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●§探偵事務所§●
オウム達の海辺7★



命が儚いように
人がいつか果てるように
物事に変化があるように

この世界の全てのものに
ただ一つだけ与えられる確かな約束がある。




全ての始まりには終わりがあること。





ネウロにもいつか終わりがくる。

謎が尽きるなら

人間が獣に還るなら。


いつか。


必ず。










固まる弥子をしばし眺めてから
魔人は眠る叶絵の体をその肩に担ぎ上げた。


「弥子。」


そしてそのまま弥子を
名前だけで呼び寄せようとする。

いまだ頬を涙で濡らしたまま
座り込んでいる弥子に
魔人は再び少女の名を呼んで。


「弥子」


弥子は手の甲で止まらない涙を拭うと
フラフラと頼りなく立ち上がり
魔人の元へと向かった。

いつもならイヤミと虐待が飛んで来るはずなのに
今日のネウロはなにも言わずに
ただ弥子の足取りを見つめている。

数分をかけて
やっと魔人の元にたどり着いた弥子の汚れて乱れた髪を
ネウロはまるで愛しむかのように
クシャリと撫でた。

まるで人間のように。
優しく。

それが更に弥子の胸を締め付けて
また
ボロボロと涙がこぼれ落ちてしまう。


「イビルブラインド」


魔人は弥子にのみ7つ道具を使い姿を隠すと

気を失った叶絵を船着場で帰らない二人に慌てていた教師達へと引き渡し
弥子を連れて帰る旨を告げた。

そして再び人目のつかない森へと舞い戻り
弥子をその広い背中に背負うと
すでに日が傾き始めた空へと翼を広げ、高く飛び上がった。

いつになくゆっくりと空を渡る魔人と弥子が
石垣島へと帰りつく頃には
夕日が落ちるか落ちないかの時刻になっていて


魔人の首にしがみつき
青い羽毛の隙間から眼下を覗く弥子の目に
石垣島の岸が見えて来る。

島の端ともなれば民家もない。
ただオレンジに染まった砂浜が美しく輝いていて。

唐突に、ネウロは岸の一歩手前で
落ちるように急降下した。


「えっ…?…ちょっ…!!!!」





バシャァァン



そのまま弥子もろとも海の中へと突っ込んで
盛大な水しぶきを上げる。





「あぶばばばばばば!!!!!」


海にもがく弥子の頭を
いつの間にか人型に戻った魔人がつかみ上げて。

そして
むせる弥子をそのまま引いて行くと
弥子の足がつく場所まで来て
ようやくその手を離した。


「ズビ…ちょっと…。どう言うつもり…?」


すりむいた体に海水が沁みて痛む。

ようやく呼吸を整えた弥子が
恨みがましく魔人を睨み上げると
魔人はシレっとした顔で
とんでもないことを言い放った。


「脱げ。」


「………は?」


間抜けに目をむく弥子の服に魔人の手が伸びてくる。


「汚いぼろ雑巾がさらに汚れてゴミのようだ。」


「はっ!?ちょっ!!まっ!!なにすんのアンタぁ!!やめーーーーー!!!!!」


暴れる弥子にかまわず
魔人の爪が弥子の服を裂いていく。


「ひーーーー!!!」


ものの数分もせずに
弥子の服は残骸になって海に流れていった。

透明な水で弥子の白い肌が揺れている。
そして。その肌に這った血の跡も傷も。

夕日は
いつの間にか落ちていた。

海は紺色の水に光の糸を揺らしている。


「……………着替え……。
宿なんだけど………。」


弥子は魔人に目があわせられずに
水面に目をそらし俯く
その髪に上から水が浴びせられた。


「わっ!!なにっ!?」


「イビルブラインドかキャンセラーで帰れば問題はあるまい。」


思わず目を上げれば
魔人がその皮手袋の手のひらに海水をすくっては弥子の髪にこぼし
こびりつき固まった血を洗い流そうとしていた。

その手が水を追って弥子の髪を撫でる。


「………そーゆー問題じゃなくて………。」


年頃の娘が魔人とは言え好意を持つものの前で肌をさらして
平気でいられるはずなどないのだが。
この魔人はそんなことなどはお構いなしで
弥子の頭にバシャバシャと水をかけてはその指で弥子の髪を梳いていく。


