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意思伝達
 北関東視察からの帰り、用件が思いの他早く片づいたということもあって、単騎、遠回りして帰ることを他の者たちに許してもらった。
 為すべきこともなく、ただ心のままに馬を駆ける楽しみというのは、甲斐では仕事もあって――これでも上田の城主なのだ――なかなか味わえない。
 清々しい心地で汗をかいたころ、眼前に清水をたたえた泉が現れた。
 自分もそうだが、心を一つにして駆ける愛馬も喉が渇いただろう。太陽も高く、木陰で休むにはちょうど良さそうだ。
 泉のほとりで馬から降りると、馬は自ら泉へと向かい、案の定水を飲み始めた。
 その様子に小さく笑むと、自分もその隣に並び、手を泉へと差し入れる。
 山中の水は澄んで冷えており、気持ちよく喉を潤す。
 ついでとばかりに顔を洗い、顔をふいた手ぬぐいを泉の水で濡らして軽く絞ると、馬の首筋を拭いてやった。
 中天に至る日が照らすが、森の木々や泉からの風は涼やかで、耳に届く鳥のさえずりもさわやかな程だ。
「遠駆けには最適でござるな」
 くす、と笑うと、馬がぶるると鼻を鳴らして答えた。
「そなたも良い気分か? それはよかった」
 やわらかいたてがみを撫でてやると、馬は嬉しそうに顔を擦り寄せてくる。
 寄せられる好意の表現に微笑みながら撫でて答えると――背後から小さな嘶きが聞こえた。
(――!)
 山深いこの場所は一般の道から外れている。獣道に近い。地元の民が山菜取りや狩りに使う程度のものだ。
(近い)
 耳に届く蹄は一騎のもの。しかし、それは規則正しく力強い。
 この山道をそのように駆れる者などそうはいない。
 北関東――今は上杉領だ。元々は北条。そして北には。
「……――」
 近づく蹄に、息を詰めて馬にくくりつけた二槍に目をやる。武装はまだしない――敵と決まったわけではないのだ、下手に構えて事を起こすわけにはいかない。
 近づいてくる。
 この泉を目指すかのようだ。
(泉を知っている?)
 ならば地元の者か。いや、気配は――やはり、隠しようもない武人のそれ。
(――!!)
 強烈な衝動のようなものが背筋を駆け登る。
 覚えのある峻烈な、この、感覚は――

「Hey、Sweety! Waz up?」

 がさがさ、と鳴る茂みの草の葉音とともに、かけられるのは異国の言葉。
 思わず息を飲む。
(まさか)
 でも、この言葉の響きは。何よりこの覇気は。
 そしてそこにいたのは、ニヤリと口元をゆがめたように笑う、奥州筆頭だった。

 明らかにお互いの領地外でありながら、全く焦りも悪びれも無い様子は、さすがの胆力だ。
 そしてその異国語。
「……相変わらずでござるな」
「――Ha! そいつは何よりだな」
「いや、相変わらず、何を仰せなのか、意味がわからないでござるよ」
 自分の返答はどうやら相手の言葉に対応していたらしい。
 一瞬眉をあげてみせた男は、続けた自分の言葉に軽く瞬いた後に、やれやれと小さくため息をつきながら馬から下りた。馬の脇腹を軽くたたくと、馬は先に泉で水を飲む自分の馬に並ぶようにして、水を飲み始める。
 冑はしておらず、政宗はがりがり、と粗暴に黒髪を掻きながら、馬と同じようにこちらへと寄ってきた。
 覇気はそのまま。しかし、殺気は感じない。
 軽装なれども腰には特徴的な六爪。そこに、手が伸びる様子はない。
(………)
 こっそりと警戒を解いた。どうやら、ただの偶然の邂逅に過ぎず、争うつもりもないらしい。
「異国語の勉強でもしやがったのかと思ったぜ」
「政宗殿のお使いの言葉は聞き取ることすら敵いませぬ」
「Shit!」
「舌打ち、ならばわかり申す」
 相手の苦みばしった表情に、くすり、と小さく笑いをこぼす。
 異国語を使おうと、身振り手振りの表現ならば理解出来る。それに、これは恐らく政宗の口癖のようなものなのだろう。何度も耳にしているので、何となくわかるのだ。
「で? 真田幸村。おまえはこんなところで何をしているんだ?」
「遠駆けでござるよ。政宗殿こそ、何を?」
「同じだな。ただの、遠駆け、だ」
 わずかに目を眇めた笑みは、『遠駆け』という言い訳をお互いに嘘だと伝えている。
 ああ、表情でも“言葉”というのは通じるものだな、とわずかに苦いものを感じた。
 甲斐と奥州。武田と伊達。
 表立った対立関係ではなくとも、わずかばかりの内情も知られるわけにはいかない。
 ましてや、相手は国主。しかも隙を突いて相手を切り裂く冷酷なる独眼竜だ。
(言えるわけがない)
 万が一の時の為の北関東の視察。地形の把握。集落の有無や位置。北条や上杉や伊達への抜け道の調査--など。
 自分が目指すのは、敬愛する武田信玄の上洛。そのためにはいずれ奥州と事を構える日が来ることなどはわかっている。
 しかし、幸村個人は、別に伊達軍に憎しみもないし、人情味あるあの集団にはむしろ好意すら抱いている。
 そして、筆頭たる伊達政宗――
 好敵手としてお互いを認めあえる相手。
 刃を交わした時の高揚感は到底忘れえぬものであっても、そこには屠りたい程の憎しみなど全くない。
 しかし、自分が今やっていることは--奥州に仇なすこと。
(これが戦国の倣いとは言え――)
 政宗の顔が、見られない。
 ただ戦場で打ち合うだけの関係であれば良かったのに――。
 自分は武田の武将で。
 彼は奥州の国主で。
(相容れる事は――)
 唇を、こっそりと噛んだ。
 愚かだと思う。
 このようなことを考えるということは--自分の本心は。
(相容れたい、と)
 気付いてはいけない。これ以上考えてはいけない。
 見えてなかった本心が明け透けになってしまう。
 きっと、それは許されないこと。
 気付かなければ、見えなければいい。

