プール掃除

「あっちー!なんだこれ超暑ぃ!うわー暑ぃ、マジ暑ぃ」
「てめぇが暑苦しいんだよ鬼柳!黙ってろお前は!」
「これは本当に梅雨の暑さじゃねぇわ。満足できねぇ。むしろもう梅雨明けたんじゃね?」
「明けてねぇよ、真っ盛りだバーカ」

 天気予報によれば、梅雨前線は未だにこの地域に留まっているという。しかし今日は何かの気まぐれなのか、頭上にある空は、忌々しいほどに、すっかりと晴れ上がって乾いていた。
 炎天下の屋外で、鬼柳は暑さを叫び、その隣でバクラが不機嫌そうに言葉を吐いていた。彼らは制服のズボンを膝のあたりまでたくし上げ、ワイシャツの袖も、肩の方まで捲りあげている。そして、そんな彼らが携えているものは、長い柄のデッキブラシだった。
 彼らは学校のプールにいた。プールには、キラキラと太陽光を反射する水はまだ張られていない。
 この暑い日に何故彼らが炎天下の外のプールなぞに居るのかといえば、言ってしまえばいつものこと、自業自得の結果だった。
 鬼柳とバクラ、加えて盗賊王とマリクは、四バカと呼ばれるだけあって成績の方もやはり芳しくなかった。先の中間テストでは逆の意味で見事な点数を叩き出し、それでいながら全く反省の様子の見られない彼らに、見かねた担任の牛尾が、根性を叩き直すと言って、四人にプール掃除を命じたのだった。そして彼らは、こうして文句を垂れつつ、太陽の光をその身に享受しているわけである。

「だいたい、なんでよぉ、こんなくそ暑ぃ日にプール掃除なんだよ。解せぬ!」
「だから少し黙れよてめぇ、不快度指数が上がるだろうが。バカなてめぇの頭脳を呪いな」
「うわ、きったねぇな!デッキブラシこっちに向けんじゃねぇ!」

子どものように騒ぎ立てる彼らは、太陽光で熱くなったプールの底にいくつもの汗を落とす。掃除というのは既に単なる名目でしかなくなっており、彼らはただプールの底で騒いでいるだけのようにも見えた。実際、二人の持つデッキブラシはとっくに汚れをおとすことをやめている。

「おい、てめぇら真面目に掃除くらいしやがれ。いつまでたっても帰れねぇだろうが」

珍しくもっともなことを言うのは、二人から少し離れたところで壁を磨いている盗賊王だった。不快な乱入者にバクラは三白眼をさらに吊り上げる。冷静に反論しようとしていたその口は、しかし盗賊王の姿を認めた途端に、いつのも怒声をぶちまけた。

「てか、なんつう格好してんだクソおやじぃぃぃぃ!てめぇよくそれで真面目とかふざけたこと言えたな!」
「なんだようっせなぁ、こちとら暑くて暑くて沸騰しそうなんだよ空気読めよ」
「空気読む必要性がわからねぇ!」

バクラが大声で叫ぶ先には、すがすがしいまでに服を脱ぎ捨てた盗賊王がいた。彼が身につけているものといえば、局部を隠す青いボクサーパンツのみである。盗賊王のかなり引き締められた肉体が、太陽の下で輝いている。

「男しかいねぇんだからいいじゃねぇか」
「誰が好き好んで男の、しかもガチムチの肉体なんか見なきゃいけねぇんだよ!暑苦しいからしまえ、マジで!」

しかし盗賊王は不満げに顔をしかめたまま、再びその格好から壁の掃除へともどるのだった。バクラにはそれがまるでおもしろくない。どんなことをされても気に入らないのは、一重に、彼が叔父の関係にあたる盗賊王を嫌悪しているせいである。
 バクラの厳しい言葉はいつものごとく遠方へと弾き飛ばし、手を動かしたまま盗賊王は、未だ暑い暑いと喚き続ける鬼柳に向かって言葉を吐いた。

「制服なんか着てるから暑ぃんだろ」
「俺は日に焼けるのもゴメンなんだよ」
「女かてめぇは」

生まれつき肌の浅黒い盗賊王とは違って、鬼柳の肌はたいそう白かった。別に日を避けているわけではなく、生まれつきである。白いこと自体は鬼柳は特にどうとも感じていないのだが、しかしこの時期だけは、彼は自身の体質を憎むほかなかった。