「海水なんかで洗ったら…髪がガビガビになっちゃうよ…」


あいかわらず目をそらしたままで
弥子はつい憎まれ口を叩く。

視線の先の水面には
いつの間に現れたのか
月の光がゆらゆらと揺れていた。

時折。
弥子から溶け出した血液が海水に帯を引く。


「海が汚れちゃうね…。」


「貴様らの産まれた場所に
貴様らの血が還ることの何に問題がある。」


魔人の声は穏やかだった。



本当は

お礼が言いたかったのに。

なかなか言葉が出て来てくれないことに
弥子は唇を噛んでしまう。



謎もないのに助けに現れてくれたこと。

貴重な電池を叶絵に与えてくれたこと。

本当は今までだって何度も何度も
魔人は誰よりも自分を犠牲にして
人間を守ってきてくれていた。

恐らくは。
被害を最低限に抑えて。

なんの犠牲もなく得られるものなんて
そう多くはないはずなのに。

何もできない者たちが
聖者達に多過ぎる期待を押し付ける。

救世主だって生き物なのに。
限界も。終わりだってあるというのに。


水を落とす魔人の指が
弥子の頬に下りてくる。

弥子は目を上げて
魔人の顔をじっと見つめる。

月明かりに照らされた魔人の姿は
この世のものとは思えないほどに美しかった。

魔人の深緑の瞳に闇が巡る。






失いたくない。



ずっと

この魔人の側にいたい。




そう思って。







「私…」



こんなことじゃダメなんだ。


「私もっとちゃんとするから。」







こんなことを言うと。

なぜかまた

泣きそうになってしまうけど。






もっと強くなろう。

もっと努力しよう。


ネウロに頼るだけじゃなくて

二人で歩くために。


できるだけ長く

この魔人と一緒にいられるように――――







「…ありがとうネウロ…。」







ようやく言えた唇に
魔人の手袋の指が伝う。

そして。
優しく


魔人の薄い唇が
食むように弥子へと重ねられた。





















自動販売機の明かりだけが照らし出す薄暗い休憩室のベンチに座って
冷えたコーヒーを眺めながら笹塚は溜息をついた。

その耳に廊下から近づいてくる靴音が響く。

と。
開け放たれた扉の影に笛吹のメガネが浮かび上がった。


「まだ残っていたのか。」

「…お前こそ…。」


笛吹は笹塚に背を向ける形で
自販機の前に仁王立ちになると
ポケットからファンシーな猫型の小銭入れを取り出し
自販機に小銭を投入するとホットココアのボタンを押した。

