テスト一週間前【sideB】

 彼、鬼柳京介と並んで歩くのは、十六夜アキにとってとても不本意なことだったが、担任の牛尾に頼まれた以上、仕方のないことだった。
 思えばタイミングが悪かった。資料室にあったコピー機のインクが切れ、仕方なしに職員室のコピー機を借りようと訪れたところで、アキは牛尾に好き勝手に怒鳴られている鬼柳を目撃した。自分に言うときとは別に、ひどく乱暴な言葉で鬼柳を罵る牛尾と、同じく教師に対して礼儀知らずな言葉で反論する鬼柳は、端から見れば、なんとも友人同士の口論のようだった。
 かかわり合いになりたくなかったので、無意識にアキは視線を下げた。しかし、そのときには全てが遅く、あっさり牛尾に見つかった彼女は、成績不振な鬼柳に指導してやることを命ぜられたのだった。一度はアキも断り、鬼柳も不平不満を並べ立てたが、結局は断りきれずに、こうして共に図書室を目指すに至っているのである。

「勉強って、自発的にやるから力になるんだってよ。だから、俺に無理矢理勉強させる牛尾さんのやり方は間違ってる!しかも、お前に教わるとか、ないわー」

「それが私に迷惑をかけてる人のセリフ?」

鬼柳の方など、ちらとも見ずに、アキは淡々と言葉を吐いた。
 鬼柳のどこが嫌なのだと聞かれたら、アキは真っ先に、無神経に勝手な言葉を吐き出す舌である、と答えるだろうと思った。見た目だけで言えば、それなりにお似合いだと言えるだろうに、二人は致命的に性格が合致していなかった。
 騒がしい鬼柳に辟易しながらも、なんとか図書室に辿り着いたアキは、空いてる席はないかと辺りを見渡した。テスト前ということもあってか、座席はそれなりに埋まっている。少し奥まった場所では、クラスメイトの御伽が、静かに参考書を開いていた。

「あーー!」

突然あげた鬼柳の声に、アキはびくりとそちらを向いた。物静かな場所だけに、その声は多くの視線を集めることとなる。

「ちょっと、ここは図書室よ」

「ゆうっせぇぇぇぇい!偶然じゃねぇか!てか運命?なんだよ、いるんならいるって言えよ!」

咎める視線など、きっと彼には届いていないのだろう。相変わらずの声量でそう叫んだ鬼柳は、彼が一方的に愛してやまないクラスメイト、遊星の元へと走り出そうとした。そんな遊星はと言うと、あーあ、という言葉が相応しく、黙って額に手を当てているのだった。
 図書室の片隅。そこの机に遊星は個人スペースを設けていて、彼の前には参考書や教科書が開かれていた。そんな様子から、彼もまたここで勉強していることが窺い知れる。そして、遊星の前で同じくノートを広げるのは、飛び級でこの学年へと上がってきた少女、龍可だった。
 資料室へ行くのに付き合ってくれないかと遊星に頼んだとき、約束があるからと断られたことをアキは思い出した。それはこのためだったのかとひとりごちる。しかし、納得したというのに、何故か、彼女の気持ちは全く晴れなかった。
 この、もやもやと胸を渦巻く黒い感情はなんなのだろう。何も疑問はないはずなのに、どうも釈然としないのだ。自分の気持ちが掴めずに、アキは困惑した。どうしてこんなに、面白くないのだろう。一体何に自分はイラついてのだろう。

「やめなさい鬼柳」

「ゆうせ……ぐへっ!」

深く考えれば考えるほど、より複雑怪奇と化す思考回路に諦めをつけ、アキは目の前の男に手を伸ばした。襟を掴んだせいで首が絞まり、鬼柳からは妙な声がこぼれ落ちる。とりあえずは、自由奔放なこの男をどうにかしなくては。
 アキと鬼柳の取り合わせを疑問に思ったらしい二人から、どうしたんだ、という意味の言葉を投げかけられる。鬼柳がそれにぶつくさと不満混じりに説明しているのを聞きながら、アキは空いてる座席を探した。何故か、そのときばかりは遊星たちとは離れていたかったが、生憎、二人して座れる席は、彼らと近い場所にしか空いていなかった。
 遊星と龍可に迷惑をかけてはいけない、という名目で、アキは鬼柳を引っ張った。

「アキの寛大な優しさに感謝しろ」

遊星は鬼柳にそう言ったが、彼のその言葉を素直に受け止められない自分が、アキはたまらなく嫌いだった。


 遊星たちから少し離れた位置に、彼らは腰を落ち着けた。息をつく間もなく、アキは鞄から教科書やプリントを出して目の前に並べる。早く、混乱に満ちたこの脳内を、無機質な数式で埋め尽くしてしまいたかった。
 ふと顔を上げると、その視線はこちらを見つめる鬼柳とふつかった。向かい合って座っているのだから目が合うのは仕方ないにしても、彼の口角が微妙に上がっているのはどういうわけだろう。それにアキが顔をしかめると、鬼柳は身を乗り出して、囁くように言った。

