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白粉花

 道すがら、こんもりとした緑の群れの前で、ふと政宗が足を止めたので一歩先んじた幸村は振り返らざるをえなかった。
「政宗殿?」
 政宗の目は群生した濃い緑の葉の茂みに赤紫の可憐な花を付けたそれに注がれている。
「……白粉花でござるな」
 花の名などろくに知らない幸村でも知るそれは、夕方の涼しさに導かれるように花開き、柔らかな香りを漂わせていた。
「……なんでもねえよ」
 小さく答えた政宗は、花に手を伸ばした幸村ごと、花に背を向けた。
(……Shit)
 甘ったるい匂いが鼻につく。
 いや、いっそもっと香料を振り塗したような匂いなら良かったのだ。
 商売女が使う白粉のような匂いならば、気になどならなかったのに。
 ――兄上! ほら、白粉ですよ!
 白粉花の黒い種を潰して中の白い粉が白粉なのだと誰かから聞いた。
 実はそれは只の子供のおままごとでしかなく、実際に使われるものとは違うものだと後から知ったのだけど、その時の自分は幼くて、弟と同じくらいに何も知らなくて。
 ――竺丸、いっぱい取って母上に差し上げようぜ!
 ――はい!
 大きく成長した花の茂みにまるで埋もれるようになりながらもいくつもの種を集める弟と、その種を割り、粉を取り出す己。
 両手が白く粉まみれになりながらも、漂う優しい香りが彼の人を飾ってくれるのだと信じて疑わず、少しずつしか取れない粉を懸命に集めた。
 ――兄上、兄上!
 きゃらきゃらと笑う弟の声。
 ――もう冷えますぞ、お二人ともそのへんで……。
 夢中になる自分たちを困ったように見下ろす小十郎。
 そして濡れ縁でそれを眺めていた両親。
 香りも、声も、思い出せるのに。
 ――笑顔だけは、思い出せない。
(あたりまえだ)
 それを壊したのは、この右目と――己自身なのだから。
 一瞬虚無に落ちそうになった意識をふと現に引き戻したのは、鼻先に感じた青臭さだった。
 ときおり、がさり、と音をたてる背後の白粉花。
 幸村が何かしているのか、と振り返り――思わず絶句した。
 視線の先で、幸村は、口から花を咲かせていた。
「む?」
 花の顎の部分をくわえ込んだまま、きょとり、と瞬く表情はあまりに気が抜けており、そこまでの物思いすら、ぽん、と空に弾けてかき消えてしまう。
 ちゅい、と小さな音をさせてから花から口を離した幸村は無邪気に笑ってきた。
「白粉花には蜜がございますぞ! 当たり外れはございますが、なかなかに美味でござる!」
 はい!と差し出された濃紅の花。
 ――はい、兄上!
 黒い種を載せた、ずっとずっと小さく柔らかそうな手の記憶に、鍛えた男の掌とそれに不似合いな可憐な花が重なる。
 伸ばした指が取ったのは、幻の種ではなく現の花。
 ぷちり、と新たに花を千切った幸村は、付け根をさらに千切ってそれをくわえた。それを真似てくわえてみる。
 口の中に広がるのは、予想した甘味とは全くかけ離れた草の苦味。
(ハズレ、か)
 だがその草の匂いの向こうに甘い花の香りがする。
 かすかなその香りは、おぼろげになった記憶のようで。笑顔を思い出せないのと同じように肝心の味はなく。
 しかし。
「蜜はございましたか?」
 この身傍には、本物の笑顔がある。
「……Ah……ハズレだな」
 花を口から外して投げ捨てると、花はくるくると回りながら散り落ちて、それまでに幸村が捨てた花達にそれは風に吹かれてころころ転がっていき、あっという間に紛れてわからなくなる。
「それは残念でございましたな」
 他の花ならどうでござろうか、と再び花に伸びた幸村の手を掴む。
「政宗殿?」
 振り返り仰ぎ見てくる幸村の大きな茶色い瞳はきらきらとした生命力の躍動。
(ここにいる)
 手の中で感じるどくりどくりという脈音。何よりも確かな現の存在。
(ああ、そうだ)
 どれだけ過去に囚われようと時間は過ぎていく。今己が在るのは色褪せた悔恨の世界ではなく。
 葉の緑。花の赤紫。そして何より鮮やかな紅。
 色彩あふれたこの世界に居るのだ。
「……政宗殿? どうなさいました?」
 気遣わしげな表情を浮かべた瞳が見つめてくる。
 何でもない、と言うのはこの目の前ではごまかしにもならないだろう。だが、胸の内をどう伝えたらいいのか判らない。
 だから、その痩身を引き寄せて腕の中に包むしかなかった。
「政宗殿?」
 驚いたような声をあげながらも、唐突の抱擁に幸村は暴れることも逃げることもせず腕の中に収まり――何を思ったのか、背を柔くぽんぽんと撫でる優しさで叩いてくる。
「……ガキか、俺は」
 稚い子をあやすかのような、その仕草。懐かしさすら覚えるそれは、誰に為されたものだったか。
「……泣き出しそうな幼子のようなお顔をなさって、何をおっしゃる」
 恥ずかしさを誤魔化すのに毒づくと、幸村の肩に顔を伏せているのだからこの顔は見えていないはずなのに苦笑と共にそんな返しを向けられる。
 しかし、その声も、手も、あまりに優しかったから。
(ああ、ガキなんだよ)
 認めざるをえない。
 未だ過去に囚われてしまう心の弱さ。
 ――しかし、きっとそれもいつか乗り越えていけるだろう。
 この、ぬくもりさえあれば、失ったものを取り戻して心を埋めることが出来るだろう。

 日が暮れ、しん、と冷えた空気が身傍にせまる。
 もう本格的に秋になる。
 夏の名残の白粉花が、そよそよと秋風に揺れた。 



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拍手お礼文を書こうとしていたのですが、気づけば長くなってしまったので短文置き場に。
元々は「蜜を舐めようとしたら外れてやーいやーい」だったんですが……どうしてこうなったんだろう……。

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