「おう、どうした。えらく静かだな」
 普段の威勢はどうした、と揶揄するような笑いを含んだ声をかけられる。
 それで深くに落ちていた意識が呼び戻された。
「これは失礼した」
 人を前にして考えに耽るなど失礼極まりない。
 あわてて頭を下げる幸村に、政宗はふん、と鼻を鳴らした。
「らしくないぜ、真田幸村。おまえのことだ、てっきり『ここで見えたが百年目、ぜひ手合わせを!!』とでもやかましく仕掛けてくるかと思ったのにな?」
 隻眼を眇めてこちらを見やる視線はやはり鋭い。
 幸村はあわててかぶりを振って目線を外した。
「あ、いえ……そんな、戦場でもござらぬのに……」
 あの鋭い隻眼に射ぬかれてはこの胸の内がばれてしまいそうだ。
 政宗の目がいっそう細められ、鋭さが増した。
「何故目をそらす」
「……それは」
「俺はおまえの目が気に入ってんだが?」
「目……?」
 思いがけない言葉に、幸村は目を瞬いた。
 目?
「ああ。おまえのゆらぎのない強い目だ」
 目の前の、誰よりも強い眼差しをもつ男が力を込めて頷いた。
「戦場でもどこでも、おまえはいつも真っ直ぐに俺を見る。遠くからでも一筋の閃光のように俺を射抜こうとするその目」
 政宗が小手を外した。六爪をあやつる手は素手であってもがっしりとして大きい。
 その手がゆっくりとあがり、幸村の目へと伸ばされる。
 動けなかった。
 目は急所。わかっている。しかし。
 竜の、目が。
 光の具合だろう、金にも見えるその目が幸村の動きを封じる。
 『独眼竜』の名の通り、彼の目は左のそれ一つだ。
 しかし、それがなんだというのか。
 自分を射すくめるほどの覇気を宿したこの眼差し。
 目は人の心を映す鏡のようなものだ。
 ならば、この感じる覇気は政宗の心そのもの。
 その覇気に導かれるように、己の心も高ぶり、たぎる。
 負けたくない。勝ちたい。対等でありたいと。
 (それなら)
 政宗をまっすぐに見られないなど、その時点で好敵手ではない。
(いやだ)
 好敵手でありたいと望み、そうだと政宗に認められたこの場所。
 どうして手放すことができようか!
 顔をあげた。
 自分の正面ですら独眼竜は泰然として立つ。
 王者の風格。
 生まれながらの覇王。
 その男が唯一の隻眼で己を見つめている。
(戦場のようだ)
 川のせせらぎ、木々のざわめきは喧噪とはかけはなれているのに、政宗の視線は戦場で相対峙するときと同じ、自分のみへと向かっている。
 戦場ではないのに。
 それでも、そうであっても、この男は自分を「好敵手」とみてくれるのか。
 敵国の、奥州筆頭の政宗と一武将の己では大きな隔たりがある。
 しかし「好敵手」なれば、それは、同等で。
「俺を見ていろ、真田幸村」
 政宗の人差し指が、目尻にわずかに触れる。羽毛のようにかすかな感触で、そっと目頭へと下瞼をなぞり、ゆっくりと離れていく。
 政宗の指が視界に入る。
 美しい指をしている、と思った。
 節くれて、剣だこでところどころ固くなっている指。六爪を握り、戦場に雷光をもたすその猛々しい手。
 しかし、とても美しかった。
 離れるその手を追い、触れたのは無意識だった。
「某は…貴公に見合う男になりたい」
 すとん、と落ちた自分の呟きに、自分が納得した。
(ああ、そうか)
 相容れてはならぬと思ったのは、己の弱さだ。
 相手の強さ、大きさに怯えたのだ。
 だが、その相手が、己を認めてくれているのならば。
(もっと)
 強くならねばならない。
 先ほどの、心の靄が、胸に宿った熱にあぶられて徐々に晴れていく。。
 彼の、伊達政宗の、真に好敵手でありたいのならば、戦いの技量だけでは足りない。
 心のあり様も、気持ちの強さも、もっと鍛えなければならない。
 まっすぐに……求められたからではなく、心の命じるままに、自分の中の熱情を、眼差しに、そして言葉にのせて。
(通じればいい)
 胸の内の熱を、伝えたくて。
 取った手に、己の頬を押し当てる。
 冷えた政宗の手は、とても心地よかった。
 視線の先で、驚くように目を見開いた政宗が、やがて、ニヤリと笑った。
「熱烈だな」
