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ゆりちゃんの日記 ………普段の出来事からライヴの事、美味しいお店、何でも気ままに書いてみます。
2011-11-07(月)
ガイフォークスナイト

先週金曜日はガイフォークスナイトで、すっかり冬めいてきた夜空のあちこちに、沢山の花火があがりました。去年も書いたと思いますが、イギリスのお祭りをお知らせしたく、今年も書かせていただきます。昨年読んでいただいた方もどうぞお付き合いくださると幸いです♪
 
1570年4月13日に生まれたガイフォークスの父はプロテスタントでした。ガイフォークスが8歳の時、彼の父が亡くなり、元々カトリックだった母が再婚した相手はカトリック教徒でした。そこでガイフォークスはカトリックに改宗することとなります。この事が彼の運命を大きく変えることになるとは、だれもが考えもしなかったでしょう。当時のイギリスではカトリックというだけで仕事に就くことも難しいなど、沢山の困難があったそうです。現代を生きている私達からしたら、当然許される権利なのに・・・と思うと本当に不平等な気さえしてきます。
 
フォークスはイギリスを離れスペイン軍に加わり、そこで彼は勇猛で博学、かつ高潔であるとして兵士からの信頼を集め指揮官になりました。
 
イギリスではカトリック教徒の激しい弾圧に対し、反発しようとする者もいました。ロバートケイツビーは国王ジェームズ1世が上院の開院式に出席したところを爆殺する計画を目論みました。その計画の協力者として、従軍の経験もあり、熱心なカトリック教徒であるフォークスを選んだのです。1604年彼はこの計画に参加することを誓いました。
 
計画は着々と進みましたが、最後に大きな問題が起こります。そしてこの問題こそが彼らの計画の発覚へとつながったのです。上院開院式には当然カトリック教徒である者も出席します。カトリック系の議員にはその日、危険がある事を知らせるべきか、知らせないべきか、計画に加わった仲間たちの中で意見が大きく別れます。
 
陰謀の破綻は、モントイーグル卿が10月26日に入手した一通の匿名の手紙から始まりました。「11月5日の議会は欠席すべし」と書かれたこの手紙の差出人は、卿の義弟であり、陰謀首謀者の一人でもあったフランシス・トレシャムでした。おお〜トレシャム・・・。
 
運悪く最初に逮捕されたガイフォークスはロンドン塔に投獄され、激しい拷問を受けながらも、なかなか口を割らないしぶとい男だったそうです。しかし、最後には首吊り・内臓抉り・四つ裂きの刑を言い渡されました。激しい拷問の末、彼の衰弱は激しく、自分自身の力では絞首台にも上がれないほどだったそうです。だけど、この刑、名前通り本当に酷いです。日本の江戸時代の極刑と比較してもとても比較になりません。記すのも恐ろしいので、興味のある方は調べてみてください。ウィキに載っていました・・・。(注:読むと具合悪くなるかもしれないです。)
 
と、なんだか気持も重くなってきてしまう様な内容ではありましたが、そんなガイフォークス、ナイスガイなんていう言葉の語源にもなっているそうです。そして、これからもイギリスのお祭りとして彼の名は語り継がれる事でしょう。
 

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