小説という名の日記B(栞機能無し)
28
家が見えた途端に駆け出した。
予定より遅くなった。
大丈夫だろうか。
何もなかっただろうか。
今し方まで考えていた事が全部吹き飛んで、父親のことだけが頭の中を支配する。
扉を開けて靴を見て、急いで着替えて駆け下りた。
リビングを確認し、父親の部屋を確認し、最後に息を吸って倖乃の部屋の扉を開ける。
開けた瞬間、柚季は一瞬呼吸を忘れた。
散らかった部屋の中。
目の前の惨状。
ドレッサーの椅子は倒れ、箪笥から服が飛び出している。
砕け散ったドレッサーの鏡。
鏡の破片と共に床に転がっている時間を止めた目覚まし時計。
裕隆がベッドの縁に腰掛けていた。
項垂れる父親に静かに近付いて、柚季はその前に膝を突いた。
父親の膝に両手を置いてそっと顔を覗き込む。
「父さん、遅くなってごめんね」
ユキ?と虚ろな視線が焦点を結んだ。
そうだよ、会いたくて急いで帰ってきたんだ。
父親の手が両頬を包んだ。
唇が近付いてくる。
それに柚季は自ら唇を寄せた。
ユキ、倖乃。一人で出掛けちゃ駄目だろ。
心配したじゃないか。
うん、ごめんね。
心配かけたね。
大丈夫だよ、大丈夫。
ずっと傍に居るから。
頬から父親の手を放し、掌を見詰める。
こびりついた血液。
幾つもの切り傷。
皮膚に食い込んだ破片が光っている。
「手当てしよっか」
其処に座って待ってて。
父親に告げ救急箱を取りに行った。
手当ての間、裕隆は大人しくしていた。
ピンセットで破片を抜き血を拭き取る。
消毒液を垂らせば、微かに眉を顰めていた。
「痛い?」
「痛くないよ。倖乃が手当てしてくれるから痛くない」
子供のように甘えた声が部屋の惨状に似合わない。
散らばった服も鏡の破片も、父親の目には映ってない。
武骨な手に白い包帯が痛々しかった。
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