「てめぇには一生わかんねぇだろうが、この色で焼けるとすげぇんだぞ。寝返りとか地獄だからな」

デッキブラシの柄に顎を乗せた鬼柳は、恨めしそうに袖からのぞく自身の肌を睨みつけ言うのだった。

「いや、日に焼ける以前にパンツ一枚はおかしいだろ」
「さっきからうるせぇよバクラ。いちいち細けぇヤツだな、そんなんだからいつまでたっても小物臭が消えねぇんだよ」
「は、なんだクソジジイ、ケンカ売って……ぶあっ!」

盗賊王に詰め寄ろうとしたバクラの言葉を飲み込んだのは、勢いよく噴射された冷たい水だった。バクラはそれをまともに食らい、髪の毛はすっかりボリュームを失っている。その姿はなんだか間抜けであって、それを見た盗賊王と鬼柳は一瞬目を丸くしたあと、大口を開けて、空まで響かんばかりの大音量で笑うのだった。そして笑いの対象となったバクラが凄まじい眼光で睨む先には、気味の悪い薄笑いを浮かべてホースをこちらに向けるマリクの姿があった。彼は白のワイシャツを脱ぎ捨て、制服のズボンに黒のタンクトップというラフな格好で、プールサイドに腰掛けている。

「マリクてめぇ、何しやがる!」
「口ばかり動かしてないで、さっさと掃除しちまいなぁ。このままてめぇらと炎天下デートなんて吐き気がするぜ」
「てめぇだけには言われたくねぇんだよおおお!ホースでじゃばじゃばやってるだけのくせによお!そのホースで首絞めてやろうか!あぁん!?」

バクラがそう言うのももっともで、マリクがしていることといえば、ただ座って、ホースで水を撒いているだけだった。というのも、役割分担をした際、ジャンケンにいち早く勝利したのがこの男で、一番楽なホースの役割を強奪していったのだ。いくら公平なジャンケンの結果とはいえ、不満を抱くなというのは、他三人には無理な話だった。

「そうだぜマリク!そもそもお前が俺たちより高い位置にいること自体、なんかちっとムカつくんだよ!」
「減らず口だなぁ、満足。いいから働きなぁ、馬車馬のように」
「うっぜえええええ!」
「おいマリク、そろそろ退屈だろう?俺様が代わってやるぜ、ホース貸しな」
「だが断るぜぇ」

盗賊王の提案も、マリクはあっさりと切り捨てる。それもそのはず。わざわざ大変な方を選ぶことなど、特にこの男はしないのだ。目の前にいる彼らもまた、思いやりや協力とはかけ離れた面子なのだし。

「こんなで満足できるはずがねぇ!おいバクラ!手を貸せ!」
「俺様に命令するとはいい度胸じゃねぇか」
「マリクを引きずり下ろすんだよ!あとでチロル奢ってやる」
「よっしゃ、俺様にまかせな」
「案外、やっすいなお前」

盗賊王の指摘は、ギャーギャーと騒ぎ立てる鬼柳の声により、どうやらバクラには届かなかったようだった。
 身の危険を感じたマリクは、早々にその場を後にしようとした。しかし、詰め寄る二人はそれを許さない。立ち上がろうとしたマリクの足を、白い四つの腕が掴んだのだ。鬼柳の肌が白いのは先述した通りだが、負けず劣らずバクラも白かった。
 引きつった顔をしながら二人を見下ろすマリクを、バクラと鬼柳は非常に意地の悪い笑みを浮かべて見上げ返した。

「……その生っ白い手を離しなぁ」
「うっせぇ!ズボンずらすぞ!」

鬼柳に被せるようにしてバクラも言う

「うるせぇ!パンツずらすぞ!」
「パンツはダメだ!」
「全裸になっても心が紳士なら問題ねぇんだよ!」

バクラも鬼柳も、この暑さにやられているのかもしれない。
 マリクも抵抗しようと、持っていたホースで二人に向けて水をぶちまけた。口の部分を親指で潰しているので、水の勢いも五割増しだ。しかし彼らがそれにめげることなどなく、髪も顔も制服も水に盛大に濡らしながら、無理矢理マリクをプールサイドからプールの底へと引きずり落とす。無理矢理にやれば体勢を崩すのも当然で、マリクは見事に床の上へとダイブした。
 くぐもった悲鳴が聞こえるのと同時に、バクラがマリクの上に馬乗りとなり、いつもの高笑いをぶちまける。

