一輪の花(クリード)*

顔に張り付く髪が煩わしくて仕方ない。クリードはもう何度目かわからない舌打ちをしてからぽたぽたと滴の垂れる前髪をかきあげた。
顔の前を手が通る瞬間、一瞬だけ鉄臭いにおいがした。目の前に手を広げて裏表と返して見ると、爪の中で赤黒く血が固まっていた。無論自分の血ではない。さっきの任務か?それとも昨日の?いやそれとも…。

(…馬鹿らしい。)


そんなこと考えている暇、僕にはない。無駄な時間だ。

雨に打たれて爪の中身が流れるように手を差し出してみたが、赤黒さは固まっていてそう簡単には落ちなかった。








「クリード=ディスケンス、」

先日、任務を受けてターゲットのいるジパングに向かおうとしていた時だった。額にTの刺青を入れた金髪の女に呼び止められたのだ。僕はこの女が嫌いだった。この女は表面上では笑っているのに内面では全く笑っていない冷たい人間だ。僕はこの笑顔をよく知っている。昔、母親とも呼んでいたあの女が男の前でしていた顔だった。ヘラヘラ、ヘラヘラ笑って、気持ち悪い。

「…長老からの言伝です。”任務内容とは無関係の人間まで殺すな”。…逆らわないほうがあなたのためです。」

そう言った女は澄ました顔してこっちを見ていた。機械的に言われた言葉。僕は機械だったのかと錯覚に陥る。
いいや違う。こいつはゴミだ。僕こそが正しい人間なのだ。この女も長老も他のそこらにいる奴ら全員ゴミなのだ!なのにこの物言い。ああ腹が立つ。
その気分のまま任務に赴き、イライラを解消するかのようにそこらへんにいたゴミ全員を駆除した。それでも全然気分は晴れない。おまけに突然の雨。なんなんだジパングのこの天気は。夏だっていうのにカラッとした暑さはなく、じめじめとした湿っぽい暑さばかりでまったく晴れない。ジパングでの残りの任務はあと二つ。さっさと終わらして自宅へ帰りたい。

血の臭いの取れない手をそのままに雨に打たれながら独り歩く。


「あの、」

顔を上げるとそこには女がいた。透明なビニール傘を差した女が僕のことを見つめていたのだ。

関係ない。僕はそのまま通り過ぎた。ぽたぽたと前髪から垂れる滴。頭皮に当たる雨に寒さを覚えてきた。


「あの!」

ふわ、と雨がやんだと思ったらほんの少し暗くなった視界と大きな声。影の方向を見ると先ほどの女がいた。今度は僕に傘を傾けてだ。

「風邪…ひいちゃいますよ?」

「……。」

「お兄さん、どっちの方向に行かれるんですか?」

「……。」

「海外から来られたんですか?綺麗な銀色の髪してらっしゃいますけど…。」

そう言う女の髪と目は黒かった。ああそうかジパングの人間は黒髪黒目だったな。

「え、えと、あの、私、その、よかったらお兄さんのこと送っていきますよ。暇ですし!」

「……。」

「あっれー?言葉通じてないのかなぁ…?ええっと、アイルテイクユー?」

「……。」

「えっ?だめ?じゃあ、えっとウォー」

「…通じてる。」

「わ!びっくりしたあ!」

「……。」

「なんだお兄さん、日本語普通に話せるんじゃないですか。」

にかりと歯を見せて笑った彼女に不思議と嫌な感じはしなかった。作られた笑みじゃないことぐらい、感覚の鈍い僕にだってわかる。でも今の僕は機嫌がすこぶる悪かった。さっきの奴らみたいに切り捨ててやろうか。若い女だから比較的切りやすいし、刃が柔らかい肉を滑る瞬間は快感と言ってもいいくらいだ。


「で、お兄さん。どこですか?」


相変わらず、腕を伸ばし精一杯僕の頭上に傘を差す女に敵対心向きだしの目を向けようとした瞬間にふと考える。

そうだ。たまには殺し方を変えてみてもいいかもしれない。少しくらい暇潰しに話をしてやって、それからいたぶるのも悪くないだろう。
口角が上がった。



「すまない。この先にある……」

僕は行き先を告げた。
嘘をついて人気のないところに行けば良かったものを、何故かバカ正直に宿泊している場所を答えてしまった口。まあ良い。確かあそこも人気は少ない。十分だ。


「あ、そうだ。お兄さんこれどうぞ。」


差し出された白いタオルハンカチに何のことだと目で訴えると女は、

「拭かないと風邪引きますよ。」

そう言って僕の頬に触れたのだ。

女が、僕の、頬に、触れた、のだ。

僕は咄嗟に彼女の手首を掴んだ。久しぶりに触れた人間の肌は雨のせいなのか冷たかった。いきなり力強く腕を掴まれた彼女はびくりと震えて傘を落とす。けらけらと笑うように傘がコンクリートの地面を引っ掻いた。


「……。」

「……あ、の…。」


困ったように声を出して掴まれた手首と転がった傘をちらちらと見る女。僕は彼女の目を見た。深い黒だった。

「……。」

それでも僕は言葉を発せなかった。人に触れたのなんて久しぶりで体温を感じたのも、握る手の下で彼女の血液が脈打ってるのも、僕にとっては言葉で表せないものであった。恐怖、感嘆、驚愕、歓喜…ああもうどれだ、わからない。けれど不快ではない。彼女はゴミの中の1つであるはずなのに、蔑むべき対象であるはずなのに、不快ではなかった。不快ではなかったのだ。


「あの、お兄さん、傘…濡れちゃいます…。」


控えめに言った彼女を僕はじろりと睨み付けた。
彼女は少し怯えたように一歩引く。けれど腕は僕に掴まれたままだ。雨に濡れていく彼女と僕。どくどくと脈打つ手首。空いた方の手で滴を足らす彼女の前髪を分けた。

そうだ、気分を変えてみればいい。何も殺すことはない。そうだ、少しくらい暇潰し相手として話すのも悪くない。そうだ。


「名前は?」

唐突に問われた彼女は動揺する。その慌てぶりを見るのも何だか楽しかった。ゴミ殺しとはまた違う感覚。

「…なまえです。」

ためらいがちに言った彼女の名前を反芻する。彼女の腕を掴んだまま僕は落ちた傘を拾うと、それを差して彼女の手を引いた。

「あ、あの、どこに…?」

「送ってくれるんだろう?」

今日初めて笑みを浮かべてそう言うと、彼女は僕に引かれるがままに歩き出した。傘の下には雨音が響く。左手には彼女の体温。右手には傘。そして傍には、



「…お兄さんのお名前は?」





頬が緩んだのがわかった。





真っ暗な世界に咲く

一 輪 の




20100716


相互して下さったHikari様に捧げます。ごめんなさい甘くないですね。梅雨の間に書き上げるつもりが梅雨が…あけて…しまっ、た……orz申し訳ない。しかもなんだかクリードが誘拐犯。

書きながら思ったけど、黒猫の世界って言語は共通で英語なのだろうか…?



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