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10000HIT企画小説
HOLY AND BRIGHT(8)

 こめかみから眉の下に走る裂傷。刃の向きが少しでも違っていたら、眼球はおろか、頭を割られていたかもしれない。
 その、あまりに現実的な想像に、冷たい塊が政宗の背面――背ばかりではなく腕や肩といった部分を滑り落ち、その残響のように体が一つ、ぶるりと震えるのを止められなかった。
 記憶にある、血に染まった幸村――実際には生きていたけれど、僅かの違いで温もりを欠いた姿になるところだったのだという事実に、息が詰まった。
 幸村は傷を隠さずに顔を上げた。血は止まったとはいえ、塞がりきっていないその生々しい傷は瞬きほどの小さな動きでも再び鮮血を溢れさせてしまいそうだ。
 だが、幸村は表情を動かして――ゆっくりと微笑んだ。
「某を、見てくだされ。――眼も頭も、命も、某は無事でござろう?」
 傷は幸村の目を腫れさせて、常のようには開かないが、隙間から覗く瞳に曇りはなく、無事な方の眼と揃って政宗を見ている。
「政宗殿がこの傷の為に某に負い目を抱かれる――そのようなことは必要ござらぬ」
 言うと、幸村は政宗の手を軽く掴んだ。探ることなく触れるのは双眸が見えているからだろう。そしてその手に導かれるのは――赤い傷。
「戦場にあれば、これきしの傷を負うは常のことなれば、たいしたことはござらぬ。そもそも、このように傷を負うは、この幸村の力が足りぬ証なれば」
「だが、それは俺を庇ってのことだろう」
 幸村の力が足りなかったのではない。それ以上に、政宗の力が及ばなかったからだ。
 しかし、幸村は首を振る。
「某が。――某が、政宗殿をお守りしたいと思った。その時点で、あの刃は某が受けるべきもの。それをいなすことも出来ず、ただこの身を以てしか防ぐ術がなかった――まだまだ、精進が足りませぬな」
 政宗の指先が傷に触れる間際のところで、幸村はその掌に、己の頬をすり、とすり寄せた。
「奥州と甲斐――国を違える某たちが、戦場を共に出来ることは滅多とありませぬ。その数少ない機会で、政宗殿をお守りできた――これは某の名誉なれば、どうか煩われますな」
 微笑んだ幸村の頬に、つう、と赤い筋が流れる。
 固まりきっていなかった瘡蓋から開いた傷から滲んだ血は傷口に添って流れて溜まり、端の方でぷつりと決壊して滴り落ちる。
 それは頬に触れる政宗の指先をも伝うように流れた。
「馬鹿、傷もまだふさがりきってねえってのに……!」」
「たいしたことはないと申し上げた!」
 ぬるりとした生暖かい感触に焦りを覚え、ひくり、と眉根を震わせた政宗に、幸村は毅然として言い放つ。
「――……」
 すでに血は幸村の目元を汚している。だが瞳はしっかりと政宗を捕えていた。
 まるで戦場で対峙する時のような真剣な二粒の瞳――片目を覆うようになってから、さほどの時が経ったわけではないのに、幸村の両眼がそろって己を射ぬくように見る眼差しに思わず見惚れた。
 そうだ、幸村の目はいつだってこうやって己を見る。
 激情に湿り気を増した瞳はわずかな光りすら拾い集めてきらきらと輝き、内面の炎を映すかのような苛烈な眼差しは己の内にまで炎を移すかのようだ。
(ああ、アンタは)
 いつだって身に炎を宿して戦っている。
(なら)
 己は――好敵手である己は。
「……アンタのこの傷は、アンタが何と言おうとも俺が受けるべきものだ。それをアンタが俺の代わりに受けた。――この借りは必ず返すぜ、真田幸村」
 己は、奥州筆頭として。武将・伊達政宗として、己に蒼雷を奔らせて燃え広がる炎に対峙せねばならない。
 己の身を削り、己を血に染めて。戦場の砂塵に身を煽られながら、相手の首を獲る為に己の刃を掲げるのだ。
 だが、それは互いに最高の状態――BestConditionで為されるべきもの。
(――だから)
 政宗は、そっと幸村に身を寄せると血に濡れた瞼に唇を押し当てる。
 ぬるり、と滑る感触と鉄さびの臭いに顔を歪めながら、舌先でゆっくりと傷を辿る。
「……っ、政宗殿……!?」
「傷を舐めて治すのはキホンだろ?」
 突然の政宗の行動に幸村が声を上ずらせるのに、政宗は平然と言い返し、さらに「じっとしてろ」と命じる。
 雫のように垂れた血を舐め清め、傷を一通り丹念に舐めた後、政宗は自分の手拭いを取り出して傷に被せると、幸村の後頭部でぎゅっと縛った。
「あ、あの……」
 再び片目を覆われた幸村は、やはり慣れぬ単眼視に眉を下げながら政宗を見遣る。
 政宗は、乱れた幸村の髪を手櫛で軽く整えながら、ふっと笑みを浮かべた。
「――アンタのこの傷が癒えるまでは、好敵手も小休止だ」
 政宗と幸村は、好敵手であり――恋人である。
 だから、この傷が治るまでの間は。
「恋人のCareをするのは当然のことだよな?」
 愛しい相手を看て世話を焼く、ただの恋人に。
「……は……、え?」
 幸村は、ぽかんとした表情で政宗を見返した。
 咄嗟に意味が把握できなかったらしい。だが、じわじわ、と目元から頬、そして耳まで赤く染まっていくのを、政宗はどこか愉快な気分で見つめていた。
「あ、あの……っ、え、あの……!?」
 泡を食ったように言葉を詰まらせる幸村は、いつのまにやら武将としての顔を霧消させ、政宗の手から逃れようともがき出す。だがそれも、政宗が髪を撫でる手を後頭部に回して緩く引き寄せ、無傷の額に軽く唇を押し当て、可愛らしい音を立てる接吻を落とせば、羞恥の許容量を超えたらしく、ふしゅ、と小さな息を漏らして脱力する。
 腕に落ちてきた恋人を抱きすくめて、政宗は喉を震わせた。
「しっかり面倒みてやるよ。アンタが好きな団子も餅も、飯も作ってやる。アンタの傷が消えてその両目揃えて戦場に立てる、その時までな」
 だから早く治せ、と囁くと、幸村は熱くなった頬を冷ますかのように政宗の胸にぺたりと押しつけながら、こくこく、と頷いた。