 揶揄する口調に、はっとした。
 ――何をしているんだ、俺は!
 政宗の手を、自分の頬に。
「もも、申し訳ござらぬ!」
「やわらけえな。団子ばっかり食ってるから、おまえの顔まで餅みてえじゃねえか」
 手をぱっと離したものの、今度は政宗が、ふにふに、と頬をおさえて楽しそうに笑う。
「やめてくだされっ」
 羞恥に顔を染めて身をよじって逃げようとする幸村を、政宗はおかしそうに見やり、そしてその手をするりとあてがう。
「……たまんねえな」
 その目がわずかに細められた、と思った時には、もう片方の頬に、やわらかい感触が押し当てられていた。
「……え、」
「いちいち予想外なんだよ、アンタ」
 笑み含んだ口調のささやきが耳元に落とされ、熱と、一緒に離れる。
(今のは、)
 ……なんだ?
 柔らかく、少し、濡れたような。声が、やけに近くて。
 ――熱かったのは。
 呆然と瞬く幸村に、感触の残る頬を手の甲で軽くはたいて政宗が離れる。
「名残惜しいが、そろそろ急がねえと日暮れまでに米沢に戻れねえ。小十郎に怒鳴られるのもごめんだからな、俺はそろそろ行くぜ」
 ピュイ、と高い口笛に、離れたところにいた馬がぴくりと反応して政宗の元へと寄る。
 ひらり、とその背に跨った政宗は、幸村を見下ろして、好戦的に笑んだ。
「次はまた戦場だな。今日の分も気合い入れてかかってこいよ?」
 己たちが思い切りやり合えるのは、やはり戦場。
 視線を受けて、幸村は深く頷く。
「精進を重ねてまいりましょうぞ。政宗殿こそゆめゆめご油断なさいますな!」
「Ha! おまえ相手に手抜きなんざもったいなくてできるかよ!」
 会話の応酬すら心地よい緊張感を生む。
 この緊張感が最高に高まる戦場の予感に胸のたぎりを覚えた時、馬上から「Hey、幸村」と声がかけられた。
 なに、と見やると、政宗は、馬上で組んだ腕を解いた。
 立てた人差し指と中指を己の唇にあてがって。
「、」
 ささやきと共にはじくように、その二本指を己へと向ける。
「な、………」
 わずかな、なにか、水音のようなものが聞こえたような気がした。
 それが無性に胸の中をざわめかせる。
 その行為がどういう意味を持つものかは知らない。
 だが、思わず叫んでいた。
「破廉恥なああ!!!」
 顔が真っ赤になった幸村を見た政宗は高らかに声をあげて笑い、愛馬を北へと向けて手綱を思い切り引き絞る。
「政宗殿!」
「じゃあな、幸村! See you!」
 ひらりと手を振った政宗はあっと言う間に木々に隠れていく。
 蹄の音も消え去った時、幸村は思わずその場に座り込んで頭を抱えた。 
「政宗殿の考えておられることはわからぬ……」
 “しっと”は舌打ち。
 “しーゆー”と手を振られたのは、きっと別れの挨拶だろう。
 なら、あの、指のしぐさと共に送られたあの言葉の意味は?

「だから、某、異国語は判り申さぬと……」
 ちらちらと脳裏をよぎる、言葉と共に示された二本指と唇。 
 妙に艶めかしいあのしぐさが、言葉の意味ならば。
「……なんなのでござる……!」
 あのとき、矢で討たれたような衝撃を感じたこの感覚は正しいのだろうか。。
 顔だけではなくて熱が全身に行き渡り、胸が激しく脈打つのを止められない。
 わからない。
 わからないけれど。
 あれを不快に思えない自分こそがもしかしたら破廉恥なのかと、幸村はしばらくその場から頭を抱えて動けなかった。 




――
ミニブログでお見かけした挨拶を、筆頭にしていただきたかった、ただそれだけのはずが、ずらずらと長くなり、気付けば書き上げるまで半年近くかかった話です。
だから前半と後半でテンションが違うのです(笑)

※「Hey、Sweety! Waz up?」
→Hey,Sweetheart! What'up?
(よう真田幸村、元気か?)
(スイートハートは真田幸村と訳してもいいと思う)

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あきゅろす。
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