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●§探偵事務所§●
オウム達の海辺 5( R15?流血表現注意)




したたる滴は

思いのほかサラリと
頬をなで落ちて行く。

熱帯植物の中に浮かぶ二つの影は
まるで映画のように現実味がなく
逆行を浴びて
黒く浮かび上がっている。

弥子はただボンヤリと
ねじれた熱帯植物の幹に腰掛ける影から
絶え間なく滴り落ちる赤い滴を受け止めながら

やがて徐々にハッキリと流れ込む意識に
緩やかに自分へと微笑みを下ろす影の
薄暗い顔を見つめ眉を潜めた。


「やぁ。桂木弥子」


弥子は声を投げる男を無言で見上げたまま。
落ちる血の雫からも動く事をしない。

鼓動が少しづつ速度をまして
やがてドンドンと内側から叩きつける強い感覚が押し寄せるのに
弥子の喉が苦しげに唸った。

素朴で温和そうな笑みを浮かべたこの男の顔は
どこかで見た覚えがあるのに思い出すことが出来ない。

ただその瞳は
人形のようにまったく生気がなく
鈍い輝きを孕んで弥子へと向けられていて。

肌を這うように
鳥肌がジワリと浮かびあがり
急速に弥子の全身を覆って行く。


そもそも

これまでネウロの食事に付き合って事件を巡るたび
無数の人間と出会っては来たものの。

ある程度の所でその全てをはっきり覚える事が難しくなっていた。

おそらく目の前にいる男は
その中の一人だったのではないかと思われるのだが。


弥子は冷静を振る舞う頭とは裏腹に
全身に滲み出る冷たい汗に眉をしかめ
こめかみに手を当てて
霞がかる脳を必死に回そうと試みる。

しかし

だとしたら
そこに待っている答えは
考えたくもない絶望的なものでしかありえずに。


全身が警鐘を鳴らす。



目の前にいるこの男。

降り注ぐ緋色の
ぬるい雨を降らせるこの男は。


自分の関わった事件の犯人ではなかったか。


事件の全容を聞く前に
ネウロが興味を失い
現場から離れる事は一度や二度ではなかった。

つまりは弥子も
犯人を指し示したすぐ後に
その場から強制的に退去させられていた訳で。
事の詳細を知るはずもなく。

この男の事を覚えていなくても無理は無いのだ。

しかしどんな事件であれ
人の命が奪われたからにはそこには必ず憎しみが存在し
その感情が自分たちに向けられる事があっても何の不思議も無く





―――ひとりになるべきではなかった。


少し考えればわかる事だった。今更悔やんでも
すでに報復の渦は弥子を捕らえカウントダウンを始めていて。


「覚えてないんだな。」


男は弥子の態度に口を歪ませ呟くと
今まで胸元に抱いていた赤い塊を
座る樹木の上から重い荷物のように引き剥がし乱暴に放り投げた。


「!!」


弥子の斜め後ろに
鈍い衝撃を立てて大きな塊が落ち広がり
木々をぬって差し込んだ日光に照らされて
その姿があらわになる。


血に濡れる髪がダラリとその背を擦り下りて
生々しい赤が地面へと捺印される。

所々に裂けたチーズのような穴を開けた
その体。その髪型。その服装は。



「――――ゥッッ!!!」



つい三十分程前まで

真っ白な肌を緑に閃かせ
弥子の隣りに並んで歩いていた
親友の叶絵のものだった。






声にならない悲鳴が弥子の喉を吹き抜ける。

喉の奥がまるで首を締められるかのように畏縮して
足が地面から小刻みに震え出す。

嗚咽が湧き上がる喉からは
空気が走る弱々しい音しか漏れずに
口は金魚のようにパクパクとあえいで。

ピクリとも動かずに
背を向け横たわる血まみれの少女へ

弥子は硬直した足を無理やり踏み出そうとバランスを崩し膝まづくように地面へと倒れこんだ。

体を庇おうとかざした掌の爪に赤色の土がミシリと詰まる。

男はその様子を満足げに見守り
樹の幹に頬つえを着いて弥子へと語りかける。


「こっちは普段使われてない道なんだ。
だから誰も来ないんだよ。」


親友を前に逃げる事はないとでも思っているのだろう。
男の口調はあくまで穏やかだ。


「悲鳴を上げても無駄。ここらは珍しい鳥が多いからね。
よく鳴くんだ悲鳴みたいに耳障りな声で。」


そしてスルスルと木の上から降りてくると
四つんばいで固まる弥子の背後に立って
言葉を続けた。


「人が人を殺す理由って考えた事あるかい?」


弥子の全身は震え
逃げ出す事も立ち上がる事すらもできない。

ゆっくりと
弥子が男へと強い咎めの眼差しを向ければ。

首を傾げて笑い
弥子に覆いかぶさるように手を伸ばす男と目が合った。


「あぅっっ!!」


