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●§探偵事務所§●
鳥の刻印3
地上に来てから一ヶ月程。
目に止まるものが持つ名称や特長は
概ね人間共の言葉から学んできた。

だからここまで流暢に喋る鳥などいない事は我輩も既に知っている。

しかしこの小娘は思っていた通り。
鳥が喋ると言う簡略で薄い知識しか持ちあわせていなかったためか。
我輩の投げた不可解な行動は中途半端な知識の中に簡単に受け入れられた。

驚きの後に溢れたヤコの笑顔がそれをハッキリと裏付けている。


「おい。そこのナメクジ。」

我輩はネジが外れたように緩みまくっているヤコの顔を見下して
低く威圧的な声を投げ掛ける。

「我輩は食事の準備で忙しいのだ。
さっさと失せろ。」

言った言葉に

「ヤコはナメクジじゃないよニンゲンだよ!
鳥さんはフシアナだね!」

ヤコは臆す事もなく言葉足らずな文句を返して来る。

「我輩の目は節穴などではない。
貴様の針穴以下の洞察力と一緒にするな。」

軽くプレッシャーを発して見ても
まだ恐怖すら知らないこの小娘にはなんら意味を成さずに。

「ねぇ名前はなんて言うの?」

ナメクジは一人さっさと話題を変えて
ガサガサと肩からかけた自分のカバンをあさりながら目も合わせずに聞いてくる。

「貴様・・・」

我輩はまがりなりにも魔界では上位の力を持つ魔人なのだ。
言葉を無視される事などそうはないし
こんな不愉快な態度を取られる事もそう何度となかった。
こんな小娘ごときに振り回されているような状況に
我輩の腹の奥底からはジワジワと怒りが込み上げて来る。

「貴様はなぜ人の話を聞かんのだ

そんなアホウに教える名などない。」

「聞いてるよ。
はい。ヤコのオヤツ分けてあげるから」

ナメクジはカバンから出した菓子の袋の封を開け手の平に溢して我輩に差し出してきた。

「名前なんて言うの?」

繰り返される言葉に我輩は大きく息を吐いて。
どうやらこの生き物には言葉が通じないらしいと言う事を身を持って学んだ。

そんな我輩の思惑など構う事なく
ヤコの言葉はどんどん進んでいく。


「名前がないならヤコがつけてあげるよ。

・・・んーと・・・
カピパラーとか」

「そんな忌まわしい名はいらん。
そもそもなぜ我輩が貴様ごときに名付けられねばならんのだ。」


忌々しい名に我輩の苛立ちは頂点に達し

「我輩の名はネウロだ。
聞いたからにはその腐った脳味噌の僅かな生き残りの部分にしっかりと刻みつけておけ。

忘れたら魔界式の拷問を百万回繰り返してやるから
せいぜい覚悟しておくんだな。」

そう言って我輩は翼を大きく広げ
ヤコの掌向かって思いきり嘴を突き出した。

「ぎゃー――――!!!」

再び目を丸めてヤコが腕を振り回すとキイキイと高い声を立てて喚き始める。

「わぁぁぁあ鳥さん!・・・じゃなくてネウロだった!!
なんで刺すのぉ!?
痛いよぉ!お菓子落ちちゃったよぉ!
あーもうコレ美味しいのにもったいないよぉー―――!!」

ヤコは少し涙目になりながらも散乱した菓子を見下ろして頭を抱えていた。


「・・・なんなのだ貴様は・・・」

いかに我輩の分身に本体程の力がないとは言え
人間の幼児体には耐えかねるだけの力で刺したはずだった。

我輩の知る「ジョウシキ」と言うヤツでは
傷付けられた餓鬼は大抵逃げるか泣くかをするはずなのに
目の前の小娘は掌を刺された事よりも汚れた菓子が食えなくなった事の方にずっと激しく嘆いている。

(鈍いのは頭だけではなかったのか。)

