそれよりも何よりも、まさかここでもその名前で自分を呼んでくれる人がいるとは思わなかったのでテンションMAX鰻登りだ。 どうやら賈クに似ていると思っていた男は紛れもない本人だったらしい。ついでに言うろこの世界も無双だと知った。 事実は小説より奇なりとは言うが、まさにその通りである。 終 |