弥子の髪を乱暴に掴み寄せ
男は鼻先を弥子の頬に擦り着けて
その耳元に囁きかける。


「あんたは知っといた方が良いよ。
世の中には殺しても良い人間が
いるんだって事」


男はそう言って勢いよく掴んだ弥子の髪を横に振り払い
ついで足で蹴り倒して
その体を仰向けに地面へと突き飛ばした。

男は弥子の上に馬乗りになると
ズボンのポケットの中から血染めのバタフライナイフを引き抜いて弥子の頬にぺタリと貼り付ける。

ヒヤリとした感触に
弥子の全身が怯えるようにギュッと締まった。


「俺が殺した男はな。犯罪者だったんだ。
・・・なのに奴は一度も捕まることなく
延々と人の暮らしを蝕み続けてたのさ…。」


どこか酔いしれたように
男は弥子を見下ろし。
詠うように語る。

弥子は叶絵の血で染まった顔に
反抗の瞳を震わせながら
グルグルと混乱する頭を巡らせ打開の道を探って。


「俺の彼女の父親だった。

酷い奴だったよ。
娘名義で散々借金繰り返してさ。
彼女だけ働かせては金をせびって

俺に助けを求めた彼女に
立ち上がれなくなるまで暴力を振るったんだ。」


男の目には光がなく。
ただ口だけがぎこちなく青白い顔に笑みを貼り付けていて。


「通報したら彼女を殺すとか言ってさ。

あげくの果てには俺にまで金をせびってきやがったんだぜ。」


男の手が小さく震えだし
当てられたバタフライナイフが弥子の頬を擦って。

今にも泣き出しそうに
クシャリと顔を崩した男に
弥子の思考がピタリと止まる。


「だから殺した。殺してやったんだ。
それの何が悪いんだ?
何が悪いんだよ。

これからは幸せな日常が始まるはずだった。
これからは俺たちの日々が始まるはずだったのに。

お前らが現れた次の日に彼女は死んだんだ。」


男の目は悲しみに歪み、震え
その姿に弥子の瞳は見開かれる。

怒りと僅かな哀れみに思考が迷い
濁って
突きつけられる男の絶望と叶絵の惨状がドロドロと混じりあい
かき回されていく。



(…ネウロ…)


目眩がする。

何を考えたら良いのか
何をすれば良いのか。

まったく解らない

動くこともできない。

ここに魔人がいたら
こんな自分になんと言っただろう。

弥子の脳髄は
無意識に魔人の姿を思い浮かべて。


「これで自由になれるはずだった。
これで幸せになれるはずだったのに…

お前らが…お前らさえ来なければ」


叫ぶ男から目が逸らせずに
弥子は眉を寄せ
抵抗しようと伸ばした腕が
戸惑いに力を失って
そのまま地面へと下ろされて。


「―――桂木弥子」


覗き込む男の顔が弥子の顔に寄せられる。

地面へと落とした白い腕に鉄板の入った男の安全靴が
メシリと重ねられ
動きを封じられて


瞬間




弥子の視界に
ニヤリと口を裂く男の笑みが見えた。




「―――なーんてね。

良い芝居だったろ?」





そのまま
バタフライナイフが弥子の胸へと振り下ろされた。




「ネウロ…ッ!!」



声の詰まる喉が
血を吐くように魔人の名を叫ぶ。



「―――ネウロ!ネウロ!!」



「いまさら来やしねぇよォ!!!!!」




「ネウロォオオオ―――!!」






密林に弥子の悲鳴が

響いて弾けた。











「!!!!??」







ビュォオオォォオァアアアアアアアア!!!



唐突に。

吹き飛ばされそうな強風が
辺りの木々をなぎ倒す。


弥子の短い金髪が激しくなぶられ
転がっていても体が地面の上で引きずられてしまいそうで




「――ぐぅぅッッ!!?」







ふいにその体を繋ぎとめる男の重みが


消えて無くなった。









「っがぁあああああああ!!!!」



何かが強く叩きつけられるような音と
男の悲鳴が弥子の耳を突きぬける。


弥子は風に飛ばされぬよう身を固めて
地面に縋り付き。




















「?」



僅かに目を開ける。

吹きすさぶ風の音は。

まだ弥子の耳からは去ってはいないのに。


風を感じない。


開けた視界には
一面の影が覆われていて。



捕らえきれないほど大きな群青の翼が
守るかように弥子を包んでいた。



















「馬鹿め」










巨大な鳥が
大きな嘴を下げて呟く。


落ちてきた言葉に。
弥子の全身の力が一瞬にして重力に吸われ。

見張る瞳からは
大粒の涙が

ボロリとこぼれ落ちた。

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