小説という名の日記A(栞機能無し)
1
梅雨入りしたその日、僕に同居人が出来た。
灰色の雲が降らす雨が、地面を隈無く濡らす。
傘無しでは濡れ鼠になるくらいの土砂降りの雨。
雨を避けるように軒下で蹲る彼を見つけた。
この雨の中、傘を差さずに出歩く人は居ない。
けれど彼は傘を持っていなかった。
そして彼の全身はずぶ濡れだった。
どうしたんですか?
気分でも悪いんですか?
問い掛ける僕に、彼は「分からない」と首を振った。
分からない。
何も分からないんだ。
そう呟いて途方にくれる彼は、記憶喪失だった。
自分の名前が思い出せない。
自分が誰か分からない。
気が付いたら雨が降っていた。
どうしていいか分からなかったから、取り敢えず歩いてみた。
それでも分からなくて、動きようがなくなった。
だから仕方なく、此処で雨が止むのを待っている。
彼は小さくはない。
それなのに何故か子犬に見えた。
僕より大きいのに、捨てられた子犬に見えた。
だから僕は彼を拾った。
安アパートの一人暮らし。
一人増えたところで、何の問題もない。
僕は彼に名前を付けた。
思い付いたのは、ツユとハレ。
梅雨に拾ったから、ツユ。
単純だけど、ネーミングセンスがないから仕方ない。
だけど、雨が降れば人は晴れを願うもの。
彼にはツユよりハレが良いような気もする。
だからハレも候補に挙げた。
やっぱりハレにしようか。
そう提案すると、彼は暫く考え込んで首を振る。
雨が降っていたから利久と出会えた。
そう言って、彼はツユがいいと満足げに頷いた。
こうして僕とツユの同居生活は始まった。
僕は彼をツユと呼ぶ。
彼は僕を利久と呼ぶ。
ツユに名前を呼ばれると擽ったくなる。
僕は家族以外に名前を呼ばれたことがない。
持田、と学生時代も名字で呼ばれていた。
だからツユが僕の名を呼ぶその響きに、特別な感覚が生まれた。
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