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海の底/柳蓮二

日中あれほど活発に動いていた脳が、次第にその動きを緩慢なものにしていく。おぼろ気に頭に浮かんでくるのは、とりとめもない感情や、支離滅裂な景色、そしてななしの顔。


まるで脳がぷかぷかと浮いているような(実際に浮いているが)心地よい浮遊感に、身体を支配される。


こうなると、重力など関係なくなったかのように、全身がふわりと空に浮かんでいくような、肉体から魂が抜け出すような錯覚を覚える。


否、空に浮かんでいくというよりもむしろ、海の底へ沈んでいくと言った方が正しいのかもしれない。やはり重力によって束縛されている人間の身体は、沈む事しか出来ないのだろう。


現に、汗ばむ程度とはいえないほどの大量の汗にまみれた自分の腕や足は、鉛でも埋め込まれたかのように、ずしりと重く感じる。その先の末端部分などは、到底動かせそうにない。


しばし浅い呼吸を繰り返し、ふと仰向けになった自分の上に倒れ込むななしを見る。


互いに汗でぬめる肌を密着させているはずなのに、こんなにも心地よいのは何故なのだろうか。自分の胸元に伏せられたななしの頭を撫でてやりたいが、それさえも億劫に感じてしまう。


情事に疲れて眠る姿も、のし掛かる全体重も、すべてが愛しくて仕方がない。この状況を手放したくなくて、ずっと動けないでいる自分はただの阿呆だ。


もちろん、襲いかかる睡魔のせいという事もある。いくら普段閉じている瞳でも、この状態で閉じてしまえば確実に眠ってしまうだろう。ぼんやりと天井を見つめながら、目を開いておく。


あとどれくらい、この幸せな時間を堪能出来るだろうか、と癖になってしまった計算で時間を弾き出してみる。それでも、半分寝てしまっているような頭で出した答えが、正確であるはずもなく。


存外早く意識が無くなるだろう、と心の中で呟く。もう唇を動かすのも、声帯を震わせるのも面倒くさい。


まばたきの回数も、明らかに先ほどより多くなってきた。目を閉じてしまいたい。この甘美な誘惑に、ほだされてしまいそうだ。


射精を終えて満足したのか、自身はすっかり萎えてしまったようで。装着された避妊具を外さなければならないのに、やはりそれも面倒くさい。


汗をかいたまま全裸で寝てしまえば、計算などしなくても、風邪を引いてしまうことは容易に想像出来る。部活のハードな練習を考えると、風邪など引いていてはいられない。


そう分かっていても、どうして自分の瞼は降りてくるのか。


静かな部屋に響くななしの寝息と、カチカチと規則正しい秒針の音。素肌に触れるななしの身体に、柔らかなシーツ。すべてが「眠ってしまえ」と囁いている。いや、これはすでに強制していると言って良い。


海面に浮かんでいた自分の身体が、ずぶりと海の中へ引きずり込まれたのが分かった。海底までのわずかな時間を、無力な自分はただゆっくりと落ちていくしかない。


いつの間に目を閉じていたのだろう。そういえば、視界が真っ暗だった。


なんて、気持ちの良い時間なんだろうか。先ほどのななしとの情事も気持ち良かったが、これはまた違った気持ち良さがある。一種の快楽と言っても良い。


しいて言うなら前者は動の快楽、後者は静の快楽といったところか。まぁ性欲も睡眠欲も、本能的欲求という点では同じくくりなのだから当たり前か。


そこまで考えて、なんてくだらない答えを出したんだ、と思わず笑ってしまう。もちろん表面に出すことなく、心の中でという意味だが。


やはり散漫する頭で考え事は良くない。なまじ普段頭を働かせているから、こんなときにもつい結論が出るまで考え込んでしまうのは困った癖だ、と我ながらに思う。


もう何を考えているのかも分からないほど、意識が朦朧としてきた。もしここでぴくりとでも指を動かせば、釣り上げられた魚のように、脳は一気に覚醒するだろう。そんな勿体ないこと、する気にもならない。


それでも、最後の足掻きというか言い訳というか、「寝るのはほんの一時間だ」と自分の身体に言い聞かせる。目覚ましでもかけない限り、それはほぼ実現不可能に違いないが。


シャワーを浴びる事や、明日の学校の準備。そんな釣糸に引っ掛けられた餌を見ながら、俺は浮上することなく海の底へ落ちていく。


そういえば、そこにはななしもいるんだろうか。もしいるなら、再び海の底で愛し合っても良いかもしれない。


どさり、と力なく海底に沈んだ自分の身体を想像しながら、すぅっと意識を手放した。


「…おやすみ、ななし…」





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