願わくば、(トレイン)


真っ黒なスーツ。真っ黒なネクタイ。そして視界を暗くするサングラス。ヒールをカツカツ響かせながら私は彼の元へ向かう。これでここに来るのは三度目。

彼の部屋の前に来ると大きく深呼吸をする。そしてもったいぶったようにドアをノックするのだ。
しばらくすると開かれる扉。よかった。ノックが聞こえて。呼び鈴がないと本当に不便で困る。どうして彼はこのような古いアパートに住んでいるのだろうか。毎回任務終了の度、桁違いの数がかかれた小切手をもらっているのに。…いけない。仕事中だった。雑念を払い意識を前に向ける。
何の用だ、と不機嫌そうに彼が私を見つめていた。


「g]V、朝早く申し訳ありません。至急、支度を願います」

「またかよ…わかった。ちょっと待ってろ」



バタン。閉じられる扉。聞こえた溜め息が妙に耳に残る。
またかよ、と彼は言った。そう。私が彼のところに遣わされるのは緊急時のみ。前回も、前々回もそうだったのだ。
またかよ、と言うくらいなら顔ぐらい覚えてくれれば良いのに。そうすれば彼はドアを開いた時に「ああ、また緊急か」とでも思えるだろうに。…彼は人と関わるのを極端に避けているから仕方ないか。他の人間に対してもきっとこうなのだろう。

再び扉から出てきた彼は真っ黒なコートに身を包んでいた。これが彼の仕事着なのだ。私と同じ黒。


「で、どこに行きゃいいんだ?」

「本日は私がお送り致します」


そう言って愛車のキーを見せると彼は一瞬間の抜けた顔をしてから私の後を付いてきてくれた。




「あ、トレイン君!」


何だ。この女は。馴れ馴れしい。g]Vをファーストネーム呼びだなんて。その上、格好が奇怪だ。(確か東洋の民族衣装だったような…)

「、サヤ!なんだ、仕事帰りか?」


(、え……?)

なぜ?g]Vは無口なはず。g]Vは感情が乏しいはず。前回会った時も、前々回の時も彼は酷く人間らしい感情に欠けていた。なのに。なのに。

(こんな表情もするのか…?)

見たのは未だ嘗て見たことのないような彼の人間らしい表情だった。
…!そうか。だから彼はここに住んでいるのだ。疑問にようやく答えが出たのに何故か更に霞みがかる胸の中。


「そうなんス!それがさぁ、またデマだったらしくて行き損!って感じになっちゃってさ」

「…また騙されたのかよ、お前も学習しねェな」

「なっ何おう!」

「…g]V、」

私は見ていられなかった。聞いていられなかった。彼の人間らしい様を。


「あ…お仕事…ッスよね?」

はは、すいません。と頭を下げた彼女。私はそれに何も返すことが出来ずいつも通りヒールを鳴らして歩き出した。
背中で「いってらっしゃい」と「ああ」の声が聞こえる。キーを握ったままの右手が妙に汗ばむ。
近づいてきた彼の足音に胸が潰されそうだった。



彼を変えるのは私でありたかった


なんて途方もない願いだったのだろう


20090713






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