07:ここから連れ出して
少し昔の話をしよう。
興味が無かったらごめんなさい。
でも聞いて欲しい。私の親友の話を。私の家族の話を。
私が彼に出逢ったのは、雪の吹き荒れたある日だった。
こんな街だから吹雪になる事なんて珍しくも無く、その日もまたそうだった。
運が悪いというか間が悪いというか何というか。その日、仕事を探しに私はそんな吹雪の中ホテルへ向かった。
女に仕事なんてあるかわからないけれど、戦争に行ってしまった父のいない家で母と2人、立派に生きていかなくてはならない。
私は特に何か出来るというわけでは無かったけれど、とりわけ料理が好きだった。
その料理も父から教えられたもので、女たるもの料理が出来なくてどうする、と熱心になってくれた。
私が作った料理をにこにこして食べてくれた母。
父の味付けは私も好きだったし誰かが喜んで食べてくれるならそれで良かった。
程なくして、父は戦のために家を出た。
私と母は泣きながらに止めたけど父は全然聞いてくれなかった。
『戦火がここまで来ないようにしっかりやってくる。…俺は外からお前たちを守るからセツカ、お前は母さんを頼むな。』
何度も何度も料理を教えてくれたその大きな手で、私の大好きな手で頭を撫でられた。
最後に見た父の笑顔が未だに忘れられない。
『必ずね、必ず帰って来てね?私、料理上手くなるから。父さんにも笑顔で食べてもらえるくらい頑張るから。』
2人で指きりをする。そうして約束をした。
結果私は調理師免許も取ったし、毎日毎日ご飯は私が作った。
それを母さんは、あぁ、お父さんの味ね、と嬉しそうに愛おしそうに食べてくれた。
母さんと私。2人だけだったけど、父さんの味の料理を食べて頑張った。
父さん父さん、私ね、夢が出来たんだよ。
自分のお店を持ちたい。もちろん、料理の。
父さんから教わった味、忘れずに私の料理も開発して、それを食べてもらうの。
食べてくれた人が笑顔で帰ってくれたら、私は幸せ。
でもね、お店開いたらやっぱり一番目のお客様は父さんと母さんが良いな。
だから、…早く、帰って来て。
私はずっと、ケテルブルクにいるから。
待ってるから。
そしてついに父は帰って来た。
ずっとずっと会いたかった。
ずっとずっと待ってた。
待ち焦がれた父は、ようやく帰って来た。
帰って来たのは、細長い箱だった。
そう、帰って来たのは、棺だった。
中に入っていたのは、軍の象徴である蒼い服や、向こうで使っていただろう日常品。…一番上には、私たち家族の写真が入った革製のケースがあった。所々赤い染みが飛んでいた。
────会いたかったその人の姿すら入っていない棺だった。
父は、崩れ堕ち、今にも沈む船に残ったらしい。
怪我だらけの人たちを乗せた小舟はもう重量オーバーで。
最後、若い青年と父が残り父は若い青年を乗せたのだと言う。
───こんなおんぼれ親父よりも、お前には未来があるだろう。…それに、娘がな、同じくらいなんだ。お前さんを捨てて帰っても、合わせる顔が無いよ。
しわくちゃで返り血まみれの顔が笑いながら手を振った。
船は傾き、轟いて海に引きずり込まれた。
……ゆえに、父は帰って来なかった。
どうして?ねぇ、どうして?
私に合わせる顔なんて、どんな顔でも良かった。
父さんの顔なら、どんな顔でも良かったのに。
帰って来たのは、父さんじゃなかった。
父さんの周りにあったものだけ。
どんな姿であれ、父さんが帰って来て欲しかった。
父さん、父さん。
私、料理たくさん勉強したんだよ。
父さん、父さん。
帰って来るって、約束したじゃない。
父さん、父さん。
また、新しい料理教えてよ。
父さん、父さん。
お客さんには、もうなれないの?
笑顔はもう見れないの?
大きな手で頭を撫でてはくれないの?
父さん、父さん。
返事をしてよ。
……ねぇ、父さん。
それから私の生活もがらりと変わった。
収入もパタリとやんでしまったから、まずは仕事を探さなきゃいけなかった。
毎日毎日日替わりで仕事をさせてもらった。
雪かきや、ベビーシッター、ホームヘルパーみたいな事もしたし塾の先生の変わりを勤めた事もあった。
その中である人に、料理で仕事をしたら良いんじゃないかと言われた。
一度料理を作ったら思いのほか好評だったらしい。
言われるままにしてみたら、意外と順調だった。
みんな美味しいと言ってくれたし、何より笑顔だった。
ずっと夢見てた職業を身近に感じた。
『この街を出て、どこかで職に就いたら良いんじゃないか?』
そう言われた事もある。
確かにそれもありなのかもしれない。
だけど、私にはまだ母がいるし母を置いて行くわけにはいかない。
それに。
思い出が詰まったこの街を、離れたくはなかった。
母は父の事が相当ショックだったらしい。
放心状態でろくに口も開かず、ただ茫然としている事が多かった。
だから家事は全部私がやっていた。
『母さん、ご飯作ったよ?ねぇ、食べよう。』
そう言って作った料理も、最初は食べてくれた。
けれど自然と口にしなくなっていった。
『母さん、全然食べてないよ?そんなんじゃ体壊しちゃう…。』
『この料理……。』
『……え?』
次に母が口にした言葉は、信じられないものだった。
『あの人を思い出して、食べられない。』
『…もう、思い出したく、ないのよ。』
『─────!』
大好きな父さん。その味。いっぺんに両方否定された気がした。
それからはあまり母と会話した記憶が無い。
毎日仕事に行って、それでも帰って来たら2人分、料理を作って。
けれどその器は綺麗になることなくそのままの形で残っていて。
それを毎日毎日繰り返し、ある日、仕事から帰って来たら家には誰も居なかった。
ああ、と思った。ただ、それだけだった。
翌日も私は仕事を探しに行く。
その日はケテルブルクの高級ホテルへ。
ひどい吹雪だった。私の心情なんて微塵も思ってくれていないような。
…かと思うと帰る時にはすっかり収まっていて、小さく雪がちらほらするだけだった。
その帰り道、私たちは出逢った。
彼もまた一人だった。
一人きりで生きていた。
一人きりで生きてきたはずなのに、真っ白だった。
『きみも…一人なんだ。私もね、一人になっちゃった。』
返事をしてくれる訳でもないのに話しかけた。
真っ白でふわふわな毛に触れて、「うち、くる?」なんて冗談まじりに笑うと彼は私の後ろをついて来た。
いつものくせで作ってしまった2人分の料理。
気付いたのは出来上がってからで、どうしようもなくて、彼が食べられそうなものだけを彼にあげた。
食べ終わった後、彼は小さく鳴いた。
「美味しかったよ。」
そう言われた気がした。
彼はそれから一度家から出てしまった。
出て行く瞬間、少し悲しかった。
また、一人になってしまうの?
そう思ったけど、彼はまた戻って来てくれた。
今度は、小さな花をくわえて。
小さく微笑んで、彼を抱きしめた。
そばに、いてくれるの?
小さな声で、彼は答えてくれた。
────ありがとう。
真っ白な体を抱き締めて、眠った。
あの頃、私はいつも思っていたかもしれない。
ここから連れ出して
誰か、私を助けて。
その叫びが届く事は無かったけれど。
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