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そして、すっかり暗い武人の家と深夜の路道は本当に携帯電話の灯りに御世話になった。
今迄ならばこんな暗闇を歩こうとは思わなかった上、以前羽生家で見たホラー映画を思い出していただろうに、今の蓮にとっては真っ暗闇に包まれる己の家に想いを馳せる事の方が肝要だった。
昨日の夜の事は分からないが、――健悟が、もし利佳の部屋で寝ていたら。
ごく自然な事項だというのに、もしその光景を見てしまえば武人の部屋へと逆戻りしそうな自分が居ることには気が付いていた。
以前一人では寝れないと言っていた健悟、天辺を越えても居間で帰りを待っていてくれた健悟、……じゃあ、今は。
あの時と事情が変わったと思っているのはきっと自分だけだろうが、今ならば、健悟は如何しているんだろうか。
ごくり、唾を呑んでから、音を立てぬようにゆっくりと玄関を開け、携帯のフラッシュで照らしながら中へと入っていく。
真っ暗な室内を必要以上の強い光が襲うも、シンと静まった家からは物音どころか衣擦れさえも聞こえなかった。
玄関に入り再びゆっくりと扉を閉められたことに安堵し、そろりそろりと足を進める。
裸足がペタリと響いた廊下に、面倒臭がらず靴下を履いていればと若干の後悔が募り、唇を噛み締めながら居間に続く襖を少しずつ開いてみる。
「……!?」
すると、あろう事か一定の音が室内に響いているのが聴こえ、蓮は瞬時に襖を開ける手を止めてしまった。
もう一度深呼吸してから顔を覗かせ、フラッシュの光りを上下左右へと動かしてみる。すると、信じられない光景が目に入り、すとんと、膝が抜けてしまいそうになった。
――けん、ご……か?
カメラで照らした場所には横になっている男が居る。
あのとき、羽生の家から夜中帰ってきた時と同じ場所に健悟が眠っている事に漸く気付いた。
スースーと聴こえる寝息は一昨日まで誰よりも近い場所で聴いていたものと寸分違わぬもので、昼間あんなにも遠かった人物が目の前に居ることに、信じられない程に鼓動が五月蝿くなっていく。
静かな部屋だからこそ響いている己の鼓動で健悟が目覚めるかもしれないと、そんな有り得もしない虚構さえ抱いた程だ。
邪魔な髪を耳に掻け、未だ寝息が聞こえているそれに安堵しながら、フラッシュと共に健悟の元へと近付くと、だんだんと見えなかった部分が見えてくる。
爪先、脚、太腿、腹、胸、――流石に顔に光を当てる勇気はなく、フラッシュをオフにすると、蓮は無言のまま健悟の顔の横に胡坐を掻いた。
「……」
すんっと小さく息を吸うと、たかが一日離れただけなのに、酷く懐かしいと思える香りがある。
もう一度大きく息を吸って、あ、おれきもちわりぃな、と一人気付いた後は、暗闇に目が慣れる迄健悟の寝息を聴いていた。
ただじっとしているだけの空間だというのに、腹の上に置いてある手に触れたいと、今は色も見えない髪を撫でたいと、香りが強まる毎に何故か泣きそうになってしまった。
「…………やーっぱ、うそつきだな。こいつ」
ぽつり、小さな小さな声で呟いたのは、以前“独りじゃ寝れない”と言っていたからだ。
こんなに近く居る自分に気付かぬほど、きちんと寝ているのは、其れほどまでに仕事が大変だからなのだろうか。
そんな中でも律儀に連絡をしてくれる優しさは、おれ自身に向けられたもんなのか、利佳から頼まれたもんなのか。
蒲団すら敷いていない硬い畳よりも、ふかふかの蒲団が常備される旅館の方が断然寝易い筈なのに、そんなにも利佳の近くに居たいのだろうか。
健悟を見ているだけで、此処に居もしない利佳を想って、情けなくも鼻の奥がツンとしてしまった。
やばい、と下唇を噛みながらその場を立って、壁を手探りで進みながら、いつもの倍以上の時間を掛けて客間へと侵入する。
余り夜中に入りたくはない部屋にしろ、あのままだと風邪を引くだろう健悟にタオルケットを持って行こうと思ったからだ。元々利佳のために居るんだから、あいつもせめてこんくらいしろよ。あんな曲とか創って貰ってさ、ずりぃじゃん、もっと優しくしてやれっつーの。
「……って、あー……やべ、自分でへこんだ」
御似合いな二人を思い出すだけで自らの入る余地が微塵も無い事に気付いてしまう。ハッと自嘲を浮かべてから居間に戻ると、随分目が慣れていて、壁を伝わなくても健悟が何処に居るかはっきり分かる程だった。
そして、畳だからこそ余り響かない足音を引き攣れ、持ってきたタオルケットを被せようとした、――そのとき。
「…………あ。」
ふと、視界に入ってきた光景に力の抜けた蓮は、持っていたタオルケットをぱさりと落としてしまった。
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