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第9話 ざわめきは疑いの予兆
久々の、一対一の億泰の家庭教師は難航を極めた。
香澄に嫌われたと落ち込む億泰の勉強が進むはずがない。世話を早々に放棄した形兆は、億泰をひとり学校に置いて百貨店を訪れる。
ビル内に構える色んな小売店を通り抜けて目当ての店を探しているうち、ふと形兆は足を止めていた。
雑貨屋のディスプレイを見ながら、香澄が難しい顔をして唸っている。
声をかけるべきか、形兆は迷った。ほんの一時間ほど前に、億泰が香澄の怒りを買っている。
出来ることなら穏便に見なかったことにしたかったが、形兆の目当ては香澄の目の前だ。
そして香澄に品物を物色する様子を見られたくはなかった。困った末に声をかける。
「おい」
「……虹村くん」
静かな声に、形兆は思わず一歩下がりそうになった。
香澄の傍らに発現しているピンクスパイダーが震えて、香澄の感情を形兆に伝える。
ふつふつと泡が立ち上るような悲しみと切ない怒りが自分のことのように思え、それに揺さぶられて形兆の心にも波風が立ってささくれ立った。
「どうしたの? ……あぁ、ごめんね」
かすかに表情を歪める形兆に首をかしげたあと、ピンクスパイダーに気付いた香澄は申し訳なさそうな表情をした。
ピンクスパイダーを掴んで、自分の体内に溶け込ませるようにして消滅させる。
「なんか……気付かない間に勝手に出ちゃうの」
「スタンドは精神力だ。コントロールできないなら、おまえの精神が未熟ってことだな」
先ほど伝達された香澄の怒りに引きずられて、形兆は刺々しい嫌味を吐き出した。
すぐさまはっとして気まずくなる形兆に、香澄はしゅんとうなだれる。
罪悪感が頭をもたげた。
「……安心しろ、億泰はいねぇから」
「そっか」
香澄に嫌われてしまったと涙目になっていた億泰を思い出し、形兆は香澄に億泰のフォローを入れようとした。しかし言葉がなにも思い浮かばなかったので押し黙る。
「虹村くんはなにを買いに?」
「いや、違うが……お前は」
「ペンダント見てるの」
香澄はワイヤーラックから吊り下げられたペンダントたちを指で示した。しかし、先ほど熱い視線を送っていたのは壁にかけられたワイヤーラックではなくその下に広がる長机のほうだ。
長机のほうはバレッタやヘアピン、かんざしなどの髪留めのコーナーになっている。
それに、さきほどから香澄がさりげなく背中に隠している手の中にあるものはやはり髪留めのはずだ。
たまらなくなって押し黙った。ごまかすように前髪を整える香澄を見ていると、嫌な思いが胸に沸いてくる。
香澄が、髪留めを壊した形兆に気を遣っている。そう思うと自然と目が細くなった。
「なんで……お前はそうバカなんだ」
「へ? な、なんで? ……虹村くん、おなか痛い? なんだか辛そう。正露丸あったかな」
「いらねぇよ。そういうんじゃねぇ」
「そうなの?」
「そうだ」
形兆がうなずくと、香澄は押し黙った。納得していないようだったが、それ以上踏み込んでくることはない。
「おい、手見せてみろ」
「え、いや、これはわたしが買うものだし……虹村くんには似合わないよ」
「出さなきゃ店員に万引きだっつうぞ」
「……あのね、そんなことしてもね、ピンクスパイダーでホントのこと言えばすぐ解決するんだから。脅しにはならないよ」
「さっさと出せ」
「うう……」
形兆が苛立ちながら強めの語気で言うと、香澄は観念したようにうめいた。力なく手のひらを広げて形兆に見せる。
完全に、不良に恐喝されるいたいけな女生徒の図だ。
おずおずと差し出された髪留めを一瞥して、形兆は眉をしかめた。
「おめーには壊滅的に似合わねぇな、そのヘアピン」
「う、これでも時間かけて選んだんだけど……」
形兆は長机に所狭しと広がる髪留めに視線を落とした。端から端に視線を移して、また戻る。
ひとつの髪留めを手に取った。
「こっちのがまだマシだ。あの、すみませんこれを」
「はーい、五百円になりますー」
「え? あの、虹村くん?」
うろたえる香澄を無視して迅速に会計を終える。足早にレジから離れ、人通りのすくない通路脇まで移動した。
動揺しつつも着いて来る香澄に、買ったばかりの髪留めを放る。
香澄はとっさに髪留めに手を伸ばしたが、キャッチ出来ずに足元に落としてしまう。
あわててしゃがみこむ香澄を見下ろしながら、形兆は『俺がここで手を踏んづけたらどういう表情になるかな』などと思った。
立ち上がった香澄が鞄から財布を取り出そうとする。その手を掴んで押しとどめた。
「あの、お金……」
「いらねーよこんなもんで。くだんねぇ」
「そういうわけにもいかないよ。結局病院代だって出してもらっちゃったのに……」
「いらねーっつってんだよ」
「でも」
「しょうがねぇな」
形兆がそう言うと香澄はほっとした表情になる。
差し出された五百円玉を通り過ぎて、形兆は香澄の持つ髪留めを掠め取った。
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