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日記
2020-06-10(水)
両思いだと気がつくのはもっと先

 諦めることには慣れていた。

 1番古い記憶は、公園で拾った宝石みたいに光る石。
 4つ下の妹がどうしてもと泣いて欲しがった。そんな訳はないのだけれど、拒否すればもうこの家の子ではなくなるんだと頑なに信じて、大切な宝物は小さな手のひらから零れた。
 本当の子供じゃないと知っていたから、疎まれることが病的に怖かった。良い子でいるために我儘だと思われないよう、諦める。
 ひとつ諦めるたびに扉を閉めた。
 家族は皆俺を大事にしてくれたのに、俺はいつも扉を閉めた。何かから逃げるみたいに、扉を閉める。閉める。閉める。閉める。

 何時しかそれは生活の一部となった。
 なんのことはない、扉を閉めることは感情をコントロールする最短の方法でもあった。セルフコントロールに長けた俺は今現在、穏やかで人当たりの良い好青年として順風満帆な高校生活を送っている。




 日々小さな小窓を閉めて生きる俺とは正反対の人間が、目の前の男だった。
「イツキ」
「ん?」
 唐突に名前を呼ばれて、食べかけのパンを口から離す。
 テスト明けの日曜日。俺の名を呼んだのは2年連続で同室になっているカズミだが、カズミはもうすっかり朝食を食べ終えて頬杖をついて俺を見つめていた。
「こんな時間に起きてくるってことは今日予定無いんだろ?どっか遊びに行かね?」
 にっこりと、向日葵のような明るい笑顔が向けられる。
 裏表のない太陽みたいに眩しい男の大きな瞳の中に、馬鹿みたいに呆けた顔の俺がいた。

 瞬間、唐突に理解した。目の前の友人は、俺の中でとうに特別な場所にいたのだ。
 全身に走る悪寒に似た恐怖に耐えられなくて、ガタンと音をたてて席を立つ。――――急いで、扉を閉めないと。

 カズミが驚いたように声をかけてきたが、返す余裕もなく踵を返す。
 早く、扉を。
 自室に逃げ込もうとした俺を遮ったのは、やはりカズミだった。閉め損ねた部屋のドアは、カズミの大きいが形の良い指が添えられている。気にせず押そうにも、びくともしないドアが恨めしい。
「………手を離せ」
「イヤだ」
「驚かせて悪かったよ。ちょっと急用を思い出したんだ、部屋に戻りたいから手を離せ」
「イヤだ」
 カズミは、似非温厚な俺と違って本当に穏やかで明るい男だ。他人に無理難題を押し付けることもないし、意味のない我儘を言ったりもしない。なのに今、部屋へ戻ろうとする俺の邪魔をしている。
 俺は今すぐ扉を閉めたいのに。
 閉めたいのは目の前のドアではないけれど、このドアを閉めればきっと、俺の扉も音を立てて閉じる気がした。

 カズミの指が掴むドアの端から、恐ろしいことにミシミシと軋んだ音がした。それでもカズミの綺麗な顔には明るい笑顔が貼りついている。
「今、俺の目の前でドアは閉めないでくれ」
「は?」
「部屋に戻るならドアを開けたままでもいいだろ?」
「いやお前、プライバシーって知ってる?」
「知ってるけど閉めるな」
 いや何でだよ!
 俺は今すぐ、溢れた想いを閉じたかった。
 2年も一緒だったのに、たった今気がついたんだ。お前のことが好きなんだ。
 でも、そんなのは許されない。
 許されないよ、諦めたいんだ。
 いつもみたいに扉はきっと簡単に閉まる。どんなに重くても何度でも閉めたらいいはずだったのに――――カズミの指が、ドアを掴んで離さない。

 閉めたいなんて言いながらも動かないドアに安堵した見苦しい気持ちに、喉が詰まった。それでも絞りだした声は、泣き声みたいに震えていた。
「………扉、閉めたいんだ」
「諦めろ」
「なんで?」
「なんとなく」
「ふはっ、こんだけ強引にドア押さえといて……なんとなく、とか……なんだよソレ」
 吹き出した拍子に、一粒だけ涙が零れた。
 カズミの、ドアと掴んでいるのとは反対の指が、濡れた頬を拭うみたいに俺に触れた。そんな行為にきっと意味なんてないのに、俺は初めて、扉に添えた手を離そうとしている。
「このドアを閉めなかったら、後々お前に迷惑かけるかもしれないけど…………いい?」
「いいよ」
「………即答すんな」
「いいよ」

 んー…!ん―ー!と呻いてから、俺はドアからそっと手を離した。
 軽くなった部屋の扉は、カズミの手によってそのまま全開にされる。満足げな男を恨めしげに睨みながら、俺は止めていた息を吐いた。

「後悔しても知らないからな」
「しない」
「即答すんなって!」
「はははは!俺は自分の第六感を疑ったことは無いんだ。心配しなくても問題ないさ、たぶん!」
「たぶん!!?」
「ははははははっ!」
 ご機嫌になった男は、俺を部屋に置いたままリビングへと戻っていった。
 何なんだ………一体全体、なんなんだ……


 狐につままれたような気持ちで立ち尽くす俺の涙はもうすっかり乾いている。
 自分が何をしたのか知らないまま笑って立ち去った男に、俺の恋は救われてしまった。

 報われようなんて思いもしないけれど、諦めなくてもいいと許された想いに、俺は確かに救われたのだ。


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