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小説という名の日記C(栞機能無し)
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よろめきながらも前へと足を進めていく。
手に掴んだタオルで隠している腹部。
痛ぇ、と声に出してみれば、自分の声さえも身体に響いて。
何だか全身が痺れているみたいだ。

腹部に刺さった儘の包丁。
結局、貴宏は気付いてくれなかった。
怖がらせないように咄嗟にタオルで隠したのは紘弥自身。
不安にさせないように激痛を堪えたのも紘弥自身。
だけど少しは気付いて欲しかった気もする。
父親でなく紘弥を見て欲しかった。



だけどこうなるまでは、貴宏も紘弥の幸せを願ってくれていた筈で。
幼い頃、父親の暴力から紘弥を守ってくれたように、紘弥も貴宏を父親から守りたかった。
貴宏を苦しめるものから守ってあげたかった。

今となってはそれが徒となった訳だけど。
それにしても、もうこれ以上悲しませたくないと行動した結果がこれか。
紘弥の唇が自嘲の弧を描く。



もうこれ以上は動けそうもなかった。
そろそろいいかと、最後の気力を振り絞り、自身の腹部から包丁を引き抜く。
痺れていても引き裂かれる程の痛みに力が抜けそうになる。
だけど貴宏に必要なのは紘弥じゃない。

貴宏があの家に留まったのは、捨てないでと縋った紘弥の為ではなかった。
父親が貴宏をあの家に留めていた。
だったらもうあの家には戻れない。



夕暮れの西空は何時もと同じ色。
それなのに何処か違って見えるのは、ぼんやりと霞む視界の所為か。
このまま吸い込まれそうな朱が目に映る。

遠くから近付いてくるサイレン。
もう一つの朱が光っている。
救急車が向かっている方角にあるのは、父親の居るあの家。
果たして間に合うだろうか。
それとも疾くに力尽きただろうか。
父親の為じゃない、貴宏の為に間に合ってくれと願う。
父親を愛している貴宏の為に、あの救急車が間に合えばいい。

腹部から溢れ出した朱が地面に染み込んでいく。
壁に凭れながら座り込んだ地面の色。
朱というには黒すぎる。

どうせもう動けやしないのなら、このまま空に溶けていけばいい。
あの綺麗な朱が、この身体を吸い込んでくれればいい。
最後に夕焼けを眺めて、紘弥はゆっくりと目を閉じた。

















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あきゅろす。
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