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歴史館
2011年刹那、黒猫がenjoyチャットを設立
黒猫を副官として刹那、黒猫の政治を開始
過疎とともにenjoyチャットが消滅
黒猫と共に学生チャットを設立
藤原氏(現尾張氏)が副管理人に加わり、学茶は今のひえーちゃの原型とも言えるものになった。
当時の学生チャットは十数人規模のものであり、まだ大手とは言いきれないレベルのものであった。
時勢は穏やかに流れていったが、pakapuka氏の学茶叩きによって大きく動くこととなった。
Pakapuk氏の学茶叩きから、学茶の立場を守るために刹那氏は辞任。管理人の立場を藤原氏が継いだ。しかし、内部の実験は刹那氏が掌握し、しばらく平穏であった。その後、壁氏の率いる別系統の学生チャットから合併を持ち込まれ、刹那氏はこれを承認。
管理3人(壁氏と藤原氏とNORI氏)
副管理2人(刹那氏と彪氏)の合議制による管理体制として全盛期を迎える。
二十数人が基本人数、最大時は三十や四十も超える一見華やかなチャットであったが、風光明媚都市の出現により大きく変わる。
都市の管理人、風神氏は他のチャットにおいて、やや暴利とも言える宣伝活動をし人数をかき集めた。
この際、学茶にも当然ながら宣伝され更に、ノリ氏もこれに加担していた事が判明。
また、同時期に管理部内部でも権力争いが加熱し、壁氏の謀略により刹那氏は失脚、ノリ氏は上記事件により降格、彪氏は引退した。
この際、藤原氏のみは壁氏からの攻撃を受けず、残った藤原氏は外交担当の副管理の立場として従い、壁氏は内政担当として学茶の管理人となった。
藤原氏は内部を壁氏に任せ、ノリ氏を通して風神氏と通じ平和外交を目的とした都市との交流によって、和を保とうとした。
しかしながら、都市側は徹底的に学生チャットを消滅させることが目的であったために、都市側は学茶に多人数を投入し、叩き始めた。
外交の失敗した藤原氏は混乱し、チャットを消し自らは別の場所に自領を作り逃げ込んだ。
逃げ帰った、自領を壁氏は譲ることを迫り藤原氏は、管理の座を渡し最後の砦として、現在のひえーちゃのある場所に延安殿を建て、本家学生チャットとは分家の立場を築いた。
そこに刹那氏やその支持者たちも合流し、反本家の立場として、壁氏と対立が生じ始める。
壁氏は都市に依存する政治政策をとったが、それが災いし、刹那氏と藤原氏の謀略により失脚を余儀なくされた。
これにより、学生チャット管理の立場は正式に延安殿に移った。
延安殿として、最スタートした藤原氏は、そうらい氏、神山氏、刹那氏を管理として登用した多人数管理による統治を試みた。
しかし、ゼロチャットとの揉め事が起こり、苦杯を舐める結果となった後藤原氏は、都市の後ろ盾を求めて風神氏の妹の隙間氏を当主として迎えて、自らは筆頭家老として新しい政治体制を作る。
そのため、その体制に不満を持った刹那氏やそうらい氏と外交政策を巡って対立を起こし、反対派は藤原氏及び従者や隙間氏を追放。
これにより、学生チャットは二つに別れる。
その後、刹那氏は管理の一党支配として人を集め、延安殿から現在へと続くひえーちゃへと名前を変え、再興させた。
この時の、ひえーちゃは十数人規模が常時のものであった。
ひえーちゃは、都市への壊滅を謀り、攻撃を展開した。
藤原氏はその時、都市に身を寄せており、都市側の代表として和睦を申し入れた。
このため、藤原氏の一派はひえーちゃと合流し、一旦は攻防は幕を閉じた。
しかし、その後再び壊滅作戦が始動した。
風神氏は宣伝により、他茶の信頼を失っており、頼る所も無く敗走を重ねた。
都市側も囮のチャットを使ったりと抵抗をしたが、敗走を免れなかった。
この後、風神氏は従者も少なくひっそりと逃亡し、後に壊滅。
ひえーちゃは全面勝利した。
だが、ひえーちゃは時の流れと共に過疎が進行し、刹那氏も隠居を宣言したため、滅んだ。
その際、ひえーちゃチャット2(太宰府)を経営していた藤原氏の一派が生き残り、本家へと介入。
ひえーちゃから吉野へと名前を変え、統治した。
吉野から、更に室町幕府へと名前を変え、藤原氏は他茶からかつて、東方project隊及び東方蒼龍隊を指揮した紅玲羽氏を管理人として迎えあげ、自身は副管理として政権を握る。
しかし、刹那氏は再び復帰し藤原氏は再び政権を返上すると、刹那氏はまたひえーちゃとして、人集めを開始した。
だが、刹那氏はラインにハマり、政務を放棄し隠居した。
ひえーちゃの管理は藤原氏に委任され細々と続く。
その後、2014年の夏に再び刹那氏は再挙。
管理体制は、管理人に刹那氏と藤原氏、副管理人に月嶋氏を迎え新政権を築くと、東方黒騎士団と改名し、旧来の保守派からの非難を受けつつも、改新した。
しかし、その夏の終わりに、再び刹那氏は政権を放棄。
管理人を継いだ藤原氏は、刹那氏が居ないのでは意味が無いとし隠居。管理不在の状態が数ヶ月続く。
ひえーちゃは、その後刹那氏の復帰及び涙ぐましい努力により、勢力を盛り返した。
藤原氏は、従者と共に分家の五稜郭を建てひえーちゃの皮下組織として活動すると、ひえーちゃはその支持もあり再び、大手の位置についた。
しかし、唐澤という人物によるDDOS攻撃により、数度に渡るサーバーダウン以降、猛威振るわず過疎が進み、ついには刹那氏は再び隠居した。
刹那氏の後、オメガ氏が管理を握る。
その後、刹那氏はまた管理に復帰し、再起を図るとこれに旧五稜郭の後継組織、騎秦帝国が加わり勢いを見せた。
管理体制は、管理が刹那氏、副管理がオメガ氏と尾張氏(旧藤原氏)。
その後、抹茶側による挑発事件をお互いの関わりを無くす事を取り決める
条約締結後、歴史館も建造され順調に見えたひえーちゃは、またもや当主刹那氏の隠居で衰退期を迎える。
伊東氏(副管理人) はこの時、臨時体制法を制定し刹那氏の不在時は月嶋家と伊東家がひえーちゃを管理する、という法を制定し立て直しを計るも、あえなく過疎となり、長く放置される。
しかし、初冬から伊東氏によるひえーちゃ復古運動。及び刹那氏の復帰(しかし、この時はまだ住民の立場であった。)によりまたもや光が見え始めた。
月嶋家も参じ、刹那氏を当主とし月嶋氏、伊東氏らがこれを補佐する体制が完成された。
この後、ひえーちゃではセロリ氏のAk論議が始まり、伊東が教育係を買って出る。
しかし、一週間後までの教育では不可能であった。伊東は責任を取り辞任し、ここに刹那氏と月嶋氏の二頭政権が誕生するのであった。

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