自販機の起動音だけが響く静かな空間に
缶の落ちるガシャンと言う音が
やけに大きく響く。


「桂木の事が気になるのか。」

「…………。」


笛吹は笹塚の背後のベンチに背中合わせの形で座ると
ホットココアの缶の封を解いた。


「そんなことでは何もできはしない。
今の法律である以上
こんなことはいくらでも起こってくるんだ。」

「………。」


笹塚の背後からはココアの甘い香りが漂ってくる。
黙り込む笹塚に笛吹は言葉を続けた。


「笹塚。
目の前にあるのは悲劇ではない。事実だ。

気に病もうが泣こうが喚こうが事実は変わることはない。
必要なのは事実を悪化させぬために今すべきことを分析し動くことだ。そうだろう。」


笛吹はいつももっともな事を言ってくると思う。

しかし。
理屈で動けるほど人は単純な生き物ではない。
解ってはいても
どうしようもない感情は大抵理屈の枠からあふれ出して
そうそう収まってくれなどはしないのだ。

笹塚は溜息の変わりに静かに目を閉じた。


「時代は変わる。変えるのは俺達だ。
今やらねばならんことがある
法律だろうがなんだろうがこのままでは済まさん。

我々は振り回されるためにここにいるわけではない。
闘うためにここにいるのだ。」


また笛吹のいつもの熱弁が始まったのかと
笹塚は心の中で一人ごちたのだが
以外にも笛吹の言葉が続くことはなかった。

しばらく
笛吹がココアを飲み下す音だけが聞こえていたが
ふと
呟くように笛吹が口を開いた。


「お前は自分でここに戻って来た。」


笹塚はそのままの姿勢で視線を笛吹の方に向けると。
珍しく背中を丸める笛吹の姿が見えた。
笛吹はこちらを向こうとはしない。


「それは…
くだらない現実などに喰われて
腐るためなどではなかったと信じている。」


「………っ…」


笛吹とは案外と長い付き合いではあったが
そんなことを笹塚に言うような人間ではなかったのだ。
これにはさすがに笹塚も驚いた。

笛吹は笹塚の反応を気にするでもなく
そう言って立ち上がると
自販機の横に据えられたゴミ箱の中に空になった缶を放り込んで
元来たドアの方へと向かう。

そして。ドアを出ようと進めた笛吹の足が
ぴたりと静かに止まった。

笹塚が笛吹の背中を見上げていると。
笛吹は俯いて、すぐ。何かを思い立ったように顔を上げる。


「俺は」



「俺は小さな人間だ…。
ずっと…一緒に走れる人間を求めていた…。」


笛吹の口から紡がれたのは。

らしくなく
歯切れの悪い言葉。


「お前が帰ってきて…。…心底ほっとしている…。」



「…笛吹…。」


「……失望させるな……。」


そして。
笛吹はまた足を進め

小さな足音と背中は
笹塚を残したまま

ゆっくりと暗い廊下を遠ざかって行った。














「うぁー――!!帰ってきたぁー!!」

「やかましい豚だな。いちいち喚き立てるな。」


馴染んだ探偵事務所の入り口で思わず両手を上げて歓喜する弥子の背中を
容赦なく魔人の足が蹴り飛ばす。


「ぶぴゃ!!」


盛大に顔面からずっこける弥子の青いワンピースが
羽根のようにはためいた。

石垣島の海から上がる時
そのままの姿で帰ることに
あまりに嫌がり喚く弥子に辟易(ヘキエキ)した魔人は
七つ道具と恐らくはネウロ自身の羽を使って
青いキャミソール型のワンピースを弥子に作ってくれたのだ。

そのガーゼのような柔らかい肌触りに感動した弥子は
終始上機嫌で帰還の途に着いたのだった。


「へへへ。ついさっ。」


擦って赤くなった鼻を撫でながら
それでもニコニコと嬉しそうに微笑む弥子に
ネウロはフンと鼻を鳴らした。


「まーあんまりお土産とかは買えなかったけど
一応自分用に買ったお菓子が余ってたはずだから
それも明日叶絵に家に送ってもらってー。

あ!そだ!お母さんと美和子さんに電話しておかなきゃダメだよね!
修学旅行は明日までの予定だったし
いきなり帰ったら驚くもんね。」


ソファーに座ってアカネの出してくれた冷たい紅茶をすすりながら
弥子が今後の予定をわざわざ口に出して語る。

そしてしばし考えて携帯も宿に置いてきていた事に気づくとまたやかましく喚き始めて


「あ!そっか!携帯ないじゃん!!
圏外だったから宿に置いてきちゃったんだよなー。

…まぁそれも送ってもらお…。
ネウロ。電話かりるよ。」


言うとトロイに座るネウロの方へと
トテトテと歩み寄って
机の上の電話に伸ばそうとした弥子の手の甲の上に
魔人のひじ鉄がガツリと食い込んだ。


「ぎゃあ!!」


「断る。」


ニコニコと笑い頬づえをつく魔人のひじの下で
弥子が手を震わせてもだえる。


「ちょっ!!マジ!!痛いから!!痛いからそれー!!」

「修学旅行は明日までだったな。」


「へ?」


魔人の言葉に弥子の顔には条件反射で立て筋が走って。


「今夜は泊まって行け。」


笑みを称える魔人は深緑の威圧の瞳で弥子を見据えていて。


「…あぅ…あぅ…。」


無論。
今回ばかりは弥子が逆らえるはずがなかった。

しばしモジモジとしていた弥子だったが
魔人はきっと何もしないだろうと希望的観測を打ち立てると


「うんー…。」


困ったような。分かったような。
微妙な返事を返したのだった。

魔人のひじから解放されて軋む手の甲を擦りながら
あきらめ顔の弥子の肌が赤らんでいく様を眺めて
ネウロは満足そうに笑みを深くしていた。


周りの事務所の灯が次々と落ちていく。


夜が
ふけて行く。


ソファに座りうつらうつらとする弥子は
トロイに座りパソコンをいじるネウロの姿を横目で確認すると
たまらず体をずり下ろすように横たえて。

遠ざかって行く意識。

疲れた体が心地よい眠りに吸い込まれていく。

その意識が途絶える間際

青いスーツの長い腕が体に回されて
弥子の体を柔らかく包み込んだような

そんな気がした。


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