我輩は呆れて菓子の前で膝をつくヤコの姿を見つめていると



「――ごめんね。その子はあげても何も食べてくれないんだ。」


シワがれた声がかけられた。
ヤコが目を上げる。

初老の男。

・・・もといこの店の主人が店の中から顔を出して苦く笑いかけていた。

そしてヤコの手ににじむ血を見止めると

「!
あぁ・・!!これは大変だ!!」

すぐにヤコに駆け寄りゴツゴツした指でヤコの手を包むようにして覗き込むと
傷の具合を調べ始めた。

「あぁどうしよう・・
とりあえず消毒しなくちゃいけないね。

ごめんね。ちょっと待っててくれるかい?」

店主はそう言って店の奥へと戻って行く。

鍋やホースや鍵などの雑貨がゴチャゴチャとひしめくその奥に
店主の住居は直結している。

家の薬箱から消毒液を取り出していた店主は
やはり人の話を聞かなかったナメクジが
いつのまにか茶の間の入口に積まれた新聞の陰から中を覗きこんでいる事に気が付いて
動きを止めた。

ヤコは壁や棚の上に飾られたいくつもの絵を食いいるように眺めている。

「うわーキレイな絵だぁー」

傷ついた手を自分の腰辺りにある畳の床について
目を輝かせるとヤコは呑気にはしゃいで店主に笑いかけた。

飾られた絵はどれも抽象的で
何の絵であるかが解らないものばかりだ。


「娘が描いたんだよ」

店主は静かに微笑むとちゃぶ台に消毒液を置いて腰を下ろし
自分の横の畳に座布団を置くと

「上がっておいで。
傷の手当てをしよう」

素直に上がって来たヤコの掌を取り
慣れた手付きで治療を始めた。








その後、お詫びにと出された生ゴミに餌付けされたナメクジは
度々店主の茶の間に上がり込むようになっていた。
我輩にも懲りずに手を伸ばして来るが
危ないからと店主に止められてまた奥へと戻って行く。




(ナメクジの分際で贅沢をしおって・・・)

ヤコはいつでも空腹な我輩の目の前で何らかの物を貪っていた。



――この店の謎の気配はまだ薄い。
・・・しかし今までより強く引き込まれるような感覚に
我輩はここを離れられずにいた。

謎は未だに見えて来ない。


(・・・情報が足りないか・・・)



ここを拠点としつつも度々出かけては謎を喰らっているのだが
それはいずれも小さなものばかりであった。


さすがの我輩もいささか腹が減って来て

ある日店主の留守中に店を訪れたヤコに我輩は要求を告げる事にした。


「我輩の食えるものを探せ」


ヤコは特に考える事もなく承諾し
我輩が鍵を開けた店の中で物色を始めて。



不覚にも我輩は自分がミスを犯している事に気付かなかった。


その脅威はあまりにも小さ過ぎて。


我輩は警戒の網をすり抜ける「何か」を見逃してしまったが為に
今後長い間その事件に大きな影響を受け続ける事となってしまったのだ。








――その頃店主は
喫茶店の窓から美術大学の校舎を見下ろし
机を硬貨でこづいていた。

傍らには新聞が三紙。

「・・・最近ヤコちゃんと言う子がよく遊びに来るようになってね。」

店主の口許は少女を思い出して自然に緩む。


「あの子を見てるとお前の小さい頃を思い出すんだよ・・・。」

少し困ったような顔をして
店主は言葉を続ける。


「あぁ、いいんだ。
思い出さなくてもね。
・・・良い思い出ばかりでもないから・・・」


語りかける先には
黙り込む空席。


「・・・もう少しなんだ・・・」


虚ろな目が冷えたコーヒーカップに映り込んで。


「・・・もう少しで全てが終えられる・・・」


震えた手からは硬貨が滑り落ちて波の様に回った。






「・・・泣かないでくれ・・・

晶絵・・・」



言って




下ろした瞼からは温い涙が一つ。





滑り落ちて弾けた。

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あきゅろす。
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