「ヒャーハハハ!ざまぁみやがれ!おい鬼柳、ホース貸しな。口に突っ込んで水責めしてやる」
「それ拷問じゃねぇかああ!さすがに死んじまうぜぇ!」
「拷問なら問題ねぇだろ。処刑じゃねぇんだから」
「拷問はなかなか死なないだけだ!やってりゃあそのうち死ぬ!」
「そこは俺様のさじ加減だなぁ、くくく」

こいつ完全に殺す気でいやがる……!というのは、傍から見る盗賊王の見解である。そして一方鬼柳といえば、バクラに言われる前からホースを握り、地味にマリクの服を濡らして喜んでいた。ウザさに関しては、彼の右に出るものはいないと思う。
 とうに集中力など切れていた。分担したはずの役割もこうして破綻し、掃除も進まないまま、いつものくだらないやり取りへと変わろうとしている。
 盗賊王は、更衣室の壁に備え付けられた時計に視線を移した。最後の五限が終わってから、一時間以上は過ぎ去っている。放課後をこうしてバカなことをして過ごすのは嫌いではなかったが、さすがにそろそろ切り上げたかった。掃除を命じた牛尾も様子を見に来る頃だろう。そしてこの様子を牛尾が見れば、また奴は激怒して、説教という名の罵倒を繰り返すに違いない。それはなんとしても避けたいことだった。

「おい、いい加減にマジで終わらせようぜ」

すると、取っ組みあっていた三人は年相応な顔をして、盗賊王の方を見た。彼らが何かを言う前に、盗賊王はプールサイドへと一気によじ登り、人数分の長い柄のデッキブラシを投げてよこす。そしてまた彼は、プールの中へと飛び降りて戻ってきて、きょとんとしたままの三人に向け言った。

「全員一列に並べ!」
「どうした盗賊。パンツ一丁でデッキブラシとか斬新なファッションだな」
「お前だけには言われたくねぇよ満足。」
「で、今さら真面目に掃除しようってかぁ?」

ちゃかすマリクの言葉には深く突っ込まず、盗賊王は意外にも、そうだ、と返答した。はぁ!?とバクラは喧嘩腰に聞き返す。

「このままじゃ本当に帰れねぇだろ。とりあえず一列に並べ、一気に終わらせるぞ」

三人は釈然としない様子だったが、早くこれを終わらせて帰りたいというのは彼らも同じであるし、渋々とした様子でデッキブラシを持ち、一応は盗賊王の言葉に従ったのだった。

「いいか、ビリは夕飯奢りだからな」
「いいぜ、満足させてもらおうじゃねぇか」
「おっと鬼柳、俺様へのチロルも忘れるな」
「ふはは、興奮するじゃねぇか」

四人は各々にデッキブラシを持ち、プールの壁にその背を当てていた。四人しかおらず、また全長で50メートルあるプールはこうして見るとやはり広い。
 盗賊王が提案したのは、夕飯を賭けた50メートルレースだった。デッキブラシを持って、プールの端から端まで駆け抜けるのだ。手抜きにはなるだろうが、これで一応は一通り掃除したことにはなるだろう。普通に競争しただけではつまらないだろうからと、盗賊王が賭け事を提案してみれば、彼らは易々とそれにのってきたというわけだ。
 位置について、と盗賊王が言う。よーい、ドン、で駆け出せば、どたどたと騒がしい音がプールの底に響いた。



 しかし、面子がやはり面子なだけあって、その賭けレースがまともに続いたのも25メートル地点までであった。頭一つ分リードしていたマリクの足に、バクラがデッキブラシを引っ掛けたのだ。

「うおっ!?」
「ヒャーハハハ!俺様の前を走るなんざ三千年早ぇんだよ!」
「そいつはどうかねぇ……!」
「なんだと!?……ぐぁっ!」

今度は、飛び出たバクラの進路を、隣の盗賊王が妨害した。その巨体で、強く弾き飛ばされる。

「てめぇら組んでやがったな!」
「てめぇが調子乗りすぎるからだぜ!」
「死ねくそじじぃぃぃ!!」
「いってぇ!バクラ!てめぇ何しやがる!」
「あ、悪ぃ鬼柳。手元が狂った」
「こんの裏切り者おおおおお!」

結局、戻ってきた鬼柳も参戦して、彼らはびしょびしょになりながら、賭けレースも掃除もすっぽかして、下校のチャイムが鳴るまで、いつもの乱闘を繰り返したのだった。
 その後、様子を見に来た牛尾に、彼らがこっぴどく叱られたのは、当然の結果である。




*

海月氏より。






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