創作日誌
2011-12-06(火)
ゆぐどらしる

もしも明日世界が終わるならば、なんて枕言葉は余りに使い古されてしまって、正直来年度の広辞苑に慣用句として取り上げられていたとしても誰一人疑問を感じないように思う。
僕などはこの問いの不毛さについてとうの昔に気付いてしまっているのだが、やはりと言うか流石と言うか世間では一向に死語として扱われる気配が無い。
好きにしろよ、の一言で終わらせてはいけないのだとしたら自由など世界のどこにも有りはしない。
それこそ世界の終わりだ。明日を待つまでもない。
まあ、明日でさえ無ければいつか必ず世界は終わるし、そしてまた、世界を地球人類に置き換えたならば終わりとやらは五十三年後に迫っているのではあるが。
アメリカの航空宇宙開発局、通称NASAによる大型隕石接近のニュースは僕が産まれる十数年前にもう世界中に流れている。当時こそ社会パニックを引き起こしたそれも、時が流れ今となっては常識を通り越して常態化していた。
全くヒトってヤツは環境適応能力だけは折り紙付きだ。
地球が生物の住めない星になると理解するや否や、パンが無ければケーキを食べれば良いじゃないの故事に則って、どの国も我先にと宇宙ステーションの建設に一斉に乗り出したのだから。
種としての生命力はゴキブリなぞの比ではない。
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