    ◇    ◇    ◇


 幸村の若い治癒力と、佐助の忍び薬のおかげか、幸村の傷はそれから早々に癒えた。
 しかし佐助が感心するほどの早さには、それ以外の――政宗の看病という薬が何よりも効いたのだろう。
 なんせ、側付の佐助も小十郎も辟易とするほどの甘さだった。
 食事は手ずから与え――幸村は「手を怪我してるわけじゃないので自分で食べられます!」と必死に拒んだが、政宗は折れなかった――、手水から入浴まで面倒を見て――幸村は「怪我したのは顔でござる故、体は何ともないんでござる!」と必死に訴えたが、政宗は全く聞き入れなかった――、寝付くまでは添い寝を欠かさず――幸村は「幼子ではないのですから一人で寝られます!」と真っ赤になったが、政宗は勝手に自分の分の寝床を幸村の隣にくっつけた――とにかく四六時中離れることはなかった。
 このままでは身が持たない、と誰よりも危惧したのは幸村本人だろう。
 常に隣から、鈍感な幸村ですら判るほどの秋波を放つ美丈夫がいては、気が休まらない。
 政宗本人は非常に楽しそうに甘味や膳をこしらえるなどして世話を焼いていたが、幸村の傷が癒える頃、後の者はどことなくぐったりと疲労感を漂わせていた。


< 終 >




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本当に時間ばかりかかった連載で、お待たせした方には申し訳ありません。
特にリクエストをくださった黒須様、本当に申し訳ありませんでした。
リク内容の「幸村が政宗を庇って右目負傷、でシリアス&甘いお話」に合った話になったかは微妙ですが、もしよろしければお持ち帰りくださいませ……!

おつきあいありがとうございました!



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あきゅろす。
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