「お前、嫉妬してんだろ、龍可に」

「……意味がわからないわ」

すると鬼柳は、図星だろ、と言わんばかりにくつくつと声を殺して笑うのだ。まったく、なんと腹立たしいことか。いいからプリントを出しなさい、と鬼柳に言うと、不快な笑い声をたてながらも、彼はそれに従った。
 実際の気持ちはよくわからない。それが嫉妬と呼ぶべきものか、アキにはわからなかった。仮に嫉妬だとして、どうしてあんなに小さい子を妬まねばならないのか。面白くないのは本音だが、果たしてそれを嫉妬と結びつけていいのだろか。

「女同士って怖ぇよな、本当」

「だから違うって言ってるでしょ」

「素直になれって。お前本当は遊星と勉強したかったんだろ?書いてあるぜ、顔に。まぁ今日は俺で満足しな。遊星もいい男だが、俺も負けず劣らずだろ?」

「……なんで遊星があなたみたいな人と仲良くなったのかがわからないわ」

「あ、なに、そんなに聞きたいのか?俺と遊星のなれ初め。いやぁ忘れもしねぇ、あれは中学のときのキャンプで……」

「聞きたくないし、あなたなれ初めの意味わかって言ってるの?」

「聞けって、これ面白いから」

「口より手を動かしなさい」

アキに鋭く言われ、しぶしぶながらも鬼柳は目の前のプリントに取りかかった。しかし、彼の口は止まらず、ペラペラと自身の中学時代の思い出を語っている。
 鬼柳にはカリスマ性がある。その要因のひとつに、話術の巧みさ、というものがあった。とにかく鬼柳は、面白おかしく話をするのが上手いのだ。時間が経つにつれ、しかめ面をしていたアキの頬が次第に緩んでいくのが、傍目に見ていてもよくわかった。
 気がつけば、鬼柳の話にアキは笑っていた。時おり手を止めて、吐息を溢すように彼女は笑う。早く問題を解きなさい、とその口は言うが、声音は柔らかく、また満更でもなさそうなのも事実だった。
 無駄話を繰り返しつつも、シャープペンシルの黒は次第にプリントを埋めていき、鬼柳の表情もまた、真剣なものに変わっていた。わからない問題はアキに指導をもらい、自力で解いて一段落したあとは、休憩がてらに昔話を、主に遊星との思い出を饒舌に語るのだ。一体どちらが鬼柳の目的となってしまっているのかはわからないが、アキは今の状況が、さほど憂鬱でもないことに気がついた。


 最初は手っ取り早く終わらせてしまう予定だったのに、彼らが片付けを終える頃には、すっかり閉館ギリギリの時間になってしまっていた。

「本当に頭に入ったの?結局無駄話ばかりだったじゃない」

「入った入った。心配すんなって」

「もう私はあなたの勉強に付き合うのはごめんよ」

「俺だって図書室で真面目に勉強すんのはこれで最後にしてぇよ。だから次は、心置きなく遊星と勉強してくれ」

「よけいなお世話」

「だーから、お前はもう少し素直に……って遊星ええええ!」

言葉を切り、突然鬼柳はそう叫び声をあげた。プリントを広げている最中はまだマシだったのに、終えてみればすぐにこれだ。
 鬼柳が嬉々として向かう先には、やはり遊星と龍可がいた。言葉を交わしながら帰りの支度を整えているのを見れば、彼らの方もまた一段落したのだろう。
 鬼柳が遊星をからかう言葉を投げつけると、遊星は静かに顔を上げて、そしてその瞳はいつになく無感情のまま、さ、とアキの方に向いた。遊星のその動作に、少しばかりアキは戸惑う。なんやかんやで、やはり遊星と鬼柳は仲が良く、そして遊星が意図的に友人を無視することなど、普段ならありえないことだった。
 遊星と見つめ合っていたのは、とても長い時間のようで、しかし実のところ、それは一瞬だったのだろう。またすぐに彼の顔は優しさを帯びて、終わったのか?とアキに問いかけた。アキはそれを肯定する。そうしながら彼女は、先ほど感じた遊星への違和感が、気のせいであったと、自分の中で納得するのだった。
 今日の自分はなんだかおかしい。そう曖昧に結論づけたアキは、今夜は勉強もそこそこにして早く眠ろう、と密かに決意した。そのおかしいというのが、果たして自分のせいだったのか、鬼柳のせいだったのか、それとも遊星と龍可のせいだったのか、結局のところ、彼女には何もわからなかったのだけど。




*

海月氏より。




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