2−14
side:東山
俺が連れ込んだセックスの相手とはち合わせしても、市ヶ谷の視線は変わらなかった。
俺が睨んでも、あざけ笑っても、何も変わらない視線。
まるで俺を空気だと思っているような。
俺は市ヶ谷に両親をダブらせ、その存在にひどく恐怖を覚えた。
だめだ。
コイツは俺をダメにする。
忘れてた何かを、コイツは俺につきつけてくる。
すぐさま、部屋から追い出さなければ。
市ヶ谷と目が合った一瞬でそう、考えた。
視線が交じった、その一瞬に何があったのだろうか。
俺にはわからない。
けれど、何かあったに違いないのだ。
市ヶ谷の視線が、変わった。
市ヶ谷の目に色が宿る。
一重の瞳が大きく瞬いて、俺を、見た。
それから、俺に対する市ヶ谷の態度が変わった。
俺をちゃんと認識しながらも、けれど、決して近づいては来ない。
朝、顔を合わせれば「おはよう」と言葉を投げかけられ、夕方部屋に戻ってくれば「お帰り」と。
俺が返事をしなくても全く態度は変わらず、何気なく放り投げられる言葉。
そのあまりの何気なさに、俺はそれを上手く受け取れたことがない。
挨拶なんて知らなかった。
お帰り、なんて言葉、受け取ったことがなかったから。
俺は、それらの受け取り方を、知らない。
ある時、俺は市ヶ谷の作った料理を無断で食べてしまった。
肉じゃがだったような気がする。
余りにも空腹で、けれど外に出かける気力もなく、けれど自分の食料の買い置きもなくて。
冷蔵庫をのぞき込むと、いつの間にかそこは酷く生活感のあふれる場所になっていた。
俺は物珍しくて、つい、色々なものを手にとって眺めた。
母親は料理を全くしなかったし、自分の家の冷蔵庫なんて、酒とつまみぐらいしか入っていなかったのだ。
そんなとき、タッパに入った料理を見つけて、自分の空腹を思い出し。
そして何故か俺は、その中身を口に入れてしまっていた。
正直美味しかった。
だから自分がしたことに気がついたのは、完食してしまった後のことだ。
ああ、マズイことをした、と思った。
別に市ヶ谷に文句を言われようが、嫌われようが、笑われようが、それは腹は立っても、どうでもいいことだと思っているのに。
ただ、マズイことをした、と。
けれど、市ヶ谷が俺に向けてきたのは。
うれしそうな笑み、だけで。
言葉も「そっか」という、一言だけ。
俺はまた、その言葉を受け取れなかった。
手料理というものをを自主的に食べたのも初めてだし、そんな、うれしそうな笑顔を向けられたのも初めてだったから。
別に俺はなにもしていないのに。
寧ろ、文句は言われることはあっても、嬉しがられることはなにもしていないのに。
市ヶ谷は、ヘン、だ。
だから俺は混乱する。
そして、だからこそ何もできない。
またあの透明な視線で見られると思うと、ヒヤリと背筋が冷たくなる。
けれど、なにがあの視線を断ち切ったのか。どうすれば、あの視線を受けなくて済むのか。
なにもかも、俺には分からない。
離れた方がいい、と。
遠ざけた方がいい、と俺のどこかがささやく。
けれど。
市ヶ谷の持つ、生ぬるいお湯のような温度は、嫌いじゃ、